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一人旅中断〜キルワからダルに戻りました

さて前回キルワ旅行について記事を載せた

が、あのあと体調が急変して一人旅3日目にして終えざるをえない状況になってしまった。

さて今日という日まで何があったのか、一気に綴らせていただきます・・・

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12月19日(木)


午前 村をお散歩
11時頃 宿に帰る。日に当たりすぎたのかなんだか疲れてしまった。頭も痛かった。ひとまず休憩。
午後 キシワニ島へ。テンションは上がっていたもののたくさん歩くし終盤は疲れた〜を連発。
夕方17時頃宿着。もーーーー疲れた。夕飯はいらないとコックさんに伝え、シャワーだけ浴びてベッドに横になった。すぐに寝てしまった

20時頃、目を覚ますとまだ全身がだるい。頭も痛い。1日中外にいたのが思った以上にダメージきているのか。

熱を測ると37度8分。あれーーーーーーー

でもお腹はすいた。喉もかわいた。共有スペースに行ってみる。昨日から良くしてくれているオーストラリア人二人と新しいお客さん。もう夕食は食べたのかと聞かれ今の状況を話した。

女性が薬をあげるとわざわざ家まで取りに行ってくれた。解熱剤と鎮痛剤と。
これらを飲んでもいいのか判断もあるので調整員さんに連絡をしてみた。

「自分で何か薬を持っていますか?」「マラリア検査キットは?」

・・・薬もマラリア検査キットも持っていない。まさかこんな事態になるとは思わなかったし正直な話荷物を最低限にまとめることしか考えていなかった。

次の日には近くの病院に行ってダルに上がるよう指示を受けた。

次の日には同期隊員の任地に行く予定だったのに・・・せっかく組んだ予定、崩したくはなかったが、まぁ熱が下がればいい話だと思っていた。熱もそんなに高いわけではないし食事もできそう、頭が痛いだけ。すぐ治るだろう・・・と。

12月20日(金)

朝熱を測るとまだ37度5分。あーだめかぁー

欧米の人に付き添ってもらって病院へ。任地でもなんでもない場所の病院に行くのは正直不安でしかなかったがいい機会だったのかもしれない。

向こうも向こうでなんで欧米人(現地の人たちにとったらアジア人と欧米人の違いはほぼなし)が来るのかくらいに思っているかもしれない。

病院でマラリア検査に加えて念のため血液検査全般。この説明をするのにもまた面倒だった。結果を待っているときに熱を測ると38度。うへーーー

やっと検査結果が出た。マラリアは陰性だったのでとりあえず一安心だったが、結果を送った調整員さんからは値がほとんど異常値だと言われた。
ほんまやほとんどHighとLowの印ついてる。
これは機械エラーなのかほんとにやばいやつなのかはわからない。
ドクターたちに聞いてもわからない。もう!

ドクターのサインが欲しいのにいないとか、払ったお金のお釣りがないとか、あんたは私たちの邪魔してるのよ!とか言われながらもこっちも必死だから喧嘩腰になりつつもひとまずやること終えてバスターミナルに向かう。私がいろいろやっている間に欧米人友達がバスのチケットを取っておいてくれたのでスムーズに案内してもらえた。本当にたくさん助けてもらった。ありがたかった。

調整員さんの指示通り水買ってバナナ買って。
お腹に物入れて解熱剤を飲む。水もたくさんとる。

と、バスを待っていると名前を呼ばれた。いやそんなはずはと思い声のする方を向くと昨日のガイドさんが!いやー嬉しかった。昨日のお礼をいいつつ事情を話した。お土産にとポストカードをくれた。さっきまで病院のイライラもあったがいい出会いもあったなと思わせてくれた。
キルワいいとこですハイ。

さて時間通りにバスも来たしいい感じに12時半スタート。とはいえ寝るに寝れず、ひたすらぼーっとしていた

ダルについてから病院に行く予定だったがダルエスサラームに入った時点で20時。そしていつものバスターミナルではなく中心地からだいぶ離れた、境界線入ってすぐのところで終点と言われ降ろされた。うそーーーん。
仕方ないのでそこからタクシーを呼んでホテルに向かう。渋滞がひどい。

やっとの思いで着いた愛しのホテル。重い荷物をおろし一息ついて熱を測る。39度。おえーーーーーーーーーーい

調整員さんに連絡。高熱なので調整員さん付き添いのもと救急で病院に行くことになった。入院になるかもしれないので一泊分の荷物を準備するよう言われた。まじかーーーーーーい

ホテルの部屋まで迎えに来てくださった調整員さんが私の顔を見て一言
「あら思ったよりしっかりしてるね」

そうなんです頭クソ痛いけど歩けるし元気なんです。
会話もできるし意識もはっきりしているのは自分でもわかりましたが、頭が割れそうなくらい痛くそれがなによりつらかったです。

病院について優しく迎えてくれたナース。安心するヨォ

熱を測り血液検査をする。調整員産とも症状をいろいろ言う中で、「そういえば昨日の夜寝るとき左足が痛かったんですよね・・・今は大丈夫ですけど。」と話した。レギンスを履いていたので自分でもそんな見ていなかったが、がめくって見てみると赤く腫れていた。ん、いつもと違う・・・虫に刺されたあとはたくさんあったが、ここまで腫れていたのは初めてだった。

高熱頭痛喉の痛みに加えて足の症状もナースに伝えた。

その場では塗り薬をいただいた。頭痛がしんどすぎて横になって検査結果をまっていると違う部屋のベッドに移動させられた。点滴を打って今夜は病院泊まりだそうだ。まじすかーーーー

ナースと調整員さんの会話を聞きながらなんで自分ここにいるんだろうとかよくわからないことを考え始めた。とりあえずマラリアじゃなくてよかった

12月21日(土)

朝、ドクターが来て改めて血液検査と診察。
まだ38度と熱はあるが昨夜よりはだいぶ楽である。

ドクターからは最近流行りのウィルス感染による高熱ではないかと、また足は傷口からバクテリアが入ったのか炎症を起こしていると言われた。それぞれ別々の症状かもしれないし、絶対そうとも言い切れない。らしい。

今日はもう退院してよし、明日また来るよう言われた。点滴の針は刺さったままだった。

12月22日(日)

朝再び病院へ

着いてすぐベッドのある部屋に案内され点滴の準備をされた。はやい・・・

熱は37度に下がった。咳が多少出るがこちらの症状はもう治りそうだ。

さて、本当に難ありだったのは足。診断結果は蜂窩織炎。皮膚の感染症だ。言われたときにはピンとこなかったが調べて出ていた画像を見てゾッとした。訓練所の講座で見たやつや、絶対自分なりたくないって思った記憶あるもん。

その出てきた画像ほどじ分の症状はひどくなかったが、悪化したらこうなる可能背だった十分にあったのだ。恐ろしい。

治療方法としては点滴と飲み薬で抗生剤を入れていく。

感染症といえば高校の時も同じようなことがあって、その際には溜まっていた膿を洗い流すため膝の皮膚を切った。今回はそんなことせずに済みそうなのでそれだけ安心した。

でもあの衝撃的な写真のやつに自分がなるとは・・・正直この事態に至ったことに改めてショックを受けた自分がいた。あんなに下調べしていろんな人と連絡とって長期休暇中の旅行を計画たてたのに、2日で終了、そして年末は首都滞在確定、全てがあれあれあれーーーーーと変な方向に進んでいった。なにより家族になんと言おう、それもまた心配になった。

一方で、発症した場所が任地の村よりも首都に近い所にいたのが不幸中の幸いとも言えよう。

街はクリスマス一色。私はホテルと病院の往復。こんなに惨めなことがあるだろうか、なんて悲劇のヒロインのようなことを語ってみる(白目)

12月23日(月)

今日も点滴を打ちに病院へ

ホテル下でHAさんと待ち合わせして車に乗り込んで病院に行く。ベッドに横になる。点滴繋がれる。1時間ほど寝る。この一連の流れもまるで作業のように感じた。

病院に飾られているツリーが唯一の癒しかもしれない。

帰ってホテルに閉じこもる。熱は下がったがやる気は一切起きない。パソコンに向かうも開くのはSNSや動画ばかり。

蜂窩織炎と言われた時は正直ショックだったが、なによりどうしようと思っていた家族への報告。この事態をなんと報告しよう。。いろいろ迷い考え詳しく説明した上でJICAのサポートがきちんとされていることを伝えた。

ら、弟も1ヶ月ほど前にこの蜂窩織炎になったらしい。というわけで既知の内容なので大きな刺激にはならなかったよう。なんやねん!!!!!!

ということで私もちょっと気が楽になった。ありがとう弟よ

12月24日(火)

今日も点滴をう(以下略)

病院に置いてある雑誌でどこどこホテルのなんちゃらが綺麗で美味しいという情報が増える日々。

今日で点滴は終わりと言われ、27日再診することになった。そうか明日明後日はひたすらホテルに閉じこもるのか。どうなることやら。

病院で偶然一緒になった同期隊員と一緒にお昼を食べる。外でご飯を食べるのはいつぶりだろか。Subwayうまー

25、26日
世間はクリスマス、そしてボクシングデーと祝日である。
私はひたすらホテルの中に閉じこもった。無駄に外にも出れる状況ではないし。キルワ旅をまとめたりこの病床生活を綴ったり。村と違ってネットがある。できることはたくさんある。やらなければいけないことも。でも無気力な自分。気づけばまだ明るいうちから横になり夜中まで寝てたなんてこともあった。なんて堕落した生活。

12月27日(金)

病院に行って診察してもらう。だいぶ気分もいいし足の腫れも引いてきている。ドクターからは村に帰ってもいいと許可がおりた。
思ったより早いやんけーーーーー

年越しは村の隊員たちと山登って初日の出を見ようと約束をしていた。
年末はダル滞在を覚悟していたがこれはもしかして・・・

HAさんに聞いてみる。
「これもう運動とかしちゃっていいんですか?」
「自分ではどうおもいます?(ニッコリ)」
「・・・大人しくしてますスイマセン」

痛みもないし元気出し「だいぶ腫れも引いたね〜」とプラスの感じたったからもう問題ないのだと思ったがそう甘くはない。まだ水ぶくれがあるので、それが破れてまたばい菌が入る可能性だってある。水ぶくれのこと忘れてた・・・

というわけで村に戻っても子どもと遊べないし山登りもできないのでしばらくダル滞在を続けることにした。旅を中断されたんだ、豪遊してやる。

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とまぁ一連の流れとしてはこんな感じでした。
感情なんかも入っているので読みにくかったかもしれないが自分の記録として欠かせない言葉として受け取ってください。
本当に驚きの連続であれあれあれーーーーーーーって感じでした。

今は元気ですし会う人会う人に「思ったより元気そうだね」と言われるくらいヘラヘラ過ごせていましたが

ずっと閉ざされた空間にいるのは正直しんどかったですし
クーラー壊れててなぜかホテルの部屋で汗かいてたし
高熱や感染など一気にいろいろあったから体の中もさらにまた異変が起きましたし
タンザニアで
しかもせっかくの自由な時間
自分なにやってんのか悲しくもなりました

体調を崩すってこういうことか・・・と。

これが通常の活動時間じゃなかったことも不幸中の幸いだったかもしれません。
一人で冒険してみたくてあちこち行こうとしていましたが
神様から大人しくしていなさいというお告げなのかもしれません
この時間もまた一つの大きな経験として記録します。

いつ何が起こるかわかりませんね。

本当に今回身にしみました。健康第一です。

---------おまけ---------
ただでさえいつもと違う環境なのに
一層いつもとは違う心情で眺めるクリスマスの街並み。
意識しなくたっていいけど意識してしまう
唯一私のクリスマスメモリーとして存在してくれた
日本から姉が送ってくれたアドベントカード(旅のお供に持ち歩いてた)と
病院のツリーです
見納めください

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