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誰かのためは自分のため?

「人のために生きなさい」

多分、人生で何度か言われたことがある。人のために何かをすることは素晴らしく、自分のためだけに生きることは虚しいものだと巷でよく聞く。聞く度に、そっか、じゃあ、他人に優しくして困っていたら助けてあげようと考える。

しかし、100%誰かのために何かを出来る人間って存在するのだろうか?

目に見える自分の利益がなくたって、「人に何かしてあげて嬉しい」も嬉しくなりたい自分のためだと思うと、完全に誰かのためなんてないんじゃないかと考えちゃう。少なくとも私はない。

悲しんでいる人に優しくするのは私が悲しんでいる顔を見たくないからだ。募金活動を見かけたらお金を入れるのは私が気持ちいいからだ。相談をされてじっくり話を聞くのは私が必要とされる人間でありたいからだ。すべて「私」が主体である。

私はとてつもなく利己的な人間ではないかと思ってしまう。

特に謝罪の場合は、相手のためというより自分のためじゃないかと思う。自分が悪くて人を怒らせてしまったり、悲しませてしまったり、負の感情を与えてしまって謝る時、本当にその人のためというより、自分の罪悪感や不快感を取り除いて、自分が楽になるために謝っているんじゃないか。結果的にその人が許すことなく余計に負の感情が爆発してしまって逆効果だったら、それこそ自己満足の極みではないだろうか。

「人のため」というのは本当の意味で私にないのではないかと考えると、真っ黒な底なしの井戸を覗いている気分になる。

ああ、でもな、完璧主義に生きていたってキツいだけだな。何が正しいって誰にも分からないもの。

理由はどうであれ、人が幸せになるなら結果オーライじゃないか?

たとえ、本質では自分のためでも嘘の優しさが誰かのためになるとしたら正しいのかもしれない。真実なんていらないのかもしれない。

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