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「社会実験」

自分はお人好しな性格ではない。ただ、それでも一生懸命に努力をしている人がいると応援したくなる。大多数の人に同じことが言えるだろう。とくに私は「自分のために努力する人よりも他人のために努力をしている人」に惹かれてしまう。そして、その人を心から尊敬してしまう。例に挙げると、スポーツ選手を目指して練習に励む学生よりも、それを陰で支える母親のことを尊敬するように。その理由は実に単純なことなのだが、自分のために努力をすればするほど成果として返ってくる。学生であればテスト勉強を一生懸命に頑張れば頑張るほど、学校の成績は上がるだろう。また、部活であれば練習すればするほどレギュラーとして試合に出場できるだろう。さらに上を目指すと、進学校に入学できたり、インターハイに出場できたりする。この輝かしい経歴は、すべて自分自身の人生を輝かせるためにある。しかしながら、息子を陰から支える母親や道端の掃除を請け負っている老人は見返りを求めることはなく、誰かのために労力を割いている。この人たちはお金を貰えるわけでもないし、自分に対する見返りがあるわけでもない。ただ、自分の信じる良心だけに従って行動しているだけだ。正直、私が同じ気持ちで同じようなことが出来るかと言われたら、恐らく続かないだろう。世の中には一定数、無償の愛を注げる人がいる。自分は決してお人好しというわけではないのだが、無償の愛を注いでいる人には同情してしまう。私は時折、想像することがある。それは、見返りや損得がない人たちが増えれば増えるほどに、世の中は正しい方向性に向かっていくのではないかということだ。だからこそ、社会実験を行ってみたいと考えている。どのような実験かというと、応援する人を応援する構造をつくることだ。例えば、「海を綺麗にするプロジェクト」、「千葉の干潟を保全する会」、「ホームレス支援のボランティア活動」などの採算性は極めて低いが、誰かがやらないと成り立たないような社会的存在意義のある活動に目を向ける必要がある。そして、このような活動に資金が再配分されるような構造も必要不可欠である。しかし、予算が低いことで、妥協しなければならない部分も非常に多いことから、継続的な活動により成果を上げることは難しい。ただ、自分のためにお金を稼ぐ以外がモチベーションにあることから、予算が付けば、全力で取り組み目標を達成できる可能性は非常に高くなるだろう。私たちは資本主義経済の中で暮らしていることで見失ってきたこともたくさんある。もちろん、適度な競争社会は個人の成長を促して、人々の意欲も高まる。しかし、これが行き過ぎてしまうと社会は過度な競争により、間違った方向性に歩みを進めてしまう。環境問題などが分かりやすい例だろう。経済成長だけを追求してしまったことで、環境資源は取り尽くされ、近年は気候変動などの問題が大きく深刻な状態となっている。この問題に歯止めをかけるためにも寄付に着目しながら、ビジネスモデルを再構築していく必要がある。自分はお人好しな性格ではないのだが、他人のために努力をしている人が報われる社会が健全だと思うので、見過ごすことはできない。上手くいくかは分からないが、積極的に社会実験を行っていきたいと思う。

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