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作品の価値について/評価より肯定されたい

去年の5/2に下書き保存してた文。
多分フリーになってすぐ、コロナ禍でやることなさすぎて書いた文だと思う。長いしくどいが、今でも自分が大事にしてる言葉や思い出だなと思ったので、記念に載せておく。
しかもこの話、偶然その後に続きがあったのでその話も一緒に。
半端じゃなく長いし、感情的なので消すかもしれない……。いつものことか?
あと珍しく写真多め。

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写真家・山崎博のことは大学三年生の時に知った。たまたま山崎先生のうけもつ授業をとれたのがきっかけだった。

その授業はカラーフィルム現像の授業で、フィルムカメラで撮影して現像したネガを暗室で紙焼きするというもの。暗室での紙焼きはモノクロしかしたことがなく、カラーにも興味があった。あとは単純に暗室作業が好きだったので希望を出した。ちなみに今はわからないが、カラー現像ができる環境があるのは映像学科のみで、比較的人気授業な上、暗室機材の台数の関係で枠も少ないので毎年倍率は高いらしい。山崎先生は当時すでに杖をついており、歩く姿もおぼつかないおじいちゃんだったので、毎週の授業は別の先生が見てくれてて、会話できたのは授業の最終日に講評してもらったときだけだ。

正直、当時授業を選ぶ時も講評してもらったときも、山崎先生の写真は見たことがなかった。きちんと見れたのは卒業後、「山崎博 計画と偶然」が都写美で開催されたときだった。

展示を見て図録を読んだあと、講評の時にもっと話しておけばよかったな、と後悔した。しかし、多分当時のわたしには山崎先生の作品を見ても作品を咀嚼できる能力はなかったし、今ほどの感情を抱けなかったと思うが。作品の価値というものは、作品そのものや作者のネームバリューのことを指すのではなく、作品とそれを鑑賞した自分・時間・環境をまるっととりまくすべてが発生させる瞬間のことを言うのだな。だから授業を受けた時はまだ価値は発生してなかったし、数年たって価値が生まれたり、日に日に価値が増幅していく感覚がある、ということもありえるのだ。

大学一年の後期、わたしはデザインの授業で、とある先生から「だからお前の作品はつまらないんだよ」と言われた。美術予備校や美大では、課題に取り組む全員が自分の成果物を先生や同級生に見せてプレゼンする機会が何度も訪れる。つまりその分だけ同級生たちの成果物を見るし、プレゼンを聞く機会がある。それは、自分が今この教室の中でどれくらいの位置にいるか、ということがなんとなくわかるということだ。塾とか学校で成績上位者数名が張り出されてたときとは訳が違う。他人を含め全体のランキングがふんわりと把握できるのは、きっちり順位をつけられた自分の数字を見るよりも生々しい。もともと、高く見積もっても中の下くらいなのはわかっていたが、調子に乗りました!下の下でしたね!となった。今でも自分には相変わらずデザインセンスがないのでその言葉を思い出しては何度でも落ち込める。

デザインの制作に悲観的になっていたとき、いろんな展示や先生の言葉や本など見聞きした。ネットにあるクリエイティブを語る人々の言葉に翻弄された。そのときも写真は"制作"ではなく、あくまでも"趣味"という気持ちで続けた。というか、趣味の気持ちだからこそ続けていられたんだと思う。だから、授業を受けてた人たちや山崎先生に見せる時はとても緊張した。写真を、趣味の副産物ではなく、制作した作品として他人に見せるのは初めてだった。思わず、講評の時「デザインの授業で真正面からの日の丸構図で作品作った時、つまらないっていわれちゃって」と先に言ってなけなしの保身をした。普段から撮る写真もそういうものが多いし、その授業で仕上げてきた写真も中心構図は多かった。

でも山崎先生は笑った。「写真はデザインと違うし、それこそ日の丸みたいに完璧にシンメトリーになることは無い。そもそも、シンメトリーだから面白く無いってことでも無いと思うし。その先生から何をつまらないと言われたのかはわからないけれど、そんなことはないと思うよ。トリミングとか被写体との距離感とか、不思議な視点で撮ってるのも多くて面白いよ」。僕はこれが好きだなと、この写真を指さした。

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自分が好きでやっていたことを、作ったものを肯定されることの安心感と幸福たるや、それまでの作ってきた、迷った、やり過ごしてきた、費やしてきた途方もない時間や、それまでの人生の肯定だった。何もやりたくなくなって、部屋で蹲ってたわたしの手を引いて、広い場所に連れて行ってくれた言葉。四年経った今、何度よろめいても、ずっと私の手を引いてくれている。

都写美の展示タイトル「計画と偶然」も好きなフレーズだ。デザインの畑にいたらあまり出会えない感覚だと思う。展示図録の帯文「写真はコンセプトに従属せず コンセプトは写真に奉仕する」は自分の手帳の表紙に書いてるくらい、自分の制作の際に意識している言葉。写真は何かを撮ろうと思って撮るものではなく、映ったものが写真として出来上がる。そしてその写真に何かの意味を持たせそれを『コンセプト』として言葉にした時、写真をより良いものに見せる。そんな意味なのかな、とわたしは解釈している。

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この文章を書いた数ヶ月後、冒頭にも少し書いていた、“山崎先生は当時すでに杖をついており、歩く姿もおぼつかないおじいちゃんだったので、毎週の授業は『別の先生』が見てくれてて、会話できたのは授業の最終日に講評してもらったときだけだ。”とある。わたしが卒業して、就職もして、そのあとフリーになった26歳になる年、わたしはこの『別の先生』に偶然再会することになる。

『別の先生』こと、M先生は、このカラーフイルムの授業で会うよりも前から知り合いだった。というのは、わたしの在籍していた学科の一年生の前期の必修にモノクロフイルムの現像の授業あり、その授業に関わる先生3人のうちのひとりが、先生だったからだ。
しかもその後二年生になったわたしはその授業のSA(スチューデントアシスタント、と言って学生や先生の補助をする仕事)を担当することになったので、その関わりはわたしがSAの任期である3年生になるまで続いた。

先生はなんというか、一見ぶっきらぼうな感じの、クールな先生だ。人によってはちょっと怖いって思う人もいるかも、と思う。でも優しくて、不器用な、すごく大好きな先生だ。わたしが写真関係のスタジオに就職すると報告しに行った時も、一番応援してくれた先生だった。

フリーになってすぐ、仕事が殆どなかった時に、母校の通信教育課程で働いてる友人が「もし土日暇だったら授業の手伝い入ってくれたりしない?」と声をかけてくれた。通信は社会人の方も多いので土日に授業が入ることも多いらしく、それを手伝ってほしいとのこと。「暇だし全然いけるしむしろいきたい」と返したら「良かったー!写真の授業だから、佐藤に頼めたらって思って!」と帰ってきた。わたしにはマジでいい友人が多い。自慢です。

そこでその授業の担当の先生が2人いて、そのうちの1人がその先生だった。
控室に入った瞬間「え!!お久しぶりです!!」と大きめの声で言ったら「お〜佐藤じゃん!久しぶり〜!」と笑顔。卒業して3年以上経ったのに覚えててくれて嬉しい。
「え、佐藤が担当してくれるの?心強いなあ」と言ってくれる。わたしも嬉しい。完全に偶然で、誘ってくれた友達も、わたしと先生が知り合いと知らなくて、暫くみんなでキャイキャイした。
授業中も暇さえあれば話をして、先生は長く山崎先生に付いてた人だから山崎先生のこともたくさん話した。スタジオでの話。現場の話。制作の話。授業の話。山崎先生の話。三日間の授業の間に、卒業してから今までの話をたくさんした。
頑張ったんだな、と言ってくれて、今までの誰がかけてくれた労いよりも、グッときてしまった。

先生もスタジオに勤めたのちに、大学で助手を経て先生やりながら制作やってた人だから、現場の大変さも、制作の苦しみも、周りからの目とか、いろんなことを理解してくれる人だった。
スタジオに勤めてたとき、自分の撮ってる写真を見せたら「あー。アーティスト系ね」と言われながら流し見されて、ひとまとめにされることの苦しみや、「なんでレンズこれなの、めっちゃ地平線が歪んでるじゃん笑」と言われて、「なんでフイルムで撮ってんの?コスパ悪くない?デジタルにしなよ笑」とか。その話したら先生が「あーー、本当にそういう奴いるよな。そういうところでしか作品を測れないやつ。何も見えてないんだよな。可哀想だよ、本当に」と苦笑した。

人は自分が理解できないものに対峙した時、恐怖するか、見下すか。この二択らしい。作品を見られる時、いつもこの「見下す」の方をされてるなと感じる。
わたしからしたら逆に、水平線が歪んでることや、持っているレンズが限られたものであることや、フイルムであることなんかを気にしていて、写真を撮ることを純粋に楽しめているのか、と疑問でしかない。それでなんで写真の仕事したいって思ったんだろうってすら思う。別に理由なんて人それぞれだろうけど、こんな仕事、自分が楽しいって思ってたり好きだと思ってやってないとできないのに。



わたしがフイルム写真を撮っていたのは、当時お金がなくて、叔父から譲ってもらったフイルムカメラと、それについてたズームレンズしか持ってなかったからだ。デジカメを持ってる今でもフイルムで撮るのは、手に馴染んでいるからだ。それ以上に理由は無い。そして、それ以上に理由は必要ないと思う。撮れたものに、自分が写したいものを写せていたかの話でしかないだろうよ、と思うのだけど。

「そういう奴らは映ったものを、咀嚼できないどころか、理解しようとすらしないよな。むしろ目に入ることすら嫌うというか。自分がわかんないから嫌なんだろうな。俺はやっぱり商業での仕事はそこが相いれなかったんだ。だから仕事として写真はできなかったし、写真教育の方に身を移した。その方が自分の好きな写真も撮れるし、制作も続けられるし。でもスタジオ時代の同期とかからは『お前は逃げた』って、今でも言われるよ」と笑う。わたしは思わず「先生の年齢くらいになってそんな馬鹿なことを言う人がいるんですか?!仲間やと思っとるんやったら尚更、逃げたんやなくて選んだって言えや!」と九州のチンピラが出つつカンカンに怒ってしまった。先生はそんなわたしを見て笑うけど、わたしは今でも怒ってる。
今年もその授業はあって、先生に会って去年からの1年間の話をした。またそこでもいろんな話をしたんだけど、今は話せない内容が殆どなのでそれはまたいつか。


別に全員に自分の作るものが受け入れてもらえるなんて、一ミリも思ってない。ただ、数十秒ペラペラっと10年近く撮り続けた写真を見られて、アーティスト系ねーなんて言うの、マジものづくりをしている人間の所業か?とは思う。写真学科とかに在籍してた人ほどそういうこと言うこと多いからワーーッ!(頭を掻きむしる)てなる。雑に一括りされると、作品を作りながら考えたことや、費やしてきた途方もない時間が、あまりにも報われなさすぎるよ、と思うこともある。そんなこと求めてはいけないんだろうが。そこにあることくらいは、認めてほしいと思うのである。まあそれでも写真は撮りますが。わたしは私の写真が好きなので。仕事になった今も、それくらいシンプルな理由でいたいな。

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