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驚きのウルトラマリンブルー

その名も『群青の間』

日本の建築は白、黒、茶、朱、ねずみ、木肌色、等の色調で纏められている事が多いので、写真のこの鮮やかな群青色は新鮮ですね。

この建物は、江戸時代に建造されたというのが驚きです。

これは前田家(加賀)の奥方の為に建てられたという

『成巽閣』 

群青の間より続く書見の間も意匠を凝らした数奇屋風書院の造りで、群青の間の様に折上天井の蛇腹および目地には白群青、壁は紫、床壁は鉄砂と、床柱、ギヤマンなど小さな空間を意匠が縦横に飛び交っています。

群青色(ウルトラマリンブルー)はラピス・ラズリ(鉱物)を砕いたもので、その色と輝きは半永久的に褪せないと言われています。

ラピス・ラズリは、様々なものに使われていますが、古くはツタンカーメンの黄金のマスクに見られる青色がそれにあたります。

正倉院の宝物にも見る事ができ、シルクロードを通じてやってきた日本人の憧れの色でもありました。

日本の青色は主に藍から作られた植物由来の染料が元となっているため、このような鮮やかなブルーは当時の日本人には未知の色でした。

江戸時代はヨーロッパから輸入されていたので、とても高価だったと思います。

説明(以下、ホームページから転載)

文久3年(1863)、奥方のため兼六園に建てられた建物は巽御殿と呼ばれました。 金沢城から見て巽の方角(東南)にある事、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていた事にちなんでこうした名前が付けられたのでした。 十二代奥方、隆子(眞龍院)は折に触れ、縁側を下りてお庭である兼六園を楽しまれた事でしょう。 前田家十三代齊泰は母君にあたる十二代奥方に対して細やかな心配りに満ちた優しく雅な空間を造り上げました。 十二代齊廣の遺した竹沢御殿の善美な部分(謁見の間・鮎の廊下)を移築し、西洋からの素材(ギヤマン・高価な顔料)も融合した色彩豊かな住まいで十二代奥方、隆子(眞龍院)は晩年を過ごしたのでした。 十三代齊泰は同時に竹沢御殿の跡地を整備し曲水、植栽を加え霞ヶ池を広げて今日ある廻遊式庭園にしたのでした。

明治三年隆子が巽御殿で生涯を終え、所轄は国、県、前田家と推移し歴代の天皇、宮様をお迎えする役目も果たして参りました。昭和13年に旧国宝、昭和25年に重要文化財に指定され、財団法人成巽閣として運営されて参りましたが、この平成24年に公益法人として認定され、現在は公益財団法人成巽閣となりました。

http://www.seisonkaku.com/index.html

#和文化デザイン思考 講師

成願義夫

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成願 義夫(ジョウガン ヨシオ)
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