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百襲媛/鬼媛烈風伝

「稚武彦《ワカタケヒコ》、うちの娘がご迷惑かけてごめんねえ」

 百襲媛《モモソヒメ》は異母弟である大和朝廷の英雄の皇子の苦々しい表情を伺いながら、一応、謝った。
 弟は鬼神<温羅《ウラ》>、その弟の讃岐の鬼ヶ島にいた海賊大将の<温流《ウル》>を撃退した最強の戦士である。

 そこは聖山である吉備の中山の麓にある稚武彦の屋敷であった。
 百襲媛の手元には中国からもたらされた高価なお茶があり、お茶菓子に黍団子《きびだんご》が添えられていた。

 彼女の出で立ちはいつもの純白の天羽衣《あまのはごろも》に細長く薄い桜色の布で<領巾《ヒレ》>と呼ばれる呪具を首から垂らしていた。
 金髪に左目が青く、右目が碧色のオッドアイで、それぞれ<時空眼>、<五色龍の術>という超絶奥義を駆使する大和朝廷最強の巫女だと言われている。

 生涯、独身を貫き、三輪山の大物主という神と神婚したと言われていて、最後は箸でほとを突いて亡くなったと言われているが真っ赤な嘘である。
 温羅との隠し子として百瀬媛がいる訳だし、箸が使われるのは五世紀ぐらいからで、当時は邪馬台国の時代の二世紀後半で手を水で清めて飲食していた。 

 稚武彦は漆黒の麻布で出来た衣をまとい、頭には黒い布を巻いていた。黒い瞳は鋭く、なかなかの風格である。
 隣に息子の稚猿彦《ワカサルヒコ》が座っている。 

「姉さま、温羅の墓参りに来て頂くのは構いませんが、五十人あまりの若者が負傷しています。百瀬媛《モモセヒメ》にどんな躾けをしてるんですか!」

 いつも冷静な弟が珍しく怒っている。 
 無理もないが、そこまで言わなくてもとちょっと反論したくなった。

「は? 真っ直ぐでとてもいい娘《こ》に育てましたよ! 大体、女ひとりにバタバタ倒される吉備の男がだらしないだけじゃない」

 さすがの稚武彦も黙ってしまった。
 ちょっとすっきりしたわ。

「……まあ、まあ、百襲媛さま。あれは仕方ないですよ。強すぎる。並みの武勇では敵いませんよ。なかなか可愛いい所もありますが、百瀬媛さまには、確か鬼媛《オニヒメ》とかいう仇名があるとか?」

 と、にっこりしながら息子の稚猿彦《ワカサルヒコ》が言い返したきた。
 性格悪いわね。
 息子の教育の方はどうなってるのよ?

「は? 何のことかなあ。稚猿彦」

 しかし、鬼媛、いや、百瀬媛《うちのこ》を倒すとは、この息子《こ》もなかなか立派な男に成長したわね。

 後に稚猿彦は吉備武彦《キビノタケヒコ》と改名して、姉の第十二代景行天皇の皇后、播磨稲日大郎姫《はりまのいなびのおおいらつめ》の皇子である日本武尊《ヤマトタケル》の副将軍として全国を転戦することになる。

「百襲媛さまの言われることも一理ありますし、父さまも機嫌を直してくださらないと」

「わかった」
 
 稚猿彦の仲裁で稚武彦もため息をつきながらしぶしぶ了承した。

    
      †

(何で負けたんだろう)

 その頃、鬼媛、いや、百瀬媛は稚猿彦との戦いを思い返していた。
 鬼ノ城のあった山の麓を流れる血吸川のほとりで膝を丸めて水面《みなも》をぼんやり眺めていた。
 青い瞳に黄金の髪をなびかせている。
 傍らには天之瓊矛《あめのぬぼこ》が置いてある。
 
(―――油断、認めたくないが、<時空眼>の力への過信なんだろうな。まさか普通の男に負けるとは。とほほな感じね)

 稚猿彦は全く普通の男ではないのだが、超常の力をもつ百瀬媛にも分かっていなかった。

「お姉ちゃん、讃岐から来たの?」 
 
 ため息をついている百瀬媛の視線の先に五歳ぐらいの男の子が現れた。
 ベージュ色の麻布の衣を着ている。
 黒髪に黒い瞳のかわいらしい容姿をしていた。

「うん? そうね。讃岐から来たのよ」

「じゃ、鬼媛……、百瀬媛さまですよね?」

「鬼媛でいいのよ。讃岐でもそう呼ばれてるから」

「僕は稚鳥彦《ワカトリヒコ》と言うんだ。稚猿彦はお兄ちゃんなんだ」

 といって胸を張った。
 なかなかかわいい男の子だしと思っていたが、その言葉を聴いてちょっと嫌な気持ちを思い出した。
 まだ五歳ぐらいだから空気読めないのは分かるが鈍感な子供だ。
 
「――そうなの。お兄ちゃんは強いわね」

「そうなんだよ。猿飛おじちゃんが師匠なんだけど、ほんと強いんだよ。でも、僕は不出来な弟だけどね」

 勝手にしょんぼりしている。
 出来のいい兄をもつと大変だなと同情しつつ、逆に稚猿彦に興味が出てきた。

「猿飛おじちゃんというのはどんな人なの?」

「猿飛おじちゃんは讃岐の<猿王《えんおう》>の一番弟子で凄く強いんだよ」

 猿王! 
 讃岐陶村《さぬきすえそん》の百襲媛配下の豪族の長だった男だ。
 確か「鬼ノ城の戦い」で大和朝廷側の稚武彦軍に従軍して、吉備で吉備津彦軍に合流、戦いの最中で戦死したという話だ。
 それがきっかけになって弔い合戦になり、「鬼ノ城の戦い」を勝利に導いたといわれている。
 猿王家は製鉄、焼き物の製作や火薬の使い方に長けた一族で、猿《ましら》のように身軽で山で独特の体術を編み出しているという。
 なるほど、そういうことか。
 讃岐の猿王家がルーツだったとは!
 稚猿彦の体術の謎が解けた気がした。
 
「そっか。じゃ、お兄さんに会わせてくれる?」

「え? いいの? 僕は大丈夫だけど……」

「大丈夫よ。ちょっと会ってみたくなったの」

「うん。それじゃあ、お兄ちゃんの所に連れていくよ」

「ありがとう」

 百瀬媛は愛想よく笑った。
 稚鳥彦と百瀬媛が振り返った先に黒衣の男が現れた。

「百瀬媛さまですね。温羅さまのご息女と聞いています。私は王丹《オウタン》と申します。温羅さまの軍師にして義兄弟です。一緒に鬼ノ城に来て頂けないでしょうか?」

 跪《ひざまづ》きながら王丹は意外な申し出をした。
 黒髪の品のいい学者風の男である。 
 信用できそうに思えた。 

「え? 父さんの義兄弟? うーん、ちょっと行ってみようかな」

「僕も一緒にいく」

 と稚鳥彦もいう。
 百瀬媛は何となく面白そうなのでついて行ってみる事にした。
 この気まぐれな選択が後に吉備を揺るがす「鬼ノ城の反乱」の騒動になっていくのだが、今の彼女には知る由もなかった。




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