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私がアランマーレ山形バレーボールチームを応援する理由

皆さんこんにちは。

私は日本のバレーボールの全国リーグである『V.LEAGUE』の女子2部(Division2)に参戦しているプレステージ・インターナショナル アランマーレ山形バレーボールチームを応援している者です。Twitter(時々Instagram)で、同アカウント名で勝手につぶやかせていただいております m(_ _)m

【noteに初めての記事投稿に挑戦してみる】

チョー緊張する。。。(^_^;)

noteにはアカウントを作成して登録まではしていました。しかし他の方の記事の拝読に留まっていました。普段SNSで最も断トツに使っているTwitterでの『140文字以内』という書きペースに慣れてしまった私は、いざnoteに何か書いてみようかと思ってもさっぱり言葉が続かないし思い浮かばなかったのです。。。

アランマーレ山形の事について、例えばV2リーグ戦の酒田ホームゲームの事とかをnoteに書いてみようかなぁと、おぼろげに思った事はありました。選手達のプレーぶり・闘いぶりはもちろん、応援の愉しさとか、会場内の様子・雰囲気・豊富な "コラボ飯" についてとか、或いはホーム戦会場の酒田市国体記念体育館について、より “善い” 空間となるための提案とか。Twitterで書いてるのと同じ感覚でスラスラと書けるかなと思ってたら、それが、なかなか、、、言葉が続かないしさっぱり思い浮かばない。。。(^_^;)

【fan仲間のnote記事】

私はアランマーレ山形のfan仲間であるmacha_guerrillaさんのnote記事である “アランマーレ熱烈応援ブログ「編集長のひとりごと sideアランチャ」” が好きでフォローさせていただいてます。

アランマーレ山形という山形県酒田市をホームタウンとして活動しているV2リーグ女子所属のチームを日常間近で見て応援されてるmacha_guerrillaさんだからこそ、その思い・深い愛が伝わってくる記事です。アランマーレ山形を応援されてる方はもちろん、他のチームを応援されてる方にもぜひ読んでいただきたい記事です。

【私がバレーボールを応援するきっかけ】

きっかけは中学1年の秋でした。たまたまTVのチャンネルを合わせて映ってたのがバレーボールの『ワールドカップ』でした。

日本で開催されるようになって2回目の大会です。それまで私はバレーボールというスポーツ競技には何ンの縁もゆかりもありませんでした。家族の中で誰かがバレーボールをやってたわけでもなく、好きだったわけでもなく。中学1年の時の秋の夜7時~8時台、たまたまTVで放送してたワールドカップ・バレーボールを視て、たちまちその面白さにハマったのです。「勝負事として、なんてスリリングなスポーツなんだ!!」と。

TV観戦だけでは飽き足らず、近くで試合があるのならばぜひ会場に足を運んで「バレーボールの試合を観たい!!」と思いました。ワールドカップが終わったその後、当時の『日本バレーボールリーグ』の試合が地元の体育館で行われる事を知った私は、兄弟や学校のクラスメイトと一緒に観に行きました。

よくよく考えてみると、私にとって初めて試合会場で【生】で観たスポーツがバレーボールでした。小・中・高と私はプロ野球にも応援してるチームがありましたが、専ら巨人戦のナイター中継でのTV観戦でした。火・水・木、土・日。ほぼ毎晩。私が実際に初めて野球場で観戦したのはバレーボールより後の中学3年の時で、修学旅行で東京に行った時の後楽園球場、日本ハムvsロッテ戦でした。

社会人として勤める年代になってからも、近くでバレーボールの試合がある時はチケットを買って会場に足を運びました。全日本チームの応援が目的でした。

【私が “近くのチーム” を応援するきっかけ】

それはサッカーのJリーグチーム(Jクラブ)の誕生がきっかけでした。私にとってはサッカーもまた何ンの縁もゆかりもないスポーツで、今こそサッカーも大好きで地元のJクラブを応援してますが、実はそれ以前は「なかなか点数が入らない」「遠くにポンポン蹴り合ってるだけ」という理由で好きではない・面白さを感じないスポーツと思ってました。しかし、実際に試合会場でサッカーを見ると、点を取るか・取られないかの攻防が面白くて、特に当時そのクラブに所属していた1人のある選手が、私にとってサッカーというスポーツ競技への見方・印象を180度変えてくれたプレースタイルの選手で、ボールを持っていない時の相手チームの選手とのポジション取りの駆け引きが抜群の選手でした。ボールの無いエリアってあまりTV中継では映らないので、TV観戦では解らない事が、実際の試合会場で【生】で観戦・応援していると気付いて解る事が有る。その醍醐味を知る、そしてそれを私にとって【日常的な習慣】にしてくれたのが地元のJクラブでした。

【私にとってバレーボールチームでは “近くのチーム” とは?】

地元Jクラブの応援開始から2年後の事、私は隣県の『東北パイオニア女子バレーボールチーム』の存在を知りました。調べてみると当時のVリーグの2部にあたるV1リーグに参戦(※2部リーグなのになぜか "V1リーグ" という名称でした)。Vリーグ昇格を目指し、元全日本選手の大谷佐知子さん、

外国人選手(ドミニカ共和国出身)も所属し強化を進めてるとの事。しかし試合スケジュールについてがよく解らず、なかなか試合会場に足を運ぶ事が出来ずにいました。

その更に2年後、たまたまTVの夕方のローカルニュースで視た東北パイオニアチームについての話題。

『元全日本の斎藤真由美選手が入団する事になりました』

Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) 我が耳を疑いました。TV画面を二度見、いや三度見しました。

現役バリバリのトップ選手が東北・山形の2部リーグチームへの移籍加入。信じられませんでした。ビックリしました。
そして初めて東北パイオニアチームの試合観戦へ。会場は当時のホーム戦会場であった山形市総合スポーツセンター。リーグ戦は終盤で、東北パイオニアチームは優勝間近だったそうです。会場は超満員で、後日知ったのですが5000人超えだったそうです。スタンド席はパイオニアさんのコーポレートカラーのワインレッドの紙製(?)の "ちゃんちゃんこ" を身に纏った方達で囲まれた状況で、まさしくそれは【完全ホーム】の空間でした。(東北パイオニアさんの社員さんの動員数が多かったと思いますが、例えそうだったとしてもそれは実に壮観で素晴らしい光景でした)

【チームが活動する『街』で認知される事について】

その年のリーグで東北パイオニアチームは全勝で優勝します。その後の入替戦も勝ち抜いて、それまでのVリーグチームの活動拠点は関東地方が北限だったのですが、それを越えて東北地方初のVリーグチームとなります。(※入替戦進出は前年に続き2回目だったそうで、前年の悔しさを晴らして掴んだ昇格だったそうです。

Vリーグ昇格に伴いチーム名がパイオニアレッドウィングスとなった昇格初年度の山形ホームゲームも会場はチームカラー・コーポレートカラーに包まれてました。

レッドウィングスがVリーグに昇格した2000年は日本の女子バレーボール界がとても苦しい状況にあった時でした。

そういう状況にあった日本の女子バレーボール界の中で、パイオニアレッドウィングスの山形ホームゲームの活気ある雰囲気というのは当時のVリーグ会場の中では断トツで抜きん出ていたと思います。その後レッドウィングスのホームゲーム会場は山形市総合スポーツセンターから天童市の山形県総合運動公園総合体育館での開催がメインになります。JR天童駅前や市内の中心商店街の道沿いにはバナーフラッグが掲げられ、天童駅構内には試合告知の看板も設置されました。(※サッカーのモンテディオ山形さんのホーム戦やプロ野球の楽天イーグルスさんの二軍戦と共に)

【レッドウィングスの "解散・消滅" 】

Vリーグ昇格から4年目で初優勝。リーグ優勝2回、準優勝1回、黒鷲旗大会優勝2回、国体優勝2回、V・サマーリーグ優勝1回。
その一方で、後年は上位進出とはならず入替戦行きが3回。戦績面では本当にいろいろありましたが、それでもホーム山形・天童でのチーム認知度は高かったと思います。
2013/14シーズンの入替戦で敗退し2部リーグ(V・チャレンジリーグ)への降格が決定。『もう一度這い上がろう!!』と会場の団席にいた私は声をかけましたが、2014年5月23日にレッドウィングスの解散が決定しました。(※「廃部」などという社内事情的な言葉を個人的に私は今でも使いたくありません)

【山形県酒田市に新しい女子バレーボールチームが誕生!!】

地元で間違いなく認知されていたパイオニアレッドウィングスという女子バレーボールチームが、地元で認知されていたにも関わらず活動を終えてしまった。とても勿体無いと思ったし、私はいちfanとしてどうしても納得がいきませんでした。東北パイオニアさんがチーム運営を続けられなくなったのは仕方がないにしても、どうしてレッドウィングスというチームそのものが無くならなければいけないのか。

月1回ペースで数人のfan仲間達が天童市内や山形市内に集まり意見交換をしました。私を含め具体的に目に見える行動は起こせなかったかもしれません。でも意見交換を重ねてる中で山形県酒田市で新しく女子バレーボールチームを作る動きがあるという事を知りました。2014年の夏だったか秋頃です。
知った当初の私自身は、酒田の話しは自分達が行なっていた意見交換の中で思い描いていたチーム像とは "別の話し" と捉えていました。
その後、何人かの方から酒田の新チームの方向性・基本コンセプトがどういう感じなのかを幾つか少しずつ聞く機会があり、それが私自身望んでいたチームイメージとびっくりする程ピッタリでした。企業内チームが多く加盟してる日本のVリーグチームは、企業 "外" への情報発信が不足していて、応援してるfanの側から見ると【遠く・閉ざされた】チームが多いという印象がありました。
天童市内や山形市内で仲間の皆さんと意見交換をしていた時から私が主に繰り返し語らせていただいてたのは『 【開かれた・拓かれたバレーボールチーム】が誕生してほしい』という事でした。酒田の新チームの方向性が正にそうでした。

私は酒田の新チームへの応援・協力を決めました。意見交換していた仲間の皆さんの考えは色々様々でした。全員が私の考えに同調したわけではありませんでした。酒田のチームは応援出来ないと語った方もいました。

当時入団が決まっていた選手は2名でした。(佐藤 円さん、三澤未憂さん)
監督は未定でチーム名も未定でした。私の中で酒田の新チームを応援する気持ちになったのは、チームが目指してる方向性への共感と共に、その方向性を掲げてくださった現アランマーレ山形バレーボールチーム部長の西尾博樹さんの存在があります。西尾さんはかつてのパイオニアレッドウィングスの後年4シーズンのマネージャー職を務められました。レッドウィングスが無くなってしまう時、私が最も話しを伺いたかったのが西尾さんでした。
私は新チームの進捗状況について情報発信は大切だと思っていました。しかし、全くの【0(ゼロ)】から歩み始める新チームです。情報発信を行える環境はすぐには揃わないと思いました。
チームに対して「どうなってるんですか?」「何か情報は無いんですか?」と色々注文などする前に、当時既にSNSという情報発信手段が世の中には広まってましたから、ならば、いち個人レベルで微力だけど私がチーム応援のTwitterアカウントを作っちゃえと思って始めました。

【人事等で変わる事があっても、変わらないでほしい『開かれた・拓かれたチーム』という活動スタイル】

『開かれた・拓かれたチーム』という事で、先ず私が酒田の新チームに提案した事は3つでした。

①:練習見学を出来るようにしてほしい

②:ファンクラブを作ってほしい

③:ホームページを作ってほしい

"開かれた・拓かれた" チーム活動として私が第一と思ったのは①の『練習見学を出来るようにしてほしい』という事です。
公式試合やイベント開催は年間で数日です。チームを見る機会、知る機会が数日だけではチームの事を身近な存在とは地元の方達にさえも感じてもらえないと思いました。そこで、チームを見る・知る1番の機会は【練習見学】だと思いました。

(※3~4月は新型コロナウイルスやインフルエンザ等の感染症対策及び感染拡大防止を目的とし、練習見学は中止となってます)


アランマーレ山形バレーボールチームが設立して来季が6シーズン目です。「もう6年目」と捉えるか。「まだ6年目」と捉えるか。

旧来からの慣習に囚われない【未来志向】のチームである事がアランマーレ山形という女子バレーボールチームの魅力だと私は思ってます。これからも試行錯誤は有るかもしれないですが、いちfanとして私はアランマーレ山形バレーボールチームを応援し、些細な事でも協力していこうと思ってます。

\アラーンマーレ!!/
👏・👏・👏👏👏

♪\(^o^)/ \(^o^)/ \(^o^)/♪
Thank you ! !
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