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紀行番組のイイ塩梅

(※極めて駄文です)

Ⅰ.その出会い

 なぜだろう、小学生の頃とても好きだった。金曜の夜、クレヨンしんちゃんが終わってから5分だけ流れる『世界の車窓から』という番組が。
 テレッテッテッテ〜レレ〜♪という、オープニングのあのメロディを聞くだけで気分が高揚していたのを今でも覚えている。「コレコレ、このメロディで金曜の夜って実感できるんよな〜」などと、小学生の分際で思っていた。
 当時は番組が5分しかない事にもどかしさを感じていたが、逆にその短さが良かったりもした。あの、暮らしの隙間へ控えめに、しかし心地よく入り込んでくる感じはなんだったのだろう。

Ⅱ.中学・高校

 時は経ち、少年は中学生になった。そしてドラえもんとクレヨンしんちゃんを観ることを卒業し、半歩オトナに近づいた。同時に『世界の車窓から』も観ることはなくなった。金曜の夜に5分間だけの番組を観ようと思うほど、その番組への熱量はなかったのだ。
 中学生の時は、部活の友達と戯れることだけに精を出していた。部活以外で自分の意思で何かを成し遂げた記憶はない。勉強も全くしていなかったので、中学2年生の中盤まで「english」という単語の綴りが書けなかった。今考えると、「中学1年から約1年半、よく科目名を書くことを避け続けたなあ」と感心してしまう。その後色々あって、英語を好きになった。
 中学を卒業し高校生になっても、私の中で『世界の車窓から』が日の目を見ることはなかった。記憶の底で埃をかぶったまま時は流れる。
 高校3年生になった。進路を友達と話していると、必然的に「一人暮らし始めたらどんな部屋にする〜?」「大学行ったら何したい〜?」などという話題に移行する。馬の前に人参を垂らして走らせるイメージで、少年たちは自分で人参をこしらえ受験勉強のガソリンとしていたのだ。その時「俺、一日中ひたすら紀行番組を観るってのやりたい」と言っている自分に出くわした。
 なぜ紀行番組なのか、自分でも分からなかった。ただ、体は猛烈に紀行番組を求めている、それだけだった。

 今振り返ると、多分疲れていたのだろう。毎日19時ごろまで学校の図書館に残って勉強、図書館が閉まると学校の隣のコミュニティセンターで22時まで友達と勉強した。ストイックな友人だったので、3時間弱のなかで10分間の休憩以外はほとんど喋らなかった。そういう生活を約1年間続けていたのだ。

Ⅲ.紀行番組とは

 詳細はWikipediaに預けるとして、ここからは個人的紀行番組論(特に『世界の車窓から』について、というかそれだけ。また「論」というほど仰々しいものでもない、ただの感想)を記したい。 

 アマゾン・プライムビデオで『世界の車窓から』を視聴できるのでぜひご覧いただきたい(2021/06/17現在)。

その魅力①「イイカンジ」

 まず、魅力の一つは「なんか車内にいる人や車掌などがやたらイイカンジ」なこと。
 番組名でもある「車窓」から見える欧州の山々や田園風景は、実は思いのほか映されない。もちろん映るのだが、短い。そしてすぐ、くつろいでいる家族や地元のちびっ子、旅行者、車掌、売り子など、車内の人々の映像に切り替わる。「もしかして車内の人たちの様子を映している時間の方が長くない?」と思うほどだ。
 そして彼ら、彼女らが、なんともカッコイイ。車窓から景色を眺める真剣な横顔、酒を飲みながら元気におしゃべりする年配の方達の笑顔、無邪気にカメラに手を振るちびっ子、トランプをする家族、自転車を持ち込む人、大きなバックパックを座席に置いて読書している旅人。皆、表情が素敵なのだ。
 「もしかして、これは番組側が仕込んだ役者なのでは?」とつい疑ってしまうほど、なんかイイカンジの人たちが多い。風景だけでなく、そうした「人」にフォーカスし、なおかつたっぷりと時間を割く大胆さが凄い。

その魅力②「なりゆき」

 もう一つは「偶発性」だ。
 バックパッカーなどをする人はなぜ旅に魅了されるのか。様々だと思うが、その一つに旅のマジックとも呼べる「偶然の出会いや発見」があるだろう。
 たまたま出会った人とめちゃくちゃ仲良くなって、一緒にビールを飲んだ。同じホステルに日本人がいて意気投合した。迷子になったとき道案内してくれた人がいた。現地の子どもと戯れた。困ったとき、当然のように助けてくれる現地の方がいた。急に激しい雨が降り始めた。バックパッカーをしていた時、そういうことが多々あった。
 そうした偶然性、思いがけず起こること、それが『世界の車窓から』には詰まっている。例えば、車内からホームへ勢いよく走り出した小さな子どもをカメラが追い、その先にいる(恐らく久し振りに会うのであろう)父親に飛びつく様子が撮られていたりする。
 事実、そういう設計で番組を作っているらしい。

Ⅳ.最後に

 番組の裏側を少しだけ知って、「製作側の意図って伝わるものなんやな」と思った。いや「技術で伝えれるものなんやな」と思ったのかもしれない。
 風景と人、そして偶然性。旅の3大要素といっても過言ではないかも知れないそれらを、控えめに、しかし明瞭に映しているから心地良いのか。絶妙なバランスで成り立っているから、脂っこくも淡白でもない料理に仕上がるのか(この一文はものすごく脂っこいです)。
 いろんな物事の塩梅って、永遠に分かるようになる気がせんけど、分からんから楽しいんだろうな。
 

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