違和感

今、起こっていることへの違和感をさらにここに記したいと思う。

これはまた2011年3月11日からの流れと比較することでより伝わるかと思うのでそうしたい。

東日本大震災の折、福島第二原発の原発事故が発生。その後、政府もマスコミも放射能は安全ですと殊更に喧伝しその健康被害を無きもにしようとした。少なくとも極端に過小評価しこれまでは危険とされた安全基準を大幅に下げてまで隠蔽に躍起になったことはご記憶と思う。危険だという者を封殺するためにそのような雰囲気を作り上げることに成功した。これは言うまでもなく現在進行形である。

全ては嘘を貫き通すため、国家総動員で安全キャンペーンを大々的に行った。

さて、今回のコロナ禍はどうかというと、全く正反対である。コロナは危険であると、これでもかとマスコミは騒ぎ立て、政府はお粗末ではあるもののやたら対策を講じる素振りをして見せる。やってる感に過ぎないがそういう雰囲気のお膳立てをマスコミを通じて行っている。そして国民の命を守る方法としてワク○ンの摂取を進めている。上手くいっているかは別にしても。

ワ○チンが有効かどうか、筆者は医者ではないのでわからないがどうも怪しい。

放射能は危険であるがゆえに5重の壁で安全対策し漏れることが絶対にないはずのものが漏れたのに、いざ破壊的な事故が起きれば、漏れたとしても安全である、直ちに影響がないと言い放った政府やマスコミを果たしてそのまま素直に信用できるかどうか。今回の件についても同様である。コロナ騒ぎを大々的に煽っておいて、本当は何年もかかるはずのワク○ンの製造をたった1年で行う事の安全性について、これは果たして本当に有効手段でありベターな選択なのだろうか?ウイルスは変異進化する。筆者のような凡人が普通に考えても無限のイタチゴッコだとわかる。身体に悪そうだなとなる。副反応のリスクや、ウイルスの変異を誘発するのではないかと勘ぐるのは当然だと思う。

危険なものを安全だと言い放った政府マスコミが、今度は危険だ危険だワク○ン打てと煽り立てる。

おかしい。何かがおかしい。普通に考えてもおかしいのである。

今、目に映る光景は人々が普通にマスクをつけて買い物する光景である。しかし3・11の時にはマスクをつける事は異常であり、そのような人を放射脳と嘲る風潮が作られた。

筆者が感じる違和感。果たしてこれまで読んでいただいた読者諸君はどうお感じだろうか。当たり前だけど人それぞれ感じる事は違うだろうし、考え方、見方も違って当然である。だからこそいろんな情報を単に鵜呑みにせず、目を開いてものを捉え、自らが抱いた感情や感覚に従い、想像力を培って自分なりの見方や考えをつくって行く事はとても大切だと筆者は考える。筆者は自分の抱いた違和感を大切にする。そこから情報を探り、想像力と思考を使って判断し行動することにしている。たとい学者が、他人がどう言おうとこの違和感から自ら生み出す考え方を大切にするスタンスに変わりはない。

筆者は今のところワク○ンは胡散臭さ満載なので打つ事は控えようと思う。

それぞれの選択、意思が常に大切にされる世の中であると信じている。

読んでくれてありがとうございます。

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