現代について

今、筆者が見ている世界について思うところを書いてみたい。

コロナ騒ぎが収まることを知らない昨今、スーパーやコンビニに入ると必ず殺菌消毒剤が置かれ、マスク着用を求めるアナウンス。駅に行けばほぼ全員マスク姿が日常になった。母と買い物カートを押しながらレジに並ぶとビニールシートが垂れ下がり、有料となった買い物袋が必要か聞かれる。日常の話題はほぼコロナに始まりコロナで終わる日々。テレビをつけるとコロナの感染拡大情報、変異種が見つかったとか、行き渡るはずのないワク○ン摂取を勧めるアナウンス。

まるで日常がヒステリックなまでにコロナ漬けである。

緊急事態宣言の延長をしたにもかかわらず、オリンピック開催を押し進めるIOCと日本政府の醜態。生命に関わる事であるにもかかわらず、人命を二の次にしか考えていない様子の首相。オリンピックは福島第二原発をアンダーコントロールと言い放った前首相の頃から既に無理やりだったのだが、この後に及んで見ていて呆れる。

これは決して今に始まったことではない。3・11のとき政府は国民の生命財産を守るための効果的な対策や手立てをとることはなかった。直ちに影響はございませんと詭弁を打って、なんら原発事故の責任をとらず、福島から避難する人々の保障もほとんどせず、帰還政策を進め、健康被害を風評被害にすり替えた。そして原子力ムラは全力で逃げ切った。おかげで原発は再稼働し、微々たる保障を国民の電気料金に上乗せし東電は変わらず存続し続けている。

さて同じことがコロナ禍でも言えるのではないだろうか。同じ構造が垣間見える。GoToキャンペーン、保障なき緊急事態宣言は国民の生命財産をことごとく犠牲にする政策だ。オリンピックに群がる利権勢力と原子力ムラは筆者には同じように見える。そして原発事故後、内部被曝の健康被害との因果関係を否定した医師会や医療業界が今度はPCR検査とワク○ンで大儲けする新たな利権を考えているのではないか。これから起きることを注意深く見ていきたいと思う。

人の生命よりカネで動く原理が彼らの崇める法であり神なのだろう。さりとてコロナ禍によって世界的に経済状況が悪化することで経済をリードする神官である彼らに何か旨味があるのだろうか。「我さえ良ければ」この原理に陶酔した狂人が考える事に付き合う事はそろそろやめたほうがよい。

最後に、この状況、暗澹たる現実に飲まれず楽に生きる方法があるとすれば、それは自分の気持ちに正直であること。自分の感じたままを信じること。近くにいる人を大切にすること。他人に流されることなく違和感を否定せず素直に表現すること。などと筆者は考えている。それはまた折に触れ書いていきたいと思う。

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