決して剣を抜かなかった剣の達人、勝海舟
「無心にして自然の妙に入り、無為にして変化の神を窮(きわ)む」
これは勝海舟(1823〜1899年)が講道館館長、嘉納治五郎(1860〜1938年)に寄贈した書である。
この書から、勝海舟の高い教養と深い美意識を推し量ることができる。
さて、『究極の剣術とは』
合気道の達人、塩田剛三氏は、ある時、弟子に「合気道で一番強い技はなんですか?」と尋ねられた。
すると塩田氏は、「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」と言ったという。
この塩田氏の話で坂本龍馬が初めて勝海舟に会いに行った時の話を思い出した。
時は文久2年12月9日のこと。
幕府政事総裁職の松平春嶽から紹介状を得た坂本龍馬は、門田為之助、近藤長次郎と共に、当時幕府軍艦奉行並であった勝海舟の屋敷を訪れた。
その時、坂本龍馬は「今宵の事ひそかに期する所あり。もし公の説明如何によりては、敢えて公を刺さんと決したり」と、場合によっては勝海舟を刺し殺す覚悟で勝邸を訪ねている。
海舟自身も後に「坂本龍馬。あれは、俺を殺しに来た奴だが、なかなかの人物さ。その時俺は笑って受けたが、落ち着いていて、何となく冒しがたい威厳があって、良い男だったよ」と回想している。
結局、この時の出会いで勝海舟は坂本龍馬を弟子にしてしまった。
そして、その後の龍馬の運命さえも変えてしまう影響を与える事になる。
多くの剣術では「後の先」つまり「相手が先に抜いてから、相手を切る」
これぞ剣の達人と言われる。
しかし、究極の剣術は「先の先」つまり『相手に刀を抜かせない事』に行き着く。
勝海舟の差料は、名刀「水心子正秀(すいしんし まさひで)
剣と禅を極めた彼だからこそ使いこなせた剛刀だ。
しかし彼はそれを決して抜くことはなかった。
・
成願義夫 記
よろしければサポートをお願いします。 着物業界の為、着物ファンの為、これからも様々に活動してまいります。