徹夜したらその日は終わり。

私は時々眠れなくて、朝を迎えてしまうと言うことがよくある。朝の気分はというと、頭に密度のつまった何かがのしかかっているようで、ふわふわと言うより、どっしりとしている。そして、大抵お腹が空いている。それもそのはずで、夜ご飯を食べてから9時間は経過しているのだからお腹が空いていて当たり前である。夜は自分が思っているよりも時が経っているということがよくある。昼間の12時から夕方の6時までの6時間と、夜9時から深夜3時までの6時間は同じ6時間のはずなのに、後者の方が圧倒的に短く思うのはなぜなのだろう。そして私は大体、ゲームや脚本の執筆をその6時間で行おうとする。だから、そのままの流れで徹夜してしまうのだ。私でも意味がわからない。朝の7時くらいに起きて、昼からやりたいことをやればいいのに、12時ごろにベットから這い出て、ダラダラと日中を過ごした挙句、夜になってから動き出すのだ。娯楽だけではない。食べるものの買い物も、一人暮らしを始めてから昼に行けたことは一度たりともない。果たして、これは人間として生きていると言っていいのだろうか。ヴァンパイアでももう少しマシな生活リズムを持っているのではないだろうか。そして、タイトルに戻るのだが、徹夜明けの1日は何も生まない。大抵、頭がぼーっとして何もしないか、昼頃に、昼寝というには重すぎる睡眠をとるかのどちらかである。そして、気がつけば夜で、また同じことの繰り返しをしてしまうのである。最近はご飯を食べることも面倒になってきた。それには確実に原因がある。外に出ていないからだ。人は外に出ると、どうしてか分からないが、ついでにあれもこれもとタスクをこなそうと言う気になる。しかし、家に篭りっぱなしなのだから、そんな気持ちになるはずもなく、気が付けば、冷蔵庫の中身は空っぽになり、料理をするも能わず、しぶしぶ遅くまでやっているマクドナルドや王将にご飯を食べにいくのである。あーあ、11時に寝て、6時に起きていた高校時代が懐かしい。どうして、遅くまで起きようとか思っていなかったのだろうか。何なら、徹夜を自慢しているクラスメイトに対して、気持ち悪さまで感じていた私が今やこうやって徹夜でどんな弊害が起こるかについての文章を書いているのだから、人は変わってしまうのだ。悲しい。それなら、私は未来の私に期待していいということになる。人は変わるのなら、私もいつか素晴らしい生活リズムを取り戻して活気に溢れた生活を手に入れるのではないだろうかと淡い期待を胸に抱いている。それが叶った時には川辺に座って、お弁当を広げ、水が流れる音に耳を傾けながら、ゆっくりとした朝を過ごしたいものである。徹夜をするのは今日で最後にする。これは心の中で何十回としてきた宣言とは訳が違う。本当にする。実行してやる。とりあえず、今日は徹夜の余波で何も生まない1日が待っているだろうが、私はこの日を境に変わっていくつもりだ。多分。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?