ヤバい先生の話

※このお話はフィクションです。

「なかなか来ませんよ、その程度の子は」
 スマートフォンの小さな画面の中でメガネをかけた1人がそう叫んだ。可笑しくなって、何度も見ているのだが、やはり笑ってしまう。安い缶チューハイの缶が手から落ちそうになる。

 見ていたのは「東京03」というトリオの芸人のコント動画である。高校の教師が2人、職員室で談笑しているところにその高校のOBが挨拶に来る。2人のうちの1人が当時の担任だった、ということを打ち明けるのだが当の本人はOBを思い出せない、という設定だ。当時は眼鏡をかけていなかったんです、など、ヒントを貰うも担任は思い出せず、特に相談に乗ってもらったり、ヤンチャして担任の手を焼いたりしていたわけでもないのに思い出せるはずがなかろう、つまりは「その程度の子」なのに思い出せるわけがないのになぜ母校に来たんだ、というわけだ。


 東京03のコントはどれも好きでたまに見返すのだが、この「やってきた卒業生」という名前のコントだけは特に好きで、自宅での晩酌の肴に何度も見てしまう。
 それは他ならない僕が、「その程度の子」だったからだ。ちなみに僕も、卒業後に眼鏡をかけた。コントにオチがつき、再び笑う。


 

高校時代の、というより今もそうだが、僕は勉強が出来るわけでも、スポーツに秀でているわけでも、容姿が優れているわけでも面白く気の利いた話や受け答えができる快活なわけでもない、いわば「普通」の生徒だった。というより下の下。
 てこずらせるほど悪の道に染まってはいなかったが、優秀とはお世辞にも言えず、クラスのヒエラルキーでいえば間違いなく一番下の人間だった。
 通っていた学校は「半」進学校、のようなところで、それは読んで字の如く、名の知れた進学校ほど名門大学に入学させていたわけでもないが「ほぼ全員を大学に入れますよ、その中でも国立や有名な私立大学に入れるくらいには勉強に力を入れてます」というスタンスの学校だった。事実授業時間は夜の7時まで組まれていた。
 だから先述の通り「勉強が出来ない」という特徴は、特徴足り得るようで足り得なかった。つまりどういうことかというと、クラスで僕に居場所はなかった。

 「まったくお前はこんな問題もできないのか」といった旨の「イジリ」を、よく先生はしていた。その「イジリ」をされる生徒は「クラスの勉強出来る度ヒエラルキー」の中ではかなり上位の生徒で、それも面白い受け答えのできるいわゆる「先生のお気に入り」だったものだから、僕のような勉強のできない、かつ他に誇れるような面白い特徴のない生徒は、戦争中に敵の戦闘機による爆撃や機関銃掃射を塹壕で耐え忍ぶようにイジリを聞いているしかなかった。なぜならその問題どころかほぼ全部、僕にはわからなかったからだ。


 余談だがすみっコぐらしというキャラクターにとても親近感が湧いた。僕と違うところはかわいいところだ。僕はまったくかわいくない。体育館裏のじめじめとしたすみっこで蠢く足の多い虫のようだった。
 今思えば何の特徴もない、暗くてじめじめとした「バカ」に対してある種、手を焼いていたのかもしれない。真相はわからない。
 その後、僕はといえば地元の大学にぎりぎりで合格し、卒業後は大学で学んだことと一切関係のないスーパーマーケットに就職した。



 「矢場セン」を思い出したのは本当に偶然だった。


 勤務先のスーパーマーケットでお客さんから注文があった。それは僕が受けたわけではなく、別の部署、卵の売場を担当している先輩が受けたのだけれど、とにかくその注文書を見れば僕の母校、例の半進学校だった。文化祭か何かで使うのだろうか、100個ほどの卵を注文していた。


「あ、そこ母校です、私の」
 別に意識したわけではなかったが、ぽろっと口から出ていた。
「え、そうなの?じゃあ頭良いんじゃん」
「いや、良くないですよ。いつも試験ではワースト1位争いでしたし」
「なるほどねえ」
 何が「なるほど」なのかはわからなかったが、特に会話に意味を持たせたかったわけではないのだろう、僕から目を逸らすと注文書とパソコンの画面を見比べてカタカタとキーボードを叩いていた。
「それじゃあ知ってる先生とかいるんじゃない?」画面を見ながら話しかけてくる。
「どうでしょうね」
 そこでふと浮かんだ顔が、当時高校2年から3年までの2年間、生物を教えてくれた「矢場セン」こと矢場先生だった。
 最初に担任を思い出さなかったのが自分でも不思議だった。



 矢場先生、通称矢場セン。
 当時年齢は30代前半だっただろうか、実年齢を聞いたことがなかったのでわからないが、教師生活10年目、という言葉の似合う、若くはないが老けてもいない、溌剌とした成人男性だった。ふわっとした髪質で清潔感があり、癖なのか口角が常に上がっているのも手伝ってかとても好印象だった。厳しいか厳しくないかで聞かれれば間違いなく厳しくない先生だったが、かといって生徒から舐められているわけではなく、ハキハキとした喋り方や分かりやすい授業展開がむしろ気に入られており、よく授業後に生徒から個別で質問を受けていた。
 教師陣からも気に入られており、彼の悪口やからかいを聞いたことはなかった。

 僕も例外ではなかった。とはいえ、典型的な「勉強ができないくせに、人見知りゆえに気軽に歳の離れた年上に話しかけることもできない」少年だったために矢場センと2人で会話をしたことはなかった。せいぜい授業中睡魔に負けてガクガク頭を揺らしている時に「もう少しだから頑張ろう」と声をかけてもらっていたくらいだ。それも1度か2度。
 矢場センと呼んでいるのも周りがそう呼んでいたからで、僕が彼を呼ぶことはなかったのだけれど、数少ない友人との会話や頭の中で登場する彼の呼び方は「矢場セン」だった。
 なぜ矢場センなのか。それは彼の「忘れっぽさ」に起因していた。

 授業をしに教室に来てから今日使うプリントや説明用の教材を忘れたのを思い出し職員室に走って戻るのはしょっちゅうで、それだけならまだ良いのだが、授業開始と同時に今自分が教えている単元がどこかを忘れてしまったり、実験中に手順を忘れて教科書を睨むこともあった。初任ならまだしも、恐らく10年、彼は大学でも学んでいたという専門の生物を教えていたはずだった。
 そんな忘れっぽさがヤバい、忘れっぽいヤバい先生、ということで名字にちなんで「矢場セン」となったのだと誰かが話していた。

 自分でも忘れっぽさを気にしているらしく、いつだったか、
「この間講演会で会った人にさ、かなりの人数だったんだけど、『お久しぶりです』とか『これはこれは矢場先生』とか言われてさ、困ったよね。1人も思い出せないんだこれが」と授業中に溢していた。
 その前、講演会で会う前に名刺もらっとけばよかったじゃん、と生徒の誰かが突っ込んだ。
 すると、
「いや、教員って名刺持たないんだよね。持ってる人もいるだろうけどさ、お偉いさんくらいだろうからさ、それに、顔と名前が一致しないといけないからさ、顔写真付きのじゃないと意味ないかも」たしかに。
「人の名前と顔覚えるのもさ、苦手なんだよなあ」
 しかし、クラスの生徒の顔と名前は名簿を見ずとも一致していたようだった。そこはさすが教師、と言うべきなのであろうか。
「ごめんごめん、話が逸れて、で、何だっけ?何話してた?俺」
 教室が笑い声で包まれる。僕も笑った。

 矢場センを思い出すと、他の科目の先生も思い出した。同時に当時の勉強漬けの日常が思い出され、勉強漬けなのに試験で良い点の取れない自分も思い出されてしまい、つらくなった。母校に良い思い出は、あまりない。



「じゃあ小口くん、行ってくれる」
 え、僕ですか、と聞きたくなった。
 小口くんとは僕のことで、行ってくれる、とは車で僕の母校へ例の100個近い卵を届ける、という業務のことだった。
「わかりました」考えるより先に返事が出ていた。母校に行きたかったからでも、気分転換に店の外に出たかったわけでも、ない。上司の命令には逆らえない、悲しきサラリーマンの性である。今も昔も変わらないと思う。
「そうか、じゃあよろしく頼むね」
 そう言って課長は社有車の鍵を渡してきた。ついでにガソリンも入れといて、とプリペイドカードのようなものも渡された。経費で落とされるらしい。当たり前か。
 どうやら当初は課長が届けるはずだったが、直前で別のお客さんからクレームが入り、その対応で母校へのお届けが間に合わなくなりそうだったので、近くで暇そうにしていた僕にたまたま勅命が下ったようだった。
 なんて日だ。心から。


 慣れないワンボックスカーを運転しながら、かつ荷台の大きな段ボール箱に入った卵を気にしながら、思う。

 卒業生と名乗るか否か。

 別に名乗らなくてもいいのだが、ただ実際、ちょっと名乗ってみて、誰一人覚えている先生がいなくて「やっぱり僕は誰にも覚えられていなかったよ」という話のネタを作っても面白いな、と自虐的に考えていた。高校時代の友人は数少ない(というより2人くらいしかいない)が、大学時代の研究室仲間や会社の同僚との飲み会で披露してつらい高校時代と折り合いをつけたかったのかもしれない。
 考えた結果、名乗らないことに決めた。

 というより、結果論だが名乗るようなチャンスがなかった。校門で警備のおじさんに用件を告げると、駐車場と事務所を案内された。駐車場は校舎の裏側にあり、事務所の裏口のドアがその一階、駐車場のすぐそばにあった。そのため今も2階にある職員室に向かうのも億劫になり、つまるところどうでもよくなったのだった。
 事務所は裏口のドアを使ってください、と警備のおじさんに言われたため事務所裏口の無機質な茶色い鉄製のドアをノックし、段ボール箱の中身を見せて卵が一通り割れていないことを確認してもらい、代金を受け取って車に戻った。
 車まであと5メートル、というところだった。
 
 出張に向かうのか、それとも何か講演会に出席するのか、矢場センが、向こうから歩いてきたのだ。
 矢場センと気付いたのは、彼が肩からかけた自分の鞄をまさぐりながら歩いていたからだ。「あれ?どこいった?ないぞ?もしかして忘れてきた?」という漫画の吹き出しが見えるくらい、風貌も大して変わっていない彼は僕が卒業して5年ほど経つ今も、何かを忘れているようだった。
 その様子が可笑しくて思わず名前を呼ぼうとして、やめた。

 「誰だっけ?」となるのは目に見えている。東京03のコントと、先程までの「思い出してもらえない自分、滑稽」という自虐を思い出し、今更ながら自分がいたたまれなくなったのもある。
 が、一番は彼のような良い先生の、忘れっぽさという唯一の欠点を結果的に責めてしまうことになると危惧したからだ。生徒に慕われる先生を気まずい雰囲気の中に引き摺り込むのは気が引けた。
 ズボンのポケットから車の鍵を取り出し、ドアの鍵口に挿し込む。会えてよかったです、先生。忘れっぽさ健在ですね。口に出すことなく、別れの言葉を頭の中で再生しながら鍵を捻った。

「小口、さん?いや、小口?」
 いつの間に近づいていたのか振り返ると矢場センが立っていた。不意を突かれ、言葉を失い硬直する僕に
「小口だよね?5年前くらいに卒業した」
 と声をかけてくる。

「え、まあ、はい」
 お久しぶりです、とか、お世話になりました、とか気の利いた台詞は出てこなかった。
「やっぱりな、いやあ、変わってないなあ、眼鏡かけてたからわからなかったよ、居眠り運転、してないか?」
 ニコニコしながらくり出される居眠り運転の下らない冗談が手伝ったのか、急速に目頭が熱くなってくるのがわかった。下を向くと彼の履いているスタイリッシュなデザインの運動靴が見えた。目の前がぼやけ始め、口を真一文字に結んだ。

「そうそう、名刺作ったんだよ、待ってな、今渡すわ、顔写真付きのやつでさ、教員の社会で顔写真付き名刺を渡す文化のパイオニアになろうと思ってさ、あれ、どこいった?たしかにここにしまったと思ったんだけどな」


 ヤバいですよ矢場セン。
 この程度の子覚えてて、名刺のしまい場所忘れるとか、ヤバいです。


 

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