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干物女と家の関係

キンキの干物です

干物女、なんて失礼な言葉が流行った事があるが干物女で結構、と言う感じだ。

90で亡くなった北茨城出身の義母も市販の干物をわざわざ干し直して食べる超干物女だった事を思い出す。

実母の干物愛については何度も語っている「干し太郎」事件でその異常なまでの熱量を確認する事ができる。あれから四半世紀経ったはずだがいまだ「干し太郎」の姿はみない。後で聞いてみて存在するようならもらってみようか。

そんな世代をまたいだ干物女達にとって「干物をどこにどう干すか」というのは悩ましい問題だ。

少しは日光に当てたいけどハエが気になる。ではボックス式の干し網を使えばいいがいちいち洗うのが億劫だ。知り合いのお寿司屋さんは冷蔵庫干しにしているそうだが家庭用の冷蔵庫では厳しいしめちゃくちゃ場所を食うので家族に煙たがられる。

家中の各場所を試してみて辿り着いたのが浴室だった。

浴室の窓を開けて浴室乾燥機の「涼風」を選択。ちょうど良い感じに風が当たるゾーンがあるので、そこに干物をセット。たまに様子を見に行って平均的に風が当たるよう角度調整を行う。

タイマーもついているので好みの干し加減を調整できるのもいい。電気代がもったいないからと殆ど使わない浴室乾燥機が干物に特化したギアだったとは・・・

部屋も10年以上住むと、良くも悪くも癖のようなものが分かって来てこんな風に過ごしやすくなる。

庭のこの部分は日当たりの良い一等地なので好みのハーブを植えよう、とか鬱蒼として湿気っぽい部分には、(要らぬというのに)父が無理矢理置いて行った椎茸の原木を置く。するとちょこちょこ椎茸が顔を出したりしてほんのり嬉しかったりする。

先述したゴッド干物女である義母は義父が亡くなってから長く一人暮らししていたが毎日、あれやこれや生活に工夫を加えながら楽しそうに暮らしていた。

しかし心臓の弁膜症がわかってから状況が変化した。

同居やホームを勧め始める親族と、それを拒否する義母の激しい攻防が始まったのだ。そのうち転倒事故が多くなったので結局、無理矢理介護施設に入れられた。すさまじいドナドナ感だった事を思い出す。

そしてあんなに朗らかだったのに口から出るのは恨み節ばかりだった。

今まで見せた事のない強情さに周囲も折れて家に戻す事になった。そうしてすぐに車椅子の操作事故であっけなく亡くなってしまったのだ。事故自体は悲しい事だったが、義母は納得していたのではないかと確信している。

子供を二人を育て上げ50年かけて全ての癖を把握した家だ。日々整え続けた場所で人生を終えるのは、物騒な昨今という事もあってか、ひときわ恵まれた事のように思える。羨ましいとすら思う。


キンキの干物の位置調整をしながら、そんな事を考えていたのだった。


こぶりなキンキは御徒町の魚スーパー「吉池」で。1尾380円ほど。


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