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「読書という荒野」見城徹、その圧倒的に美しい言葉

こんにちは。ご無沙汰しております。
さかなおです。
みなさん三連休はどうお過ごしですか。

私は本が大好きですが、基本、図書館で借ります。
それはなぜかと言うと、「所有する」事が嫌いなんですね。
所有すると、必ずその所有しているものに人生が縛られる。
ひとつひとつは小さくても、じわじわと首を絞められていく気がする。
その感覚が嫌なんです。

しかし、ごくまれに、「この本は所有しておきたい!」という衝動に駆られる本が出現します。
私は年間100冊ぐらい本を読みますが、だいたい年に3冊ぐらいですね。
そのくらい少ないものですが、確実にそういう本が存在します。

そして、その本に出会った時は、それこそもう、最初の1ページを読んだだけで、「ああこれは欲しい!この本を所有したい!」という強い気持ちが、心の底から猛スピードで湧き出してきます。
そして読み進めるうちに、「きたきたきた!これこれ!これですよ!!!」とその気持ちがさらに強くなって行く。

「読書という荒野」

この本は、数少ない、そういう本でした。
では、順を追って行きましょうか。

まず、タイトルが良い。
「読書という荒野」
なんて美しい。
こんな美しい日本語久しぶりに聞いたよ!

中身も、とにかく日本語が美しい。
読書とは、何が書いてあるかではなく、何を感じ取るかだ
他者への想像力を持たない者に成功も達成もない
など、美しいリズムで圧倒的に美しい日本語が、次々と押し寄せて来る。

その言葉の美しさにため息が出る。
編集者として、幾多の言葉を選び取ってきた作者の人生が垣間見える。

しかしですね。
ちょっと、何というか、重いのです。

これはもう、世代だね。
見城さんは、いわゆる全共闘世代というか、東大が学生運動で入試をとりやめたとか、そういう時代に学生だった方。

生きるとは何か、闘うとは何か、そういった重い命題に、真正面から向き合ってきた方。

今はね、さすがに、そういう生き方に共感出来る人は少ないと思うの。
少なくとも私はちょっとムリ。

会社のお金バンバン使って小説家と豪遊した話とかも書いてあるけど、今はもうそんな事できないよ。

参考になりません。
共感もできません。

でも、強く惹かれるものがある。

これは私とは違う、こういう世界に私はいないはずだ。
そう思っても、なぜか所有しておきたくなる、強い力がこの本にはある。

きっとそれは、世代が違う事による決定的な違和感を、圧倒的な文章力で説き伏せているからなのだろうな。
彼の書く文章には、有無を言わせぬ説得力があるんですよね。

そしてそれこそが、彼の選びとって来た、言葉というものの力なのだろう。

うーんすごい。
見城さん。
「血で血を洗う読書という荒野を突き進め」
だもんなぁ。
書けないよねーそんな言葉!

本が好きな人向けの本って感じだな。

星4。
日本語の圧倒的美しさは星5!

#読書という荒野 #見城徹#幻冬社#読書#書評#おすすめの本

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