鬼の呪い

「いつの頃かは、知らない」 子供たちや私のような観光客を並べて、婆さんは語り始めた。

山の頂を太った岩で潰して、その岩を囲んで暮らす、鬼の一族がいた。岩の北端に塒を構える一家に、ある鬼の子がいた。

鬼の子は、鬼の一族始まって以来と言われるほど、なまちょろで青白く弱々しかった。鬼は皆猛々しい。赤く硬い皮膚は、溢れるように滾った肉を膨れて包み、蒸気の立ち昇るほど熱く、ちぢれた髪には岩穿つほどの角を生やし、牙は上下にはみ出して噛み合ず、目玉はめり込むようにぎょろついて、眼孔は永久の闇のように深く、そのくせいやに爛々とぎとついている。鬼の子の父も母も猛々しい。姉も妹さえも。鬼の子だけがなまちょろかった。生え際だけが、申し訳程度に僅かにちぢれ、その上に水を流されたような髪をまっすぐ被り、牙も無ければ角も無く肢体は細長く虫のようで、黒髪の下で目は陰り、奥まって伏せられ、青白さを惨めに引き立てるばかりで、山の鴉の方がいくらもましなほどだった。他の子の皮膚が硬質化しきってなお、鬼の子の皮膚は柔らかいままである。

鬼の子はよくしごかれた。皮膚を硬くさせるといっては、鬼の子は鬼の子の父に殴打され、蹴り散らかされた。鬼の子は臆病になり、常に気を張って、鬼の子の父の動きに過敏になるばかりで、いっかな皮膚は硬くならなかった。鬼の子の父の怒りが他に向かうように回避しようにも口ばかりかたくなり、黙っていればそれもまた、鬼らしくないといって鬼の子は鬼の子の父の力に晒された。当たるたびにその痛みをやり過ごす術を覚え、じっと息を殺して、耐える力だけが育った。

鬼の子の父は、鬼の子の息が細いのをみては、鬼らしくないといって、瀧に沈めた。苦しさに顔を上げる鬼の子の頭を掴んで、鬼の子の父は鬼の子を沈め続け、鬼らしく豪々と笑い、息の太さを瀧に響かせた。鬼の子はいつか水中の方が静かであることを知り、水を伝って聞こえるくぐもった鬼の子の父の笑い声と、鬼の子自身の脈拍をない交ぜにして、滝壺のうねりのなかで、強大なものに身を任せて脱力することを知るばかりで、鬼の子の息はか細いまま、息の殺し方が磨かれただけだった。

鬼の子の父は、鬼の子の青白いのをみては、鬼らしくないといい、炎を当てた。鬼の子は感じたことのない痛みをその熱に感じ、泣き叫んだ。泣き叫んだが、息はか細く出入りして、一歩も体の動かないままぶるぶると震え、顔が歪んだだけだった。その歪み方がまた鬼らしくないと太くいわれ、震えているのが鬼らしくないと殴打され、鬼の子の感覚は表に出なくなり、炎の前で無表情で立ち尽くすまでになったが、やはり鬼の子の肌は青白く、熱の低いままだった。

鬼の子の母は、鬼の子の体を大きくさせようと、ふんだんに食事を用意したが、食べ方が鬼らしくないといっては叩き、食べきれずに残しては蹴り飛ばし、鬼の子がたまらずに食べたものを吐けば、吐いたものまで口にさせて金属の擦りあうような声を荒げ、遂げられずにいると鬼の子を押さえつけて、土のうえへ額突かせて謝罪の言葉を口にさせた。

鬼の子の母は、せめて頭の切れる鬼にさせようと、鬼の子に鬼の一族の歴史を説いてはお前のようななまちょろはかつて存在せず、また存在することは許されないといった。また、鬼らしい力の振るい方を教えようと、鬼の子の姉や妹と競わせて、岩を砕かせ、大樹をへし折って燃やさせた。お前は並以下のそのまた以下なのだから、他の鬼の子の三倍努めてようやく並だといい、出来なければ鬼の子を砕こうとし、少しでも出来たときは、妹にも劣るといって、何故その程度のことが出来ないのか考えろと、縛り付けた鬼の子を昼夜そこらに転がしておいた。鬼の子は転がされているあいだはものが穏やかに見えてくることを知って、むしろすすんであらゆることを出来なくなっていった。

鬼の子の母は鬼の子の父に比べれば、まともに口をきいてくれるので、鬼の子はときおり鬼の子の母の好きな花や好きな果実を、懸命に摘み集めては、鬼の子の母に捧げた。そんなときは鬼の子の母もたいそう喜んだが、さて教育が始まって鬼の子の母の要望が鬼の子に遂げられずに終わると、決まってそのときのことを引き合いに出して、何を捧げられてもこれしきのことが出来ないのでは嬉しくも何ともない、むしろあんなもので喜びを感じた自分が恥ずかしい、母を愚弄するなと踏みつけた。鬼の子の母は踏みつけたあとで、山一番の老樹のうろでお前を拾ったが、今度はそこへ捨てにいこうか、ときりきり笑った。鬼の子は鬼の子の母の好きなものを見つけても立ちどまらなくなり、自分から話しかけることもしなくなった。

鬼の子の姉は、出来損ないの鬼の子を馬鹿にして、鬼の子がふらり何処へか行こうとすれば後ろについてまわり、耳許で嫌みをぶつけ続け、すっきりすると自分のことをしに帰っていった。

鬼の子の姉は沢山の友達とよく遊び、塒で楽しそうによくそれを話したが、最後にはわざわざ鬼の子を引き合いに出して嗤うのを忘れなかった。

鬼の子の妹は、兄である鬼の子に何の興味も示さずによく育った。鬼の子の妹は鬼の子の姉にも、その友達にもよく可愛がられ、鬼の子の父も母もお前はよくできると褒め、出来ないときにはそのうち出来るといってなだめた。

鬼の子はいつも塒の隅の、一番暗く冷たいところで眠った。眠れなくとも、そこはまた塒のなかで一番静かでもあったので、満足に呼吸することができた。鬼の子はその静けさを求めて夜の明けるのを恐れた。陽の昇るたびにその苦痛を思って目が潰れる気がした。潰れこそしなかったが、確かに日毎鬼の子の眼は弱くなり、色も形もはっきりしなくなった。

鬼の子はもはや鬼の子であるというだけで苦しむようになった。滝壺のうねりの底で魚の悠々と泳ぐのを見たり、転がされているあいだ鳥や虫の飛ぶのを見て、他の世界のあることを知り、それを眺めるのを楽しく思うこともあった。地上へ出て干涸びる寸前の地中の湿った虫のように、のたうつばかりで地面からちょっとも離れることのできない鬼の子には、自前の羽で自在に行き来するそれらの生き物が、朝露に光を飲ませて揺れる肉厚の葉のように美しく輝くのだった。土に根を張って動かずにいる樹木でさえも、自らの皮膚をひび割りながら、一心に光を浴びてうねり上がり、広く枝葉を天に這わせてざわつく静かで巨大な力があった。魚に至っては、手足も無いのに俊敏で、呑気で無頓着な顔付きに、戸惑うほどに憧れた。鬼の子のくねまわる様といえば、水溜まりに落ちた芋虫の方がまだ希望があろうというほどで、やがて彼らはどこまでも他の世界を生きるもので、鬼の子とは全く別の存在であるということが、鬼の子には哀しく思われた。

いつか鬼の子は、いつものように転がされたとき、そのまま体を揺り動かしているうちに、山を転がり落ちていった。転がっているあいだ鬼の子は少し楽しかった。瀧や炎のように巨大で、それ自体が自分を痛めつけるのではない力を感じ、それに身を任せた。樹にぶつかり岩にぶつかり、頭はぼやけ、身は折れかけても、揺れ動いて転がり落ちていくことは止められず、しまいには池に落ちたが、今更なんでもなかった。その間にすり切れて解けた縄を捨てて、池を上がり、着ぐるみを着た吐き気のように、出処の知れない衝動のまま、あてもなく歩いて山を下っていった。

やがて、木々の突き立つ林の傾斜の無さを、行けども行けども、同じところをぐるぐると巡り続けるあての無さに包まれて、鬼の子は全く心地がよかった。進めど進めど何も変わらず、樹々は同じ顔で鬼の子を出迎えては、見送り、挨拶を続け、ふと振り返ると、前も後ろも無くなって、立ち止まった脇を風がつむじを巻いて通り抜けた。鬼の子はそれに優しさを感じさえした。わけもない気分の良さに、雲の上を歩くような軽みを以て進むうち、わっと木々が開いて林を抜けた。何か温い膜から抜け出たようで、ざあと眼前に広がる平野に、両手をひろげて迎えられた気がした。夢にも見ることの無かった新しい世界が、どこまでも遠くへ鬼の子を吹き抜けていくのだった。野に出て川にあたり、それに沿って歩き続けた。山とは違う景色に魅入られて歩いた。何もかもが目新しく、とりわけ光の泳ぎ方が違った。何とのんきにぼんやり漂うのだろう。鬼の子は陽の子供らが、横なりになってきゃいきゃい遊ぶのを見て湧いてくる感情の得体が知れず、恐ろしくなってきた。そして沈む陽の炎に包まれるように倒れて眠った。

目が覚めると鬼の子は、どこにいるのだか分からなかったが、それよりも辺りの暖かいのを不思議に思った。声がして鬼の子はびくついたが、その声は太くなく、金属的でもなかった。声は近づくと「おう起きた、起きたで」といって鬼の子を覗いた。それは鬼のように大きくなく、赤くなく、猛々しくなく、むしろ鬼の子に近いように、鬼の子の弱くなった眼に映った。同じような声と姿が続いていくつか現れ、やれ口がきけるか、やれのどがかわくか、腹の空きはどうやといい、誰かが名前を尋ねて、鬼の子がきょろきょろしてばかりいると、

「しょうもないこと聞かんと付けたったらええわ、あんなところで行き倒れとんのやしどうせ行くあてもないのやろ」といって、皆で名前を考え始めた。鬼の子は、何も理解しなかった。一人がしゃがれた声で、

「ふるちんのこいつを包んだんが藍で染めた布やから、染太郎でええやろ」といった。

「もう少し考えたらなぁ」と他がいい、

「思いついたんでええのや、考えてたらきりないで」と答え、また別の声が、

「ほんならここにおるのはみんな染太郎ちゅうことや、藍染めはここの暮らしの糧やでなぁ」といって皆笑った。鬼の子はそうして染太郎になった。声の主たちは人間といって、山をぐるり囲むように幾つかの村があり、里を成していると染太郎はあとで知った。

 

村で染太郎は手厚い介抱を受けた。村の者は皆かわるがわるにやってきては、これも食え、あれも食え精がつくで、この茶が効くでと、色々なものを持ち込んだ。そのまま染太郎は名付け親の声がしゃがれた村長の家に住むことになり、村人に染太郎を知らぬものはいなくなるとともに、みるみる血の気が差していった。といって、村の者と比べてみてもやはり青白いままだった。

染太郎は体力が戻って、外を歩くようになると、平野の景色に改めて見入った。山の端から遠々とひろがるそのなかにいて、なお遠々とひろい。塒がいくつもあるようだが、あっちからこっちまでが随分ある。犬やら猫やら牛やら馬やら見たことのない四つ足の獣がいて、皆ずいぶんのんびりしている。道を行くなかすれ違う人間たちは皆、「おう染太郎」といって食べ物をくれたり、飲み物をくれたり、同じ背丈の子供を呼んで遊ばせたり、そのうえ染太郎に何をしろともいわなかった。

染太郎は何が何やら分からぬうちに、幾日も村を縫い歩いて過ごしたが、そのうち段々はしゃぎ始めた。走る子供につられて走ってみてからだった。染太郎というのが自分のことだと分かって、呼ばれたときに走ってもみた。感じたことのない力を感じた。次第にそれがもう面白くて楽しくて、飛んだり跳ねたり、こっちから向こうまで、そればっかりで何度も往復した。それにつれて、声が出た。跳んで吸った息が、着地で吐かれて「あっは、あっは」と声が出た。これまたずいぶん愉快であったので、日がな一日、ぽんぽん跳ねては、「あっは、あっは」といっていた。村人もまたそんな染太郎を見てずいぶん笑っていた。子供らや犬や馬に教わって、色々な声を出すことを試し始めて、「おう染太郎」といわれれば、「おん」と吠えたし、「染太郎遊ぼう」と呼ばれれば、「ぎゃあ」と叫びながら駆けていった。駆けていった先でいなないてみせた。村人たちは、「細身のくせに力のある子や」といって、色々に手伝いもさせ始め、頼りにした。お前がいると助かるといわれると、染太郎は牛のように体をくねらせて応えた。

そうこうして、村で居場所を与えられ、人間の生活というものに混じり込んでわけもわからずに、ただ誰も自分に向かって圧倒的な力を持って対応してこないばかりか、大して自分と変わらぬような姿の者達のなかでは、むしろ自分が力を持って振るうことのできるというのが少しくすこしく理解され、染太郎は背丈相応の、いや、そのなかでも立派な役割を伴って扱われていった。

しかし、どんなに村に馴染んでも、染太郎はやはり他の子供らとは何かが違った。大人顔負けの力をみせることさえあった。大人が五人並んで繋いで半日引いても引き抜けないような切り株を、むんずと掴んで抜いてみせたし、耕すのに一周間はかかるような広い畑を一日足らずで混ぜ返し、どこにいても呼べば最初からそこへ居たような具合で現れるしで、皆何とも妙で不思議な子だと思うも、村にきた経緯からして不可思議千万であるから、聖とも魔ともつかないが、助かることはあっても困ることは無いのだからと、どれだけ驚くことを染太郎がしたところで、するたび毎に、えもいわれぬ妖しい魅力として村の者は皆染太郎に惹かれていった。小さな子供に何をされても大人しくしているし、同じ背丈の少年たちには、「こんなに青白くてなよっとしとんのに」と一目置かれ、娘たちには「他のガキどもとは違うわ」と慕われ、大人たちには「野良仕事がずいぶん捗るし、気のつく奴や」と重宝がられた。

 

そのうち、爺さんは染太郎に、自分の仕事を教え始めた。

「燕が飛んだら種まきや。南の方から連中が戻ってきたら、ぶり返して寒なることももうない」

といって、浅い畝の続く畑へ連れていかれ、藍の種をまいた。藍の種は小さな粒で、染太郎の手のひらでこそばゆく転がった。

芽を出した藍は、ふた月もすると大きくなる。大きくなると広い畑に植えかえる。土に踏み込むのを、染太郎は手伝った。梅雨に入ると、藍はまたうんと伸びる。

「立葵の花が、一番上まで咲きのぼったら梅雨明けや。梅雨が明けたら藍刈りや。刈るときは切り口を斜めにせなあかん。ひと月経ったら二番刈りや。斜めにしとかな、よう育たん」

平野の日差しの厳しさというものは、山とはずいぶん違うものだった。何にも遮られず、真っ直ぐまっすぐ差し込んでくる。それさえ染太郎には喜びだった。村の大事な畑仕事を、村の人間と同じように並んで進め、誰に彼にも隔てなく差す陽に照らされているのが嬉しかった。周りと同じことが、同じように出来るということが、染太郎を日々畑に運んだ。だから「そう毎日手伝わんでもかまへん」などといわれると、うんと哀しかった。

天日に干して、竿で細かく叩いて、からからに乾いた葉藍は、寝床に入れて水を打つ。石や砂や粘土を重ねて塗られた土盛りの寝床に、葉藍は染太郎よりも背高く積み上げられた。水を打っては切り返し、上から下まで混ぜ返していくと、藍はどんどん臭くなる。発酵して蒸し暑い倉庫へ裸足で入って、水を打っては切り返す爺さんや若者を、染太郎はずっと見つめていた。大きな柄杓から打ちひろがる水の滑らかな動きと、打たれる音。切り返すたびに若者の熱が移るかのようにあつくなっていく葉藍は、いよいよ何か大きなひとかたまりの生き物のように、むんむんとその生気を放つのだった。白く煙る倉庫の中で、水の打たれる音や、まぜ返される音がかけ声にまみれ、鼻をつくにおいによろめきながら、染太郎はずうっと見つめていた。

「ええか、これがすくもや」といって、爺さんは、かつて葉藍だった湯気立つ塊をひとつかみ手にとり、水を加えて竹べらで練って、「うん」といった。それからもう一握り掴みなおし、固く練り上げて、紙の上へ押し並べ、光に透かした。

それからすくもを瓶に入れて幾日かまぜこぜしていたと思ったら、爺さんはまた染太郎を呼んで、

「見い、これが藍華や。藍をたてると咲くのや」といって、もこもこした粘りのある泡の島の浮かんでいるのを見せた。それは黒びかりする赤紫で、染太郎は一目見て胸の高鳴るのを感じた。身の内の、奥底を流れる熱のかたまりを、直接掻き抱くような色だった。

「これが若い藍液や。数回できれいに染まるが大して強うない。ふた月もすれば薄うなるが、何度も染めて強うなる。よう見いや。わしの一番好きなときや」

そういって爺さんは、真っ白な糸束を藍液にのませ、からめ上げて竹に通し、ぎゅう、と絞った。のませた瞬間糸は、鮮やかな緑色にさあ、と染まり、空気に触れるとぎゅう、と藍色に染め変わった。

「な、綺麗なものやろ。これがお前の名前の由来や」

染太郎はその美しさに見惚れて、ポーっとしたまま、爺さんと川に染めた糸束を浸けにいった。川の流れの中で、藍に染め抜かれた糸束は、とても繊細で力強くきらめいていた。

 

ある日、手伝いの合間に少年たちと遊んでいるとき、村のはずれの林のなかで散りぢりになった。根方でもう一人と二人になって休んでいると、

「お前はこんなに細腕やなのになんでやの」と少年に腕を触られて、染太郎は固まった。少年の手はずいぶんと柔らかく、その触れ方はずいぶんと優しかった。鬼の一族の硬質な肌と、その重々しい対応しか知らずにいた染太郎は、んふふと鼻だけで笑って、身をよじった。恥ずかしがる染太郎を見て、少年も気恥ずかしくなり、手を離した。染太郎は哀しくなった。なぜもなく染太郎から少年の腕を触ると、その柔らかさに甘みを感じた。いったい染太郎がどんな顔をしていたのか、少年もまた触れ始め、何の気なしを装って、「不思議や」といった。それから二人して、足はどんなや、胸は、腹はどうや、背中はどんなやと、触りあった。掌からじんと伝わる甘い暖かみに二人して気が急いて、服など皆脱いで、裸身で抱きしめあった。少年は、

「こんなしてみると、やっぱりお前は奥の方にしっかりしたもんがあるようやわ」といって背中をさすり、「何や気持ええなあ」といった。染太郎は初めて自分の体の形を知った。

そのうち少年達といるあいだ、染太郎はしおらしいといえることさえあり、このときの少年がふいに、

「なぁ、染太郎に触ったことあるか、こいつ柔らかいねん、気持ええのやで」といったかと思うと、気付くと皆して触りあっていた。

「お前はここがええ感じや」

「お前はここや」

といいあってその遊びは続いた。隅から隅まで撫でまわして、眺めまわして、染太郎はついぞ知ることのなかった甘みの全身を満たしていく奇妙な心地に痺れてしまい、前に後ろに抱きしめあって、皆とその甘みを分かち合おうと静かな笑みを浮かべて夢中になった。人間の柔らかさに掌を沈め、牙も無い口腔を仔細に覗き、火を噴かない喉奥へ入るものは皆いれてみて、体の一部のとろけてなくなるようなくせに、恐怖の無い安寧な快感に緩みきった。自分もまたその感覚を皆にもたらすことができるという可能性を認めて、悦びというものを初めて芯まで覚えたのだった。

女の体はどんなやろと誰かがいい、染太郎を慕う娘子をひとり連れて、皆でさぐった。なんやこの胸、この尻、なんやこれ、といううちその非常な柔らかさに皆夢中になって触れあって、妙に変容した体を互いに戻しあってはまぐわうまでになった。甘さに痺れて、だらしなく口など皆あいたままで、ほのかな熱を帯びて上気していく緩んだ体で、融け合ってひとつの生き物となるような、ただひとつのことに向かってもぞもぞと伸縮を繰り返す粘菌のような、純粋の衝動に突き動かされた営みは、いつも染太郎に、発酵して熱くなり臭気を帯びる葉藍を想わせた。そして、分離してまた一人となる寂しさを予感しながら、いつまでもこうであったらと願いさえした。染太郎らの遊びは終始そんな調子になり、幾年も続いた。染太郎は快楽というのを知った。ひっそりした場所で、皆して静かに興奮することの快楽だった。

 

体ができるにつれて、その妖しい魅力が一層匂やかになるのに気付いて、今度は大人達が染太郎を求めた。始めは野良仕事を終えたあとのひとときだった。村の男のひとりに連れ立って小便をしに繁みへ立ったとき、陽が紫色に染めるなかで、染太郎の青白さは玄妙に浮かびあがり、湯気たてる勢いで土を穿つ染太郎を見て男は手を伸ばし、村の大人というのはどんなやろと好奇の湧いた染太郎はそのまま身を任せた。子供らと違うふしくれた大人の大きな量感のある指で、野良仕事に汗ばんだ髪を梳かれ、撫でられ、かきわけられて、染太郎には友人達との快楽がよぎるとともに、質の違った安寧を感じた。かつて瀧や炎や山の傾斜の中途で感じた何か大きな力に、愛撫される心地であった。平野の広がりのような、限りの無い肯定に迎え入れられていく道筋を、そこに見て取るようだった。果たしてさんざ探し尽くした気になっていた融けあう心地の原泉は、より深くさぐり当てられ、羽のある山の生き物の如く身を軽く感じ、それでもなお自身の形のあることさえ教えられるようで、染太郎は鳥や虫にならなくともあの自在な躍動を、身の内に宿すことができるのかという感動でむせび泣くほどだった。村の男はそれを勘違いして染太郎を案じたが、それさえ染太郎にはよろこびとして満ちひろがった。いつか酒の席で、男がやにわに堰を切って、染太郎の甘美をとめどなく喋り終えると、男達はたまらず我先にと染太郎を求め、子供時分の遊びよろしく皆して互いを享受しあった。

はたして娘達ともそんな調子であった染太郎は、その女親やその間の歳にある女達ともまぐわった。染太郎の哀切極めたような微笑と温もりは女たちをかつて無い優しさで充たし、反してその身の躍動の荒々しいまでの力強さは快楽の原泉をどこまでも深く貫き通し、誰もかもが染太郎を見てはみだらな姿態を陰に露にしに行かずにはいられなかった。

村に染太郎の甘美を知らぬ者はもうおらんやろという頃になって、爺さんの具合が悪くなり、床に臥せる爺さんの傍で染太郎は介抱していた。あるとき爺さんに、

「もう駄目と思うわ。染太郎、お前はあんじょうやりや」といわれて染太郎は何が駄目だか分からなかった。爺さんは、「どうにも気持がわるい。悪すぎて身をよじるのも億劫や」というので染太郎はよくしてやろうと、猫のように舐めつくしてなぐさめた。染太郎にはそれが最上の良薬としてあったのだ。爺さんは恍惚として、染太郎に礼をいうとその日のうちに死んだ。染太郎には死が分からなかった。礼をいわれて喜んでいた。村人たちは、老人を弔い、死が分からずにいる染太郎が日毎に不安定になっていくのを憐れに思って、皆してあらゆる愛情を向けて慰めた。

 

日々の暮らしが戻るうち、染太郎は立派な青年になったが、独りでいることに底知れぬ恐怖を覚えて、染太郎は昼夜の別なく激しく村人達とまぐわった。そうでなくては染太郎は自身の端からぼろぼろと崩れて形を失い、消え去るような気がしてならなかった。

あるとき娘が訪ねてきて、やや子ができたという。染太郎は爺さんの死んだことで刺さった棘が、溶け落ちていくような心地がしてずいぶん喜び、娘とその家で一緒になった。

桂子というその娘は、年が十九で染太郎よりいくらか上だった。体のしっかりした女で、骨太な丈夫さに豊かな肉感の柔らかさを備え、つんとした小さめの目が、笑うと少し下がるのが可愛らしかった。

桂子は機織りが上手だったから、家にはほどなくして、機織りの音と、桂子の唄う声が響くようになった。

ねんねんねこのけつに

かにがはいこんだ

かにだとおもったら

けむしだったよ

「それはどういうことや。なんで蟹と毛虫を間違えるん」

「そんなん私もしらんで」

子どもの産着やおむつはもちろん、蚊帳、手ぬぐい、染太郎の野良着まで、桂子は織り上げた布で拵えていった。

次第しだいに張ってくる桂子の腹をさするのが、染太郎はとても好きだった。暖かく、薄く伸びた皮膚の下で、ずしりとした厚ぼったい存在を確かに感じる。腹に頬を耳まで寄せて、桂子を抱き留めていると、桂子は染太郎の頭を撫でた。染太郎の目から水が出た。

「何を泣きよるん」

「え? …ほんまや」頬を伝い、腹の上へ流れる水の出処が、自分の目だと知って、染太郎は驚いた。のそりと顔を離して起き直ると、むしろ涙は勢い増した。

「わぁ、なんやこれ。わけわからん」

「染ちゃんは、あほやなぁ」といって、桂子は笑っていた。

村の者も皆自分の子でもあるかのように喜んで、機も織れないほど腹が大きくなるにつれ、あれやこれやと世話を焼いて、万端の準備を整えた。皆の悦びそのものとさえいえる染太郎の目出度い出来事に、もう今までのようには享受しあえないだろう快楽の名残惜しいような切なさも相まって、端留めの打ちようのない欲望の暴れを、なだめすかすにこれ以上ない好機であるとの思いも、村の者にはあったろう。桂子には羨望と同時に微かな嫉妬も向きかけたが、それを包んであまりある村人総身の家族愛みたものへとすぐに変転し、染太郎の子を今かいまかと待ちわびた。

ところが、心待ちにしていたやや子が産まれてみると、赤児のくせに真っ青だというので大変な騒ぎになった。染太郎は青い赤児をひと目見て、よりいっそう青くなった。まるで人間の如く暮らしてきたが、自分は紛れもなく鬼の子であったのをまざまざと悟ったのだった。村人たちが躍起になってあらゆる手を尽くすうち、青い赤児は村中に響き渡るような声でけたたましく泣いた。その勢いの凄まじさに、村人たちはそれまでの不安を吹き飛ばされて、「こうしてみれば全く染太郎そのものや」と涙目で笑った。染太郎だけが別の理由で泣いていた。

染太郎の子は、村人皆に可愛がられ、すくすくと育った。来る人来る人、

「可愛らしなあ」

「この子はどんなになるやろ」

「染太郎によう似て立派になるねんやろなあ」

「うはは、笑てる笑うてるで、いうこと皆分ってるようや、立派になるらしいで」

「ほんまに可愛らし、賢い子や」

「丈夫に育ちや、なあ染太郎、あんたに似て強うなるやろなあ」

と口々に言うのだった。染太郎は言われるたび、ははと笑って、「そうなったらほんまに皆のお陰ですわ」といってごまかすのが精一杯だった。赤児が泣いても笑っても、無垢な顔して眠っていても、可愛いと思えば思うほど、父である自分の出自が頭でうねり、体が床にどっと引き込まれて行くように根が生えて重いのだった。

赤児が這いつくばって進むようになった頃、染太郎は自分の子を見ておぞましさを感じることの増してくるのを覚えて、恐ろしくなった。その這いつくばった姿に、縛られて転がされた自身を重ね、きゃいきゃい無邪気に求めてくれば来るほど、どうしてよいか分らずにばんざいしたまま抱きつかれて寒気さえして、村の人らに囲まれて面倒みられているのを見ても、有り難いことと思いつつ、内心苛つくのを抑えていられず、人のないときに畳を静かにひとつ殴ってみたりもする。

それがあんまり苦しいので、染太郎はひとりで静かに心の整理をつけたいと思うようになった。ふい、と初めてあの山を正面から見据えた。どこに居ても、見まいとしても、目の端に、すっと入ってこちらを見詰めるあの山の頂を、自分はもう一度見なくてはならない。人の暮らしに甘えて縋って、無視して、努めて忘れていたが、どんなにしても忘れられるものではないのだ。なによりこのままでは赤児があんまりだ。「そうや、この子のためや」と責任見つけて肚を決め、染太郎は爺さんが死んで村の中心を担った男の許へ出掛けてゆき、自分の産まれたところへ一度報告がてら帰省して、自分の出自を確認したいと申し出た。男はそれを聞いて、

「言われてみればそれはそうや、お前は村にはなからおるような気でおったが、お前、どこから来たんや、覚えてるか」と尋ねた。

染太郎は胸の奥へぎゅうと吸い込まれる心地がして、目を伏せながら山を指差した。それを見て、

「あの山越えてか、そらまたえらい遠くやな、せやけどお前やったら二十日もすれば、戻ってこれるやろ、訪ねていったらええわ」と染太郎の近頃では老人の死んで以来、見たことのない気弱な姿を案じて言った。染太郎は「あの山の向こうやなくて、あの山の頂や」とはどうしても言えないまま、馬も断り、村人の拵えてくれた飯と荷を持って、一人で歩いて山へ向かった。染太郎を継ぐ者として名付けられた赤児の染継が村で愛されることはよく分かっていたので、桂子ともどもよろしく頼む、とだけいって、染太郎のかつて拾われた辺りまで、見送りに来てくれた村人達と分かれた。

染太郎は明けて間もない平野の道を、陽を背負って聳える山へ向かっていくうち、ずんずんと暗がりに気持がのまれた。「なんで我が子がおぞましいのや、なんでや、なんでや」と思いながらもそれは判然としていた。

「俺が鬼の子やからや、人間面してきゃいきゃい暮らしとったが、俺は出来損ないの鬼の子や、ほんだら染継も鬼の子や、できそこないの鬼の子の児供や、人間の血も混じっとるから近頃白さがかってはきてるが、鬼の子の児は鬼の子や、出来損ないの鬼の子や」

というところで、やにわに青い赤児を抱いて喜ぶ村人の顔がいくつも浮かび、一緒になった桂子の顔を思い浮かべて、

「せやけど俺は、せやけど俺は、そうや、立派にここまで大きゅうなった、村一番の力持ちやぞ、せや、見返したんねん、出来損ないちゃうぞ、もうちゃうねんぞ」と村の者らの愛情に腰を押されて、山へ山へと足を運んだ。

 

山へ入ると、いつだか落ちた池にすぐに辿り着いた。水面は風の走るのに小さく揺られて、陽を細かくこまかく笑わせて、「こんなに綺麗なものやったのか、こんなに近いとこやったのか」とかつての自分の力の無さを染太郎は笑った。それに勢い得てぐんぐん山を登っていった。頂きに着くと、変わらず鬼の一族はそこで猛々しく暮らしていた。一族の姿をひと目見ると、染太郎はハタと止まって立ちすくんだ。意気込んで来てみたはいいけれども、自分は一体ここへ来て、何をしようというのだろうか。いや姿を見せるのだ、それだけで十二分だ、これだけ丈夫に大きくなったのだ、よし行け、さあ行け、と思えど思えど、体がどうして動かない。そうして自分の足先見詰めてじいっとしていると、染太郎に気のついた鬼が突き進んできて、「何だお前は」と詰めよって吠えた。その勢いに驚くに任せて、意外なほどにすんなり出た声で、

「俺は染太郎や」というと、

「そんな奴知るか」と吠えて躍りかかってきたので、

「いつかの鬼の子だ」と叫ぶと、その鬼はひたと止まって染太郎をしげしげと眺め、何とも乎ともつかない妙な顔で首を傾げたが、すぐに考えるのを止めたらしく、一族のところへ染太郎を連れていった。

染太郎のかつての家族は、拍子抜けするほど静かに、彼を迎えた。鬼にもなれずに、死んだとばかり思っていた鬼の子が、幾年も経て戻ってきたことに驚きを隠せずに戸惑っていたのだった。体はいまだに青白いままであるが、丈夫に大きくなった染太郎を見て、「そうか」といっただけで迎え入れた。つい今しがたまで猛々しかったのにと、染太郎は事のすんなりいったのを感じて笑いさえした。その声は大きく、太く、山に響いた。

 

十日経ち、二十日経ち、ふた月、み月がすうと流れて、一年が過ぎた。ある夜、年に一度の一族総出の大宴会に列席し、かつての鬼の子の父は染太郎に、「お前今までどうしていたのか」と聞き、染太郎は人間の村に拾われて、育てられていたと話した。かつての鬼の子の父は豪々と笑い、

「そうかそうか」といって酒を呑んだ。染太郎は、

「そうだそうだ」といってやはり酒を呑み続けた。こうして一族の並びにまじわって、太く大きく声立てて、陽気に酒を酌み交わすうち染太郎は何とも違う満足を感じて、得意であった。

その夜、塒のやはり一番冷たい暗がりで、寝ていた染太郎は、悪寒に目を覚ました。塒には誰もおらず、小便をしに外へ出ると、やはり誰もいなかった。さすがに妙に思って、山の頂きへ一族の積んだ岩に登って、辺りを見渡すと、遠くに赤い輪が山の周囲を巡っているのを見た。酔いもあって染太郎は、

「綺麗なもんや、一族の宴の夜とはこんなものが見られるのんか」と初めて参加する一族の席を感慨深く思った。塒に戻ると、どうにも眠る気がおきず、塒に誰もいないのを改めて不審に思い、厭な予感に駆られて、染太郎はどうにもたまらず飛び出していった。山の中腹を過ぎて鬼の一群に出くわし、幾分ほっとして、努めて何でもないように、「なにしてたん」と尋ねた。鬼たちは、

「おうお前か、起きてきたのか、なにをしてたもなにも、お前の親父の案で人間の村があると聞いてな、こうだよ」といって、口いっぱいの焔を噴き出してみせた。「ほれみろ、なかなかよく燃えているだろ」と遠くの赤い一筋を指さし、「眠りこけてるなんて残念な奴だ」と豪々と笑った。人間どもがどんなだったと語り始める鬼たちを突き飛ばして、染太郎は瀧のように走った。

白み始めた夜のなかで、かつて村のあった場所は一際暗く、一際赤く燃えさかっていた。染太郎は豪々と泣き吠えて、みるまに炎をかき消すと、くすぶる村へ飛び込んでいった。何もかも燃え去っていた。黒こげの塊がいくつもいくつも転がっていて、それが村人だと気付くと青さが抜けるような勢いで染太郎はすがりついて泣いた。一枚の布の端片さえみとめられないほど焼けて、その匂いが鼻をついた。体に染みいった村の地図でもって、焼け果てた黒こげの、粗い土の混ぜ返されたような一帯を、染太郎は自分の家へ駆けた。辿り着いてみてもそこにはどうして、なにもない。わずかに寄り固まって見える黒塊を認めては、染継! と叫んで走り寄るも、ぐちゃぐちゃに転げた鍋薬缶などの連なりであった。そこいら中引っ掻き回して、染継どころか、桂子の姿さえ見出せず、はたとひとつの考えに行き当たり、必ず染継を抱いて逃げたはずだと村の端れに向かった。

向かうなか目に入る黒塊に、幽かに整理された村の家並を覚えては、ここは誰の家、そこは誰の家と、体で勝手に想い起こして、それぞれの各人がしてくれた事の様々に揺さぶられ、染太郎はそのままそれを振り落とそうとするかのように走った。村のはずれへ来てみても何も認められず、錯乱して身悶えし、焼けずに生きてあるなどと、微かに希望もないではないが、その姿かき抱かぬうちは、どうにもしようがないのだった。

足元の乱れで蹴躓き、土に転げるといやに静かで、天の星のぼやけて光るのさえ憎かった。ふと川の音の聞こえているのに気が付いて、火から逃げるのならばそこに違いがないと飛び上がり向かった。果たして川に村人はいた。皆死んでいた。ただ焼けているばかりか、川で染めた糸束を洗うのに使う棒杭に、片腕やら半身の胴体やらが焼けくすぶって絡まっている。誰の腕とも分らない。見れば見るほど無惨であった。村人は皆千切れてばらついた、満足な五体の塊のない、黒ずんだ様ばかりで、身の内を川に洗われている者の方が多く、異形の魚が屍体を喰っているかのように、肚腸が泳いでいる。染継も桂子もないどころかどれひとつ、誰の別ない有様だった。

染太郎は歯ががちがちと鳴って、全身が小刻みに震え、その場を早足にぐるぐると歩いたが、おさまるどころか震えはどんどん大きくなり、肚のなかまで波打ち、涙が出て、声が漏れると止まらなくなった。腹ののたうちまわるに任せて、自分をはたいたり、地面をどつきながら七日間泣くと、体から青みが失せた。

続く七日を自分の大事な人も、子供も、居場所も、藍も、奪いつくした鬼に対する怒りに震えて、真っ赤に体が染まりあがり、湯気が立ち昇った。

続く七日を、膨れあがって抑えきれない、いくつもの感情のうねり暴れるままに、豪々と吠え通して、顔が歪み、牙が生え、一本の角が鋭く伸びた。

続く七日で、愛し愛された村人も村も跡形無く消し炭になった原因が、紛れもなく染太郎自身にあることの、身をちぎられるような哀しみに呑まれ、情けなさが雲を呼び、悔しさは嵐を生んで、雷鳴が轟いた。

染太郎は、山の頂きに飛び帰ると、かつての鬼の子の父親をふん捕まえて、引き千切った。かつての鬼の子の父親は、ちぎられて尚染太郎に、

「おう鬼になったか、それでお前も一丁前だ」と豪として笑った。

それを聞いた染太郎は、鬼と化した元凶をひきちぎってなお深くなるばかりの怒りに囚われて、その生首を踏み潰し、踏み潰したその足に向かって倒れるように突っ伏して、両手で地面を叩きつけた。「なんにもならん、なんにもならん」

怒りはいや増すばかりで、肚がひくついて空の胃の中身が吐きいでて、息苦しさに嗚咽がもれ、吐き切って尚ひくつく肚に、ぶたれるように全身が痙攣し、開いた口の形で出ているだけの音で泣き叫び、頭に羽虫の湧いたように混乱することしきりで、やにわにすっと何かが抜け出ていくように脱力し、その目付きだけで射殺さんばかりに静かに青く焔を揺らし、鬼の一族をことごとく殺した。もはや染太郎は、一丁前の鬼どころか、鬼自体を遥かに越えて、鬼神と化していた。かつての鬼の子の父親を焼き尽くし、手当り次第に他の鬼を引き裂き、踏み潰し、噛み砕き、かつての鬼の子の母親も姉も妹も八つ裂きにして、山を村の先まで燃やし尽くした。それから一族の積んだ頂の岩を砕いて屹立し、凄まじい声で吠えあげて、その声の響いた一帯を鬼神と化した力によって治め、口を真一文字に引き結んで、めくれあがるほどに眼を見開くと、そのままみるまに石化した。

幾年も幾年も過ぎて、山にも野にも樹々が繁り、虫が生まれ、獣が戻り、鬼神によって魔の差し込む余地のない一帯は、のどかに命の躍るようになった。
それからまた幾年も過ぎて、あるときはるばる旅を続ける僧侶が山へ入った。頂で岩の鬼神が、砕かれた岩の上へ屹立しているのを見て、僧侶は経をあげて、その岩の端を寝床に借りた。夢に鬼神が顕われて、「人間によってもたらされた愛情が、我に於いては鬼の一族を通して、その光ある故に影を一層濃く際立たせる呪いとなった。呪いのままであることがなにより哀しいから、此の山の麓へ里を成せ」と告げた。

僧侶は告げられたとおりに岩の鬼神を祀ってお堂を建て、山を開いた。その鬼神の力を伝え聞いて、山の麓へは人間が方々から集まるようになり、鬼神を詣でて里を成し、慣習因習あらゆるしがらみを脱ぎ捨てて、自由を求めて愛情深く暮らした。

 「こうして出来たんが、あんたらの暮らすこの里やで」

と婆さんが語り終えると、鬼神様の面を付けた子供たちは、鬼神と化した染太郎の真似をしながら、お堂を駆け下りていった。松明に照らされた境内に、鐘と太鼓が響いている。

 


「生きろ。そなたは美しい」