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容花 第一話



―――笹沼美里の日記より抜粋


6/17

いまごろ私の家のベランダで、びしょびしょに濡れてしまっているであろう洗濯物のことを考えながら1日を過ごした。まだ梅雨は真っ只中だ。数少ない晴れ間、という言葉を信じた今朝の自分をほんの少しだけ呪う。不意に誰もいない部屋に1人帰るのが嫌になり、残業をする。今日は金曜日だ。

例の件について佐々木さんにメールを送る。返事は今のところない。


6/18

ふり続ける雨のせいで僅かに頭が痛い。そのせいか何もやる気が起きず、夕方近くになってようやく米を炊いて、それを冷凍した。

夜、大学の同期と電話する。気がつくと日付が跨いでいた。


6/19

急遽翔太と会うことになる。婚約指輪を左の薬指にはめていったら翔太はとても喜んでくれた。これから毎日つけようと思う。

駅ビルのレストラン街で食事をし、それからテナントを見て回る。文具店のショーケースの前でふと足をとめる。2人とも職業柄かこういうのにはいつも心を惹かれる。どちらからともなく「節約しなきゃね・・・」という話になり、店を後にする。


6/20

上京したての頃に住んでいた街へ取材。

道中、気になる雑貨屋を発見。昔はこんなのなかったぞ。


6/21

佐々木さんからメールが返ってくる。アサガオの家の事件があったころ、彼女はその内情について口を開いた数少ない卒園生の1人だ。事件当時に20歳の彼女は29歳になっていた。

取材の依頼は断られた。家族がいるので、というのがその理由だった。

不意をつかれたと思った。佐々木さんからのメールは短く簡素なものだったが、今の私にはその気持ちがよくわかる。

幸せになってほしい。

今日も雨が降っている。


6/22

森本蓮さんの職場からメールがある。本人が取材に応じてくれるとのこと。

安堵すると同時に、いざ事件の当事者と対面することが決まると、どことなく怖気付いている自分がいることにも気付く。

実家のリビングで、連日放送されるアサガオの家のニュースを食い入るように見ていた、女子高生の頃の自分を思い出す。それから、両親が交通事故で亡くなり、おばあちゃんに引き取られた遠い昔のことも。

森本さんがいまどんな生活を送って、どんなふうに世界を見ているのかは分からない。それでも過去は消えないのだ。彼から見たら、自分は本当に幸せなのかもしれない。私には友人もいて、職場の同僚や上司との関係もまあ良好で、翔太がいて、何よりおばあちゃんもまだ健在だ。だからこそ、メールの行間からもう1人の自分がこちらを覗いているように思えてならない。


6/23

おばあちゃんに電話をする。おばあちゃんは最近、周囲の勧めでようやくLINEを始めたらしいがまだ全く使いこなせていないので、電話で話した方が早い。それにどうしても声を聞きたい気分だった。お盆は翔太も連れてお墓参りに行こうと思う。


6/24

翔太に帰省の件を相談したら快諾してくれた。翔太がいつの間にかおばあちゃんとLINEを交換していて驚愕した。私その話知らないんだけど!

明日は森本さんに会う。


6/25

森本さんとはichikaで会った。私のお気に入りの場所だ。

すらりと背が高く、穏やかな青年だった。9年前は14歳。当たり前だけど少年の面影はもうない。

初対面ということもあり、いきなりアサガオの家についての話はあまり聞くことができなかった。私に勇気がなかったのかもしれない。その代わり、アサガオの家に入ることになった経緯について、細やかに話してくれた。心中を図った母親に巻き込まれ、彼だけが生き残ったという。森本さんは「僕、そんなにかわいそうな人間じゃないですよ」と言っていた。真意は分からない。彼の目がどこを見つめているのかさえ、分からないけど、彼はきっとまだ深い森の中にいる。そんな気がした。







ーーーこの場所がいつまでも、わたしたちのことを守ってくれるといいね。

オトズレ
名前のない演劇祭・青 参加作品

「わたしたちの基地」

【脚本と演出】

坂本樹(オトズレ)

【出演】

藤束遊一(藤一色)

川合凜

くつかけまな

【声の出演】

佐倉ゆい花(街の星座)

【スタッフ】

照明 豊川涼太(街の星座)
衣装・メイク Mu-
ドラマターグ 藤束遊一(藤一色)
映像 有馬武蔵(青幻燈/wokome)
運営補佐 宮本菜穂
運営補佐 サテライト☆ちぐさ
宣伝美術 阿部えれに(オトズレ)
演出部・スチール コトデラシオン(十六夜基地)

【日時】
8/15 20:00〜
8/17 15:00〜
(上演時間は約60分を予定)

【会場】
新生館シアター(北池袋駅徒歩30秒)

【料金】
2,000円 各種割引等有


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