「僕が日本酒の仕事を始めた理由。」
2021.8.20
母親と久しぶりに会って外食をする機会が最近あったのですが、他愛の無い会話のなかで、「日本酒を仕事にした理由は?」と質問された出来事がありました。話が長くなりそうなのと、まじめに説明する気力も無かったので適当に答えて話題を変えましたが話を帰り道で思い返すと日本酒の仕事をはじめた理由について話をしてこなかったなと反省しました。自分なりに内容をまとめてみることにした理由はその他にも、友人に日本酒を仕事にした理由について、しばしば聞かれるので良い機会だと考えたからです。僕は日本酒に出会い、3年生の冬に大学を中退するまで、小学生の頃から雑誌の編集社で働きたいという夢を抱いていました。旅雑誌の「るるぶ」や「じゃらん」、グルメ雑誌などを発行する編集社の仕事に凄く興味がありました。今でも定期購読が趣味です。幼い頃から旅行やその土地に根付く食文化に興味があったので、自分で直接、足を運び体験したことを誌面に起こし、読者に伝える仕事をすることが、自分にとって有意義な人生になると想像を膨らましていました。しかも、多くの顧客を抱える情報発信者側という立場で責任や制約を求められるなかで、自分を表現しながら他人の知的好奇心を満たす雑誌編集者にカッコよさと魅力を感じていました。しかし、入社したい志望者も多く、大学3年生だった頃の僕は雑誌編集社に入れるという自信が全くありませんでした。今も変わらず、入社できる自信は全くありませんが。卒業後の進路に不安を感じながら大学に通っている状況にフラストレーションを溜める日々が続いていました。そして、今でも1番大切にしている「楽しく働く」ことについて、この頃から真剣に考えるようになり、迷ったら即行動派の僕は大学2年生の冬から、何かキッカケを探ることを目的に据えた、日本の文化を知る旅をスタートさせました。醤油蔵、陶芸家、紙職人、工芸家、酒蔵、神社仏閣、老舗の飲食店、現代の観光名所、畜産農家、漁港、苺農家、たい肥工場など、学生で予算も限られていたので、関東を中心とした各地に足を運び、多くの人と出会い勉強させてもらいました。時には自宅に招いていただいたり、ご馳走になったことも。旅を続けている途中で「ずっと、この楽しい時間が続けばいいのにな。」という感情や、「どうしたら、この旅が仕事になるのだろうか。」という感情と疑問が浮かんできました。卒業後の進路を決める必要もあったので、自分が目標とする「楽しく働く」についての答えを導き出す必要も迫られていました。よくあるパターンの、「大学時代は各地を巡って、たくさんの経験をしました。」的な漠然とした雰囲気で終わりにしたくはありませんでした。有意義な旅をどうしても継続させたかったのです。そこで、僕が仕事にしたいと選んだのが日本酒でした。理由は日本酒業界が最もネガティブだという印象を受けたからです。偏屈で、仕事を生み出す必要のあった僕は、生き残れる可能性が最も高い道を探る必要があったのです。ポジティブな業界に若者が参入したところで、一瞬で淘汰される。そんなに、世の中が甘くないことだけは無知な僕でも知っていました。だとしたら、課題が山済みで閉塞感の漂う業界の方が、未だ手つかずの課題が残されている可能性が高いのではないかと考察しました。ただ理屈抜きで、日本酒が美味しいということを発見できたことは、本当に大きな財産になりました。当時の僕は素晴らしい日本の文化を伝えられる仕事であれば、何でも良かったのです。その当時を振り返ると、「楽しく働く」についての、僕の定義は「必要とされる場所で最高の仲間と働く。」ということでした。学生時代からの友人関係に恵まれてきたこともあり、「世間に見苦しいという印象を与えても、青春を終わらせたくなかった。」という想いや、「友人と一生一緒に過ごしたい。」という切なる願望があり、それを実現させるためには自分で仕事をつくる必要があったのです。それを一生の仕事として追求できるイメージが日本酒にはありました。だから、僕は日本酒を仕事に選びました。「最高の日本酒で、最高の仲間と、最高の会社を創りたい。」
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