おめシスの大事なお知らせに思う事

初めに、筆者はおめがレイさんの出産という出来事そのものについては祝福すべき事であると考えています。その上でやり方についてもにょる部分があったのでお気持ち表明のnoteを初めて書いてみました。

前置きはこれくらいに、まず軽く筆者の視聴者としてのバックグラウンドから。僕はデビュー当時からおめシスを追っていた訳ではないのですが、それなりの期間(少なくとも1年以上)おめシスの動画を視聴しており、イベントに参加するよりは動画を見ることで応援出来ればと思って見てきました。にじさんじなどにハマってた時期もありましたが、おめシスの独創的な企画力やVであることを捨てず、しっかりと動画に活かしていく姿勢はいわゆる箱のVtuberには無いものだと思っています。

そのような思いで隔日の動画投稿を楽しみにしている中、大事なお知らせがあり、プレミア公開されるとの告知を目にしました。不安もありましたがリアルタイムで視聴することに。そのお知らせの内容は確かに衝撃的なものであり混乱しましたが、それ自体はすぐに受け入れる事ができ、混乱はめでたいという思いに変わりました。

しかし、それにもかかわらず何処かでもやもやしている自分がおり、TLに流れてくる賞賛のリプライやツイートに激しい違和感を覚えていました。

しばし一人で考えたのち、その違和感の正体は「おめがのハコちゃん」に対するものではないかという結論に至りました。

勘違いされたくないのですが、僕は「おめがのハコちゃん」という形で出産を報告した事、それ自体は素晴らしい事だと考えています。あくまでレイちゃんとハコちゃんは別人で、レイちゃんの中の人かもしれない生身のハコちゃんが出産した、という形はおめシスの解釈の幅を確保したもので、おめがシスターズというキャラクターを守ったものに見えたからです。

しかし後ほどTwitterを見ると「おめがレイ」として出産を報告しているではないですか。動画ではCパートでリオちゃんの「(妊娠及び出産で)大変だったよねこの数ヶ月」という言葉にあえてとぼける事で、別人だという設定に持ち込んでいるにも関わらずです。

つまりこの場合に「レイちゃんは出産した」「生身であるおめがのハコちゃんが出産した」という2つの事実が残るわけで、その場合レイちゃんがハコちゃんである事が決定的となり、あの生身の人間はレイちゃんであると言っている事になります。

お前は何を言っているんだ、そんなもの実際に言われなくても分かりきってる事実じゃないかと言われるかもしれませんが、ここで例を挙げて説明したいと思います。たとえばディズニーランドのミッキーマウスは中身はおっさんの着ぐるみですが、人々はそれを知りつつもあれをミッキーマウスとして認識することにしてますよね。しかしおっさんであるという事実を知ってはいても、実際に目の前で着ぐるみを脱がれた場合はどうでしょう。その後も写真を一緒に撮ろうとは思いませんよね。このように、事実を確定的にするかどうかは虚構を楽しむには非常に大事な事だと僕は考えています。

特にこれまでおめシスはボドゲやパック開封、外の動画などでも頑なに生身を出さずにVtuberであることを守り、貫いてきました。彼女らがたびたび口にする「VtuberでもあるがYouTuberでもある」という言葉は彼女らの活動方針をよく表していると、僕は考えていました。

そのおめシスがこうもあっさりと生身を出してしまった、という事実に誰も突っ込まず、ただただ祝福ムードなことに僕は違和感を覚えていたのです。これまで3次元のYouTuberらしい企画にあえてバーチャルの体で挑んできた事は、生身を出してしまった事であっさりと無意味なものに帰してしまったのではないか、そんな考えが僕の中に魚の小骨のように引っかかっていました。

もちろん僕はこれからもおめシスの1ファンとして動画を見続けるつもりで今はいます。しかし今後この僕の中の気持ちの綻びは解消されるかは分かりません。ずっとモヤモヤは残り続け、結果的におめシスから離れてしまう事になるかもしれません。しかしそうなってもおめシスの所為とは言えないでしょう。この件は間違いなく、僕が考えすぎる「めんどくさいオタク」な事に起因するものだと考えるので。