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『君と宇宙を歩くために』僕らが奇跡的存在であると教えてくれた


『君と宇宙を歩くために』(泥ノ田犬彦)が素晴らしい作品なので、ぜひ多くの方にお読みいただきたいです。
どんなところが魅力的なのか、そしてなぜ我々は物凄いのか(奇跡的存在なのか)について考えていきたいと思います。
本稿を書くために第1巻を読み返したのですがまた大泣きしました。
ネタバレはしませんが内容に触れるため未見の状態でお楽しみになりたい方はご注意ください。

■人物紹介

小林大和。勉強や覚えることが苦手なヤンキー高校生。バイトが長続きせず自分は普通ではないのでは、と悩み始めている。
宇野啓介。転校してきて小林の同級生になった星が好きな少年。顔と名前を知らない人と話すのが苦手で不測の事態に対し極端に弱い。大きな音や怒鳴り声を聞くと固まって動けなくなってしまう。

■どんな漫画か

ヤンキーの小林くんが宇野くんと出会うことでこれまでの自分の本当の気持ちに気づき成長していく作品。
その小林くんに助けられながら宇野くんも高校生活を謳歌していきます。
他にも小林くんの親友で宇野くんに嫉妬する高校生朔くんや、人付き合いが苦手で厭世的な天文部部長の美川先輩など、感情移入しやすい人物が登場します。
彼らが「この宇宙(複雑な日常)」を共に歩いていく青春漫画です。

■自分の感情に気付かされる

日常生活が上手に過ごせない宇野くんは様々な行動手順が逐一書かれている手帳を常に持ち歩いています。
例えば、«朝起きたらすること»として、「布団を畳む、うがいをする、顔を洗う」などが書かれています。
他のページには「悔しくても泣くのは家に帰ってからにする。→何が悪かったか考えてみる。①お姉ちゃんに聞いたり相談してみる。」と書かれています。
そして小林くんは家で泣く宇野くんの姿を目の当たりにするのでした。
その後バイト先で恥ずかしくて悔しい想いをした小林くんは、怒りでごまかし逃げるのではなく謝罪して一歩前に進むのでした。

僕は記憶することが得意なのですが
沢山のことを同時に行ったり臨機応変にすることが苦手です
答えがわからないと迷います
そして失敗してしまいます
わからないことがある時は一人で宇宙を歩いているみたいです
上手にまっすぐ歩けない
それを笑われたり怒られたりすると怖くて恥ずかしい気持ちになります
でも僕は宇宙を歩きたい!

『君と宇宙を歩くために』1巻43P〜45Pより


小林くんは周りからバカだと思われるのが怖くて「学ばない、やらない」という選択を取り続けてきました。
だけど「みんなが当たり前のようにやっている事(バイトの作業など)が覚えられないのはヤバいのでは」と不安な毎日を過ごしていました。
小林くんには宇野くんの凄さを認め尊重する心がありました。
素直さとも言えるでしょう。
尊重する相手が行っていることだからこそ自分をごまかさずに恥ずかしさや悔しさを認めて一歩前に進めたのです。

これは我々にも当てはまるでしょう。
本当は感謝を伝えたいのに照れくさくて茶化してしまった経験はありませんか?
相手に怒りを伝えるべき状況なのに自分の尊厳をすり潰して笑顔の仮面を貼り付けてしまった経験はないでしょうか。
この作品は「自分の感情に気付いてあげられるのは自分しかいない」という当たり前の事を改めて教えてくれる作品です。

■複雑な日常に気付かされる

題名にあるように日常は宇宙です。
我々は意識していないだけで、数え切れないほどの膨大な選択を常に選びながら行動したり発言したりして毎日を生きています。
宇野くんは手帳に「日常マニュアル」とも言えるようなことを細かく列記していて、それでも日常は宇宙のように広大なため、予測できないことが起きてしまいます。
人それぞれに宇宙があって、それが交わるのですから予測できないのは当然です。

朝起きてから家を出るまでの行動が苦も無く出来る人と、ひとつひとつメモを確認しなければならない人がいて、簡単に出来る人は自身がいかに複雑なことを毎日こなしていたのかに気付かされるでしょう。

僕が好きな例え話に「フレーム問題」というのがあります。
人工知能の不可能性を説明する時に使われるものですが、つまりは人の知能がどれだけ再現不可能かを表現したものでもあります。
僕は扉を開ける時に「異世界に繋がってるかも」と不安になることがありませんし、道を歩いてる時に「隕石が直撃するかも」と怯えることもありません。「国際テロ組織にスカウトされたらどうしよう」と悩みませんし、「僕の中身が機械だったらどうしよう」と不安になったりもしません。
(最後のは不安にならない代わりに哲学的思索として楽しく思考実験を重ねていけますが)
これらを考えずに日常を過ごせるのは、我々は意識せずとも行動の基準を枠で囲っているからです。
「起きそうにないことは起きないだろうし、不測の事態が起きたらその時に対処しよう」というフレームです。

この日常は複雑です。
何気なく言った言葉に深く傷付く人が居たり、人生を賭けた決断が何も社会に影響を与えなかったりします。
階段を使って登れば足腰が鍛えられて健康的になるかも知れませんが、エレベーターを使ったことによる時間の短縮で不思議な出会いが出来るかも知れません。でもエレベーターを使ったせいで他の人は乗れなくなってしまいます。
わかりやすい大きな禍福だけじゃなく、ほんの小さな差異が膨大に集まり解きほぐせないほどの塊になっているものです。
日々の行動は遠くの未来の遠くの場所へ壊滅的な環境負荷を与えているかも知れません。

■最後に

この作品の素晴らしさは、「友達になることは掛け替えの無いほどの奇跡であり」、そして「宇宙のように広大で複雑な日常でも誰かと共に歩いていける」、ということを教えてくれるところにあります。
日常は先が見えず暗くて予測不能なので不安でいっぱいです。
だけどこの作品が教えてくれたように、「自分の感情に気付いてあげられるのは自分しかいない」ということと「日常はそもそも複雑で予測不能である」ということを心に留めておくことで生きやすくなります。
みんなが当たり前だと思っていることはとてつもない奇跡が幾重にも積み上げられたものなのです。

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