「この仕事やめんなよ」

尊敬してやまない、その人の撮る写真も人間性も好きなフォトグラファーさんところでお子さんが生まれたらしい。大喜びしちゃった。その人にはわたしがアシスタント時代、撮影に入るたび色んな相談にも乗ってもらって、面白いラジオの話とか、最近行って良かった展示の話とか、制作の話とか、とにかくかなりお世話になったので、またお会いしたいな。わたしがフリーになる時に報告に行ったときも「じゃあこれからはライバルだね」って笑顔で言ってもらって、数年後こんな先輩に……わたしもなりてえ……と思ったのだった。そんな風に声をかけてくれたのはこの人だけだった。自分が行こうとしている場所にカッケェ先輩がいるのはマジで救いなのよ。他のフォトグラファーには鼻で笑われたり、前回も少し言った「アーティスト系ね」とか言われたりしたので、こういう人にはならんようにせんとな、となった。人間と接することが、一番嬉しい時もあるし一番嫌な時もあるし、感情の動きがやはり大きい気がする。そういう意味で一番勉強になる。

昔アシスタント時代に何度か現場をご一緒した、国民全員知っとるよ、という、今日解散してしまう、国民みんな大好きな6人組アイドルの1人、役者業では多分一番と言っていいくらいバリバリ活躍してるその人に「この仕事やめんなよ」って言ってもらったことがあった。「いつかまた一緒に現場一緒になったらいいね」とも。今でも思い出す。

アシスタントしてるときって、ほんとに、なんというか、わたしはまだ全然マシなレベルでしょうけど、人間扱いすらされない時あったし、それを思い出すと、そういう優しい言葉を、いくつもの現場を抱えた人の、ほんの一瞬の何度かの現場をご一緒しただけの、ただの一介のアシスタントを毎回覚えてて、他愛もない話して、ふとした時にパッとそういう言葉をかけてくれるって、本当にすごいことなんですよね。本当にかっこいい人すぎんか?!?!そりゃこんだけ人気だし、みんな仕事したいって思うよな。なんというか、生き様がもう……また大きい言葉を使ってしまったが……それ以外に表現がない。偶にこういう人になりたいな、っていう人に、ほんとごく稀に会えることがあって、冒頭のフォトグラファーもそうだけど、その一言聞いた瞬間に「あー、この瞬間のためにやってたんだな」「この言葉に応えるためにやるんだな」って思う。それは九州の田舎で絵描いてた高校生だったときから変わっとらんところかもしれん。

半ば呪いのようになったその「この仕事やめんなよ」は、今もわたしの中にあって、マジでふとした時に「なんでこんな仕事してんだろうな?」と正気に戻る時があるけど、このまま狂い続けていくつもりだ。このまま終わりまで駆け抜けるしかねえのよ。今のわたしの業務的にはちょっと専門外だけど、いつか一緒に仕事できたらいいなーとも思……ったりもする………がまあ無理な気がする……。もう全然、健康でいてくれたらそれでいいです!って感じなんだけど。夢見るだけタダなので。目の前の仕事も楽しいしやり甲斐があって、もっと色んなことが上手くなりたいわね。お世話になった・なってる人に、色んなものを返せるようになりたいわ。

何かを犠牲にして、何かを得てる、みたいな思考は辞めたいなと思ってる。辛い時期を乗り越えたから、幸福な生活があるとか。しんどい思いして練習したから、勝つとか。でもずっと辛いまま人生が終わる人もいるし、しんどい思いして練習しても負ける時はあるわけだから。だから、辛かったことも良かったことも、全部素直にその時その時で受け入れようってところに最近は落ち着いてる。大学生くらいまで、ずっとずっと他人の人生や才能が羨ましくて、マジで毎日落ち込んでた。でももう、自分が持たざるものであることや、代わりがいくらでもいる存在なこととか、大学が補欠合格だったこととか、機材いつまで買い続けてお金のことで頭抱えないとなんだろうとか、そういうものとかずっと抱えていくだろうけど、それでももう落ち込むの正直疲れたし、他人から励まされたりそんなの関係ないよ!とか言われるのめっちゃムカつくし(厄介かよ)、自分の人生とか自分自身がまあ悪くなかったな〜ってなりたい。それはそうと、そういうルサンチマンなどを永遠に燃やし続けて仕事したりもの作ったりするんだろうが……。怖。死ぬまでずっとこれなん?恐ろしすぎる。この前一緒に仕事してる造形師の人にも「わたしは齢47ですが、ずっとそんな感じだし、心は一瞬も休まらないです」って言われて、ウウ〜〜ッ……って唸ってしまった。ウ〜なんでこんな仕事してるんだろう……。(タイトルに戻る)

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