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2024/03/03

本当に、ただの日記。
なんだけど自分のことを身バレ避けつつ詳細に述べるのに慣れていなくて、フェイクを交えつつ書くような器用なこともできないから、抽象的な話になる。
これからも、いつまでもそうかもしれない。

社会的な尺度で見るとあまり良いとはいえない方向性の進路が確定した。

こういうとき以前であればだいぶ落ち込んでいたが今は穏やかで、むしろすっきりとしている。しんどいのはしんどいが。
正直この程度の挫折は以前の自分(この話もいつか書きたいけど、書けるやろか)からすれば大したことではないというのと、そもそもだいたい己のせいなのでまあしゃーないかと思っているのと、今後の見通しがある程度立っているからだろう。

人が、少なくとも自分がふさぎ込んでしまうのは、状況が暗い以上に、それがいつまで続くかまったく見当がつかないとき。
いつ終わるとか、いつ逃げられるというのがわかっている分にはそれなりに頑張りようもある。


(これは余談だけど)逆に言えば、だからこそ人間関係の悩みは難しい。
血か心が理由の繋がりだと特に。

家族は家族で簡単に縁が切れるもんじゃないし、家族じゃない人は家族じゃない人で、つながり続けていたいと思っていても、ずっと思いが通じるような、近くに居られるような関係性でいるのは簡単じゃない。


今悩んでいる色々はあまりそこと関係ないが、とはいえ悩んでいるということ自体が他人との関わり方に影響してしまう。
時々感謝もそこそこに話を聞いてもらいすぎたり、愚痴っぽくなってしまったりするから、変に荒れて大事にしたい人との縁が切れることがないようにだけ注意を払おうと思っている。

現に今はリアルの知り合いや友人らが元気に楽しくやって/頑張って/いいねし合っているのを見るとちょっとしんどくて、Twitter(こう呼んでしまうなあ)もインスタもリアアカをログアウトして、こうして匿名で詮のないことをつらつらと書いている。
まあリアアカなんてだいたいキラキラしてるとこしか見せないんだろうけどさ!

なんかそのキラキラとか自己主張に自分の心のスペースみたいなものが浸食されてしまう気がした。ゲッ、てなって、有り体に言えば、逃げた。
こういう感覚は健全じゃない。
他人は他人の人生を生きているだけなので、それを見て勝手につらくなるのは自分の中に影があるってわけだ。

繋がりを断ってるから錯覚するだけで実際会って話してみれば大なり小なりみんな何かしらに悩んでるんだろう。
とは言っても、みんなそんなもんだなんてマクロな視点で割り切れたらこんなもん書いてないしなあ。


鬱に浸るのは簡単だけど、塞いでいる間にも時間は過ぎる。
休息が必要な状況はそりゃあるけれども今は違う。
踏ん張りどころ。

尊敬している人から「逃げ癖がつきかけている」「変な方向に行ってほしくない」というようなことを数か月前に言われたのもあって、なんとか、なんとか「そんなことないですよ」ってまたご飯に行ける日が来るように頑張りたい。

まずは枕元を掃除した。明日は服を畳みます。

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