見出し画像

どこで/どこに、お金を使うのか 20.08.06

10万円が支給される頃だっただろうか。「これからは何にお金を使うかではなく、どこで使うかに意識的になるべきだ」みたいなツイートが流れてきたのか、そんな話を耳にした。これまでもそうだったよなと思ったけど、妙に頭に残ってそれから自分も割と意識するようになった。例えば違法な労働を強いてないかとか、差別に加担していないかとか、資源を食いつぶすようなことしてないかとか、環境負荷が高いようなことしてないかとか。人によってイシューは変わるかもしれないが、そういうところを見て商品を、ショップを選ぶ、ということだと思っている。

よく書いたように前は本屋で働いていた。地元駅近くにある新刊総合書店。辞めた今となってはもう社割も効かないし、本を買うならもうどこの店でもいいんだけど、働いてたくらいだから品揃えや棚は誰よりも知っているし、元同僚がいるから、という理由で今でも本を買うときはそこへ行く。それが自分にとっての正当な理由だと思っていた。
のだけれど。

散歩しがてらフラッと覗いたときに、一等地と言える目立つ棚に、新自由主義的な思想で、ワイドショーに出ずっぱりの、声のでかい政治家の本がやたら面陳されてて、ああそういえばここはそういう本屋だった、ということを久しぶりに思い出したのだった。

それで、この本屋で本を買うことが果たして社会的にいいことなのだろうか、と思い始めた。

働いていた頃もそういう方針は嫌だった。会社としては、出版されていればどんな本であれ置く。売れるもの、売れているものはたくさん入れて、大々的に展開する。それで嫌韓本みたいなものも置いていたし、レイシストの書いた小説も、扇動的な物言いをする実業家のビジネス本とかも大々的に展開されていた。会社としてはノンポリのつもり、ビジネスとして正しいつもりなんだろうが、それってどうなんだ?売れるのは分かるし、売れることを是とする態度もビジネスとして分かるんだが、それをウワーとかなんだかなぁと思ってしまうのは、自分の思想が合わないだけなのだろうか。

まぁ結局政治本・ビジネス本は自分の管轄外だったし、アートのコーナーでだいぶ好きにやらせてもらってたこともあって、余計なことはあんまり言わないようにしていた(今となってはもっと発言すべきだったと思うが)。やっぱりこう、本屋もある種メディアなわけで、ポリティカル・コレクトネスというか、人種・民族差別、人権侵害、そういうことにはっきりとNOを突きつける、そういう場であるべきじゃないか。そういう思いは今でも持っているし、今の方が強いかもしれない。そもそもメディアであれ個人であれ、真に中立な立場には立ち得ないだろう。だってそもそも「売れる本を面陳/平積みにする」っていうことだって、どう考えたって中立じゃないじゃん。今そもそもって2回言った。


そういえば『こんにちは未来』で佐久間さんが、Amazonは検索は使うけど買い物はしない、っていうプロテストをしてるって話をしてたな。それがコロナ禍の前だったか以降だったか。

『こんにちは未来』の書籍版が出るってことで、「扱わないんスか」と馴染みの社員に聞きに行ったら、そういう情報は来てないらしく、しかもその人は翌月には内勤に異動になるのだと知らされた。何か分かったら誰か通して連絡するよ、と言われたがそれから結局音沙汰なく、取り扱い書店一覧にその書店チェーンは載ってなかった。まぁそうだろうな。でも自分がまだ働いてて、このことをちゃんと働きかけていたら変わったのだろうか。イレギュラーな流通の本だし、上司に相談したところで変わんなかったかもな。味方少なかったし。で結局出版流通を担っている青山ブックセンターのオンラインで注文をした。オンラインとはいえ本屋にお金を使えるからよしとする。

その本が今日届いた。ポッドキャストを何度か聴き直してるので、内容はほとんど目新しいものはないはずなんだけど、なんか妙にワクワクしてしまった。本を買ってこんなにワクワクするの、いつぶりだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?