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オトズレの活動休止について

2月に上演した「白夜の帳」の千秋楽の朝、私は貧血で起き上がれなくなり、集合時間に1時間以上遅刻しました。その後開場中の音響卓で再び貧血を起こし、めまいと震えの中、千秋楽を見届けました。

いつも千秋楽の幕が上がった瞬間、私の書いた作品が私の手を離れていく感覚を持っています。演出家としての責務から離れ、ひとりの観客として暗い客席から舞台の眩しさを眺める時間が私は好きでした。それが当たり前のことで、自分の書いた作品が世界で一番面白いと、ずっと信じていける筈でした。

この時は、そう思えませんでした。

最後まで自信の持てなかった作品が自分の手を離れてしまった。もちろん、出演者やスタッフの皆様は作品のために全力を尽くしてくださいました。ただ、自分ひとりの責任、自分ひとりの力不足でこの事態が引き起こされてしまった。
その事実が耐え難い重さでのしかかり、音響卓のフェーダーを操作する指先は冷え切っていました。

「ーーーきっと、あの人にはどうしても見せたいあの人の世界があるんでしょう。でも自分の思うように演出をつけるだけの実力が自分に備わっていないことが、(中略)ようやく分かったんでしょう?
本当はもう演劇なんてやめたいんじゃない?」

そんな台詞が舞台上から聞こえてきました。

そうか、これが私の本心だったのか。

APOFESは受賞を逃しました。公演のたびに目減りする通帳の残高。感染症で公演が頓挫するリスクを抱えながら稽古を進めること。崇拝し、密かにその背中を遠く追い続けていた演出家が演劇をやめたこと。会社勤めをしながらの兼業作家であることへの劣等感。進まない筆。20代の頃の無鉄砲を最期まで悔やんでいた父の死。
執着心から、ワークショップや演劇関係者の集う企画へ足を運んだこともありました。しかし、演劇に対して前向きな気持ちを抱いている方々に羨望を抱くだけの結果になりました。暗い客席から舞台を眺める、あの感覚を思い出しました。私の眼には彼らが、ただ眩しく映るばかりでした。そこに私の居場所はもうありませんでした。

本当に、全てが限界でした。

しかし、劇団員の春江澪の存在はその時期の私にとって有り余るほどの希望だったことも事実です。春江さんにこれからどんな役を演じてもらうか、どんな台詞を書くか、その想像を膨らませることは殆ど依存に近い幸福でした。

だからこそ、限界を超えて走り続けてしまったのだと思います。

オトズレはここで立ち止まることになりました。
前へ進むわけでもなく、道を違えるわけでもなく、そして演劇をやっていなかった頃へ踵を返す訳でもなく。活動休止という中途半端な決断になったことは端的に、今の私が劇団という組織を背負って次の一歩をどこかへ踏み出すための余裕と気力を持ち合わせていないことが理由です。その決断を下せるまで、劇団の活動を少し休ませてください。

また活動休止中も私個人としての活動は続ける見通しです。それは私が気力を取り戻し、そして願わくば前へと視線を向けられるようになるための営みだと理解していただければ幸いです。

今後とも坂本樹、並びに春江澪をよろしくお願い致します。

2023.10.26 坂本樹(オトズレ)

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