自分の名前の話

名前。一生付き合っていくだろう、生まれた時からずっとこの身にあるもの。
特に珍しい名前ということでもないのだろうが、ここで出すのは色々とアレなので伏せておくけど、地元を離れて一人暮らしを始めてから、やたらと名前を褒められるようになった。
主にバイト先の方々(特におばちゃんたち)からで、「可愛い名前やねぇ」と。
あまりにも褒められるので、「そんなにいい名前なのか…」と考えていたら、あることを思い出した。

それは小学校低学年の時。私は女児向けの漫画雑誌をリビングで読んでいた。
まあ、それ系の漫画って可愛いキャラクターがいっぱい出てくるし、それに伴って名前も一人一人いい感じの名前なわけで。
私は昔からプリキュアでいえば青とか緑の立ち位置の子が好きだったので、多分その漫画に出てきた目に止まった子もそういう立ち位置の子だったのかな、確か”カレン”とかっていう名前で、私はそれを見て「私も〇〇って名前じゃなくてカレンがよかったなぁ!」と両親の前で言った。
それを聞いた(確か)父がすごく怒った…確かそんな出来事で。
当時の私はあんまり自分の名前が好きではなかったし、多分その言葉もただただ素直すぎた女児の本音でしかなかったんだろうけど、今になって言ってはいけなかったことだったと痛いほどわかる。

私の名前は1つの単語として成立する言葉から取った名前なのだが、母はこの名前をつけるにあたって漢字1文字ずつに意味を込めてくれた。先ほどの事件(?!)があった頃の私もそのことを知っていたはずなんだろうけど、あの時は自分の気持ちを優先して口走ってしまったのだ。
父が怒ったのも今になって当然だとわかる。そしてどんな名前よりも母がつけてくれた名前が私にとってこの世でどんな名前よりも大事なことも。
その気持ちを、名前を褒められたことによって、今までよりももっと深いところで感じられるようになった気がする。この経験をしなきゃ、過ちもあの時の両親の気持ちも思い出さないままだっただろうな…。

母が1文字1文字に込めてくれた願いを、私は今日まで叶えることができたのだろうか。よく「イメージはオレンジっぽいよね」とか「面白いね」と話してくれる人はいるけど、私は母が込めた願いを胸を張って叶えられたと言えるほど、良い人間になれてないと思う。

よく人生の目標とか立てることがあるけど、私にとっては「自分の名前に見合う人になること」が死ぬまで一生付き合うことになる最大の目標だと気づかされた。そんな出来事だった。

そして今の私は、自分の名前が自分の思っている以上に、とてもとてもとても、好きだ。


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