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おほしさまに

おおきな台風が来ていた日、父方のおばあちゃんが、おほしさまになった。

85歳だった。施設に入っていて、もうしばらく認知症らしかった。父のことも、わからなくなっていた。

おばあちゃんに最後会ったのは何年前だろう。
そのくらい会っていない。実家に帰った時には毎回、会いたいと父に言っていたけれど、おばあちゃんの弱った姿を見せたくないのか会えずにいた。

週のはじめ、次の日の仕事を休みにして、葬式のために母のいない実家に向かう。東京駅からバスに揺れる1時間半。
玄関をあけると、いつも出迎えてくれる母はいなくて、脱いだままのスリッパや食べかけのアイス、がらんとした冷蔵庫を見てしんみりしてしまう。

三兄弟真ん中である父はその日、葬式の手続きなどをする他の兄弟とは別に、目を閉じたままのおばあちゃんと1日留守番だったと言っていた。弱い姿を決して見せない父と、実際に会ってからおばあちゃんの話を聞くのはなんだか気まずくなってしまいそうだったので、「今日、おばあちゃんとたくさん話せたかな」とLINEをしてみた。

すると、
「親孝行もせず、バカ息子ですみませんでした。」

とだけきた。
かける言葉が父らしいと思ってしまった。

お父さんは泣いただろうか。ちゃんと泣けているだろうか。わたしたち娘の前では泣かない気がして、今日だけでも、ちゃんと泣けてるといいなと思った。

老衰で、大きな手術もなく、痛い思いをしなかっただけ、ね、大往生だよと父は言っていたけど、自分のお母さんが亡くなるのはもちろん初めてのこと。最後のおわかれの瞬間は、何度体験しても他にはない悲しみで、特別だと思った。

朝は曇っていたのに、おわかれする時にはすっきり青空。

おばあちゃんとの記憶はもう遠くてうっすらだけど、行くといつもおやつを出してくれたこと。久しぶりに会いに行ったら、介護ベッドに座ったおばあちゃんが「ほのちゃん横おいで(ベッドポンポン)」ってうれしそうに横に座らせてくれたこと。お父さんはとってもおばあちゃん似だということ。

いつもニコニコ、だれかのお話を聞いている印象のおばあちゃん。

私たちが帰って実家でまた1人になる父に、おかずを何品か作って東京にもどった。

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