今日の自分

ここ最近の私は、自分でもわかるくらいに余裕がなかった。
身体の痛みとか、吐き気とか、めまいとか、長文が読めないとか、計算が上手くできないとか。とにかく沢山の症状が出ている私は生きることを元々諦めていた者。

痛くて自力で押すことさえできない車椅子に乗り、季節や天候、室内室外関係なく掛けていたサングラス、大きな音を抑える為に装備していたヘッドフォン。
トイレへ行くのも入浴も着替えも1人でできない時期だってあったくらいなのだから、今 こうして自分の足で歩いてバイトをしているのは我ながら頑張ってきたなと思う

そして新しく、私は今年の7月頃から車校へ通い始めた。
今は仮免許を取得し 免許取得に向けて学んでいるところ。

これだけ聞くと順調に物事が進んでいるように見えるけど、違う。
色々取り組めるようになったのはあくまで目標ができて、自立しようと決めたから。
身体の痛みも、数々の症状も、何も良くなっていない
でもいつまでも親はいなくて、生きる為にはお金が必要で、私は必死だった

症状が変わらない私にとっての車校は想像以上に苦痛だった
指導員に気にされるから痛みを顔に出してはいけないし、計算ができないせいで適性検査に引っかかったし、体調が不安定なせいで周りみたいに頻繁に通わない私は車校に行く度指導員に叱られた


叱られないように私はとにかくひたすら車校の予約をとった
毎日目まぐるしく動く日々。
バイト、病気に関する資料制作、車校、友達の相談に乗る、病院…

そして今日、私はバイト後に車校へ行き
3時間 応急救護の授業を受けた

そこで限界を感じた
1時間目は動画を見たけれど、そこではAEDの必要性について伝えるべく 急に心肺停止した男の子に周りが声を掛けている音声が流れた。

その音声で私は泣いていた

意味がわからない。最近ちょこちょこあった、よくわからないところで涙が出るというのが今日もあった。

そこから私はどんどん崩れていく

2時間目の実技、人形を使いながら心配蘇生法について学んだ時。
立ったり少し動いたりしゃがんだり硬い床に座ったり、痛みがある上でそういった行動は苦痛でしかなかった

チャイムが鳴った瞬間、私を襲った激しい痛みに耐えきれず部屋を出た
外の隅で、1人声を殺しながら泣いた

高校や大学の時と何も変わってない痛みに絶望した。
1時間さえ細かな動きが苦痛な自分が情けなかった。
かつて目指していた介護職は今の私でも目指せるものではないのだと虚しかった。

正直もう足も引き摺らないと歩けないくらいに体も心も悲鳴をあげていたから帰りたかった

でも私は意気地なし。
また怒られたり、呆れられたりするのが怖くて
3時間目のチャイムが鳴るまで泣いた後授業へ戻った

指導員に頼んで3時間目は何もせず見学をし、無事終えた。

迎えにきてくれた母の車に乗り込んだ後も暫く泣いた

ただただ疲れた

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