人生は「自分のバス」運転するようなもの
怪我が治ってきて、やっとフットサルができるかと思ったら雨で中止。
しかたなくいつもより早めに飲みだして、書いている。
Twitter・ブログ・noteを継続的に書くようになってわかったのは、「自分のメンタルの状況で、どんどん言葉が出てくるし、全然出てこない時もある」ということだ。
一度noteの更新が途絶えたのは心に余裕がなくなったからで、また更新しだしたのは心に余裕ができてきたから。
「書く」だけに限らず、人間ってそんな感じなのだと思う。
めずらしく真面目だな。
下ネタで調整を入れておこうと思ったけどやめた。
少し前、娘に「人生は自分のバスを運転するようなもの」だと思う、という話をした。
あっているかは知らないけど、車でも電車ではない気がしたからだ。
自分の人生なので、物心がついたら自分で「自分のバス」のハンドルを握り、運転する。
それをさせるのが親・大人の役目だ。
「自分のバス」にはいろんな人が乗ってくる。
保育園・小学校・中学と環境が変わるたびに、たくさんの人が「自分のバス」に乗ってきたり、降りたりする。
バスの乗客は自分で選べる場合もあるし、選べない時もある。
それでも「自分のバス」を上手く、良い方へ運転しなければならない。
「自分のバス」の乗客と楽しい時間もあるだろうし、かけがえのない時間も過ごすだろう。
逆に、乗せたくもないのに「自分のバス」に乗ってきて、好き勝手する人もいればトラブルを起こす人もいる。
特に気を付けなければならないのが、『自分のバスのハンドルを触ろう・奪おうとする人』だ。
何者でもないサラリーマンだが、それなりに「自分のバス」を運転してきた。
「自分のハンドルを触ろう・奪おうとする人」は、結構な頻度で存在する。
経験則でいうと、「自分のバス」のハンドルを誰かにさわらせる人・奪われている人も結構な頻度で存在する。
あなたは「自分のバス」のハンドルを、自分だけが握っているだろうか。
助手席にパートナーを乗せ、アドバイスを聞きながら自分でハンドルを握るのは全然良いし、むしろそうするべきだ。
ただ「自分のバス」のハンドルを誰かに触らせたり・任せてしまうのは絶対に違う。
どんな人であれ、自分の人生を生きているのであって、誰もが「自分のバス」を運転するべきだからだ。
失敗しても良い。
良い乗客がいれば、「そっちは違う」と教えてくれる。
まずは「自分のバス」のハンドルをしっかり『自分』で握り、誰にも触らせないこと。
良い乗客を乗せ、アドバイスを聞くこと。
「なんか、かっけーなー」というバスを見つけて、真似してみること。
が大事なのではないかと考えるようになった。
私は42にして、2年間いた会社から転職をした。
社内に「自分のバス」のハンドルを全力で奪おうとする人がいたからだ。
あの手この手で「私のバスのハンドル」を奪おうとしてきて、マジでビビったし、あんな人は初めてだ。
それが彼の「バスの運転の仕方」なのだろう。
付き合ってられないと感じ、転職という形で無理やり「自分のバス」から引きずり降ろしたし、まったく後悔はしていない。
私は2人の子供の親・サッカーコーチとしていろんな家族の形を見てきた。
個人的な感覚だが「子供のバスのハンドル」を一番、触ろう・奪おうとするのは親・大人だ。
「自分のバス」の運転の仕方を教えるべき人が、「子供のバスのハンドル」を触ろう・奪おうとしているのならこんなに悲しいことはない。
あなたはどうですか?
私も一番気を付けていることだし、「子供のバスのハンドル」に絶対に触らないようにしている。
いつか私の2人の子供たちの「自分のバス」から、降りる日がくるだろう。
早い方が良いと思うけど、私が死ぬまで乗せてくれても別に良い。
ただ「子供のバス」の良い乗客でありたいと思うし、早めに降りる方だと思うので良きパートナーに恵まれるよう願うばかりだ。
めずらしく真面目だな。
おっぱい。
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