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運命

味の押し波・余韻の引き波。ぐっと押し寄せる味わい、すっと引き行く余韻が、まるで穏やかな波に漂っているかのような心地に誘ってくれる。若波酒造は徹底した品質管理と抜群の安定感が真骨頂である。優れた醸造技術が生み出す「若波」は飲食店関係者を唸らすほどの味わいで日本酒の愛好家からも絶大な支持を得てきた。しかしながら、これまでの「若波」は地元・大川と酒の卸問屋を中心として細々と商売を続けているような酒蔵に過ぎなかった。当時、焼酎ブームの煽りを受けて日本酒業界は完全に下火な状態。製造石数も右肩下がりの状況に陥っており、創業1992年から継続してきた家業の暖簾を下す決断も迫られていたほどであったという。そして、現蔵元の父が体調を崩してしまったことで状況はさらに急降下した。それから、京都にある同志社女子大学の学芸学部日本語日本文学科を卒業後、両親からの相談を断りきれずに次女の今村友香氏が1年間だけという約束で家業の事務作業を手伝うことになった。子供の頃から将来、姉か弟が蔵を継ぐことになると想像していたこともあり、まさか自分が帰郷して家業を手伝うことになるとは思ってもみなかったそうだ。大学在籍時からは茶道や着物の着付けなどの日本文化に興味関心があったことで、アルバイト先は松竹株式会社が運営する京都南座を選んだ。大学卒業後も憧れだった千年の都・京都で日本文化に触れられる生活を夢見ており、南座に就職できたらと希望を抱いていたことから「なぜ自分が家業の犠牲にならなければいけないのか」という哀れな感情が沸き起こり、仕事にやりがいを全く感じずに京都に戻れる日を指折り数えながら、苦痛の日々を過ごしていたそうだ。しかし、酒造りが始まる秋口になると神主による醸造安全祈願の儀式が蔵で執り行われるのだが、静寂の中で笛の音だけが響き渡る空間に深く感動し、「私が子供の頃から過ごしてきた蔵に、私の好きな伝統文化が存在していた」ことに気付かされ、そこで初めて家業に対して興味を抱き、酒造りと向き合う情熱が沸いてきた。若波酒造には2001年に入社して通信教育や文献から酒造りの基本を学ぶことから始め、2005年には東広島の酒類総合研究所でさらに深い醸造技術を習得した。そして、2006年からは九州初の女性杜氏として若波酒造8代目杜氏に就任。最初に手掛けた酒は福岡県産「あまおう」を使用したリキュールで、苺は酸化が早く酒には適さないとされる素材であったことから1年間にわたる数々の失敗と試行錯誤の末、「あまおう〜苺のお酒〜」を完成させた。また、200
8年には「若波 縁(en)」が福岡国税局酒類鑑評会にて優等賞を受賞する成果を上げた。その後も全国酒類鑑評会、福岡県知事賞などで受賞多数。それからは、弟の今村嘉一郎氏が蔵を継ぐことになり、4代目蔵元に就任。姉と二人三脚で若波酒造の魅力を全国に発信し続けた。現在は9代目杜氏の庄司隆宏氏が加わり、3本の矢で強固な関係性から真摯に酒を醸している。運命とは分からないものである。もし、自らの夢を諦めて、家族の夢を繋ぐ決断をしていなかったとしたら、今も若波酒造は続いていたのだろうか?日本には創業から100年以上となる「100年企業」が数多く存在している。その企業数は世界で最多ともいわれている。酒造りも決して1人では出来ない仕事。100年企業もまた、1人では成し遂げられない偉業。いついかなる時も人と人とが協力し支え合い、創業からの流れを1度たりとも途絶えさせなかったからこそ続いてきた栄光。100年企業の数だけ、そこに携わってきた人々のドラマがある。これからの100年に向けて若波酒造も脈々と流れる筑後川のように、絶え間なく打ち寄せては引いていく有明海の穏やかな波のように歴史を繋ぐ。そして、うまかもんが揃う九州の台所を照らす存在として銘酒「若波」は輝き続けてくれることだろう。
  

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