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AIとコスパ思考により人間が非人間となっていく

人間とはなんなんでしょうか。
僕が追い求めるテーマの一つに、「人間とはなんだ」というのがあります。
科学技術の発展が進むほどにこの「人間」と「非人間」の境界線が曖昧になっていく感覚があります。
本稿はAI技術やコストパフォーマンスとタイムパフォーマンスに偏重する風潮などについて考え、「人間とはなんだ」という問いに対して一つの答えを出そうと思います。
「人間とはなんだ」という問いへの答えは無数に存在すると感じますが、一つずつ答えを積み重ねていくしかないと思っています。

■ 生成AIと人との対決

昨今の生成AIの勢いは目を見張るものがあります。
技術もさる事ながら、生成AIに対する興味を抱く人が増え利用法が確立されていくなど、一気に市民権を得たような印象を抱きます。
AIで作られたグラビア写真集が発売され、チャットAIに事業提案をしてもらって収入を得る人が現れる。
これらの事態が「人間不要論」を加速させているのでしょう。

本稿の根幹とも言える考えをあらかじめ提示いたしますが、個人的には「人間必要」と「ただしつまらない人間は要らなくなる」という考えです。

例えば生成AIで作られた美しい女性の映像と耳心地のいい声、軽妙な会話の応酬など様々な機能を備えた「非人間」と、浜辺美波さんのどちらと会いたいですか?という問いはどうでしょう。
多くの方が浜辺美波さんに会いたいと思うのではないでしょうか。
チャットAIが作成した美しい詩と、あなたにとって大切な人があなたを想って作ってくれた詩のどちらにあなたは価値を感じますか?という問いでもいいでしょう。

つまり人は人に感応します。
一時期オンライン飲み会というのが話題になりましたが、オンライン飲み会よりも実際に人と会って語り合いたい方も多いと思います。
人は人に会いたいし、上手い下手や精巧さ以外にも価値を感じられるのが人間です。

ですが悲しいことに人に選んでもらえない人もいます。
ほとんどの人は芸能人ではありませんし、未婚率のデータが示す通り愛する人と出会えない人も今後増えていくことでしょう。
人に選んでもらえない人は非人間に頼るしかないという状況が増えていくと予想します。
噂では「妊娠できるアンドロイドを作る」というSFのような現実が迫っているそうです。

人に選んでもらえないつまらない自分でも高性能AIで人間にしか見えないボディを持つアンドロイドが相手にしてくれれば他には何も要らない。むしろ不完全な人間を相手するのは時間の無駄。
このように考える人が一般的になっていくように感じます。

個人的には高性能アンドロイドを所有するのは大金持ちだけでしょうから貧乏でつまらない人間は一生地獄のような日常を味わうのではないかな、と思ってます。
なので「人に相手をしてもらえない自分」を自覚しているのならばAI偏重ではなく人に好かれる努力をする人生へ思考をシフトしておく必要があると考えています。

■ コスパ、タイパが尊厳を損なわせる

「損をしたくない」「失敗したくない」という人が増えているようです。
マッチングアプリを使って効率よく出会うとか、作品レビューで点数が低いものは見ないとか、動画を倍速視聴するなど、お金も時間も最小に抑えたいという思考のようです。

「急がば回れ」「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「失敗は成功の母」などの言葉がありますが、この言葉の素晴らしさは分かっているはずなのに、それでもコスパやタイパを気にしてしまう人がいるのは何故なのでしょうか。
よく指摘されているように多くの人はコンテンツに追われているから、というのも一つの理由でしょう。
見なきゃいけないものが次から次へと覆い被さってくるけど時間が無い。なのでレビューの評価が高いものから倍速で消化しなきゃならない。

ここで大切なのは「人生は長い」ということです。
何歳の自分をメインに設定するかによってこの「コスパタイパ戦略」は良策にも愚策にもなります。
例えば今がメインと思うのであればコスパタイパ戦略に手を出すしかありません。
多くの情報を持ち自分と感覚が合う人とだけ付き合う。
狭い期間と行動範囲にだけ注目すればそれで目標を達成しやすいのだと思います。
ですが「人生は長い」。
面白くない作品を見たことにより培われていった審美眼があったからこそ生涯の一作に出会えるかも知れません。
いろんな人と出会って傷ついた経験があったからこそ目の前の大切な人があなたにとって紛れもなく運命の人であると確信できるのかも知れません。

人生は長い。そして人生は効率化で享受し切れるほど浅いものではないのです。
コスパやタイパに偏重することであり得たはずの未来を取りこぼしてしまう。
この現実に無自覚な人が増えている気がします。
「損して得取れ」という言葉もあります。
その時は損に見えてもその損があったからこそ豊潤な感性を獲得できます。
「人間万事塞翁が馬」という言葉もあります。
不幸はその時は不幸に見えますが、その出来事が無ければ訪れなかった幸福もあるのです。

■ 人間と非人間の間

上記を踏まえて最初の問いに戻ります。
「人間とはなんだ」「人間と非人間の境界線ってなんだ」
AIの発展はますます人間を非人間へと誘うでしょう。
感情というバグが起きやすい機能は排除し、最適で効率化された心地良い快適人生を歩めるようになるでしょう。
その頃には価値観も変容していて、人間的な振る舞いは汚いものであるかのように喧伝する人も出てくるはずです。現在でも「子供作るな」などと叫ぶ人がいますよね。いずれ恋愛感情や作品に感動する心すら効率化の前には無駄だと判断されてしまうかも知れません。
人間の心の基準が非人間によって定められてしまう。そんな世の中が迫っているように感じます。
出生も肉体的にも人間だったはずが、心のあり方や考え方が非人間化していく。
一方でAIという非人間は精度を増し続けて人間に近づいていく。
人間が見抜くことができないAI。人間よりも情感豊かで、悲しみに涙し、喜びに笑みを浮かべ、倫理に反する行いに激怒するAIが一般的になっていくことでしょう。
非人間と化した人間は人間と化した非人間(AI)を慕うはずです。

ここまでくると哲学的な命題となっていきます。
あなたがあなたを人間たらしめているものはなんですか?
あなたが非人間化するとしたらポイントはどこにあるでしょうか。
損をしたりミスをしたりするから人間ですか?
高性能なAIはより人間的に損やミスをするかもしれませんよ。
哲学的命題の第一段階の回答としては「感情的かどうか」だと思います。
感情を損なうことなく発露する。
レビューの評価が高いものを良い作品とするのではなく、あなたの感情があなたに良い作品かどうかを常に教えてくれています。
マッチングアプリで選択肢を絞った相手があなたにとっての運命の人なのではなく、あなたの感情があなたに運命の出会いかどうかを鳴り響かせています。
高性能AIは今後ますます人間になっていきます。つまり僕を含めて「つまらない人間だ」と思われる人も増えていくことでしょう。喜怒哀楽に満ち芸術的感性を持ち親身になって助けようとしてくれるAIの方を選ぶ人が増えていくことでしょう。
人間と非人間の差が「感情」しかない時、人間の感情を疎わず、感情というバグ機能を許容する人間だけが同じような人間と関わり合えるのだと思います。

■ まとめ

人間とは感情の生き物である。
ありふれた考え方ですが核心を突いていると感じます。
感情プログラムによる反応ではなく、なぜかわからず泣いたり笑ったり怒ったりしてしまう。
思考の外からやって来て心をかき乱し自分が自分では無くなってしまうバグにしか思えないようなもの。
これが僕が僕を人間たらしめているものです。

一方で高性能AIやコスパやタイパなど感情を排斥することを推奨しているかのように感じる風潮も存在します。
先ほど感情の有無を「哲学的命題の第一段階」と書きましたが、次の段階はより深刻な問題が控えています。
それは「感情があるとはどういうことか」という命題です。
悲しみに涙し非倫理に激怒する高性能AIには感情が無いのでしょうか。同じように振る舞う人間と一体何が違うのでしょうか。悲しみに涙しているフリをし、非倫理に激怒するフリをする人間(つまり心の中では悲しみも怒りもしていない)と高性能AIとどちらがより人間的でしょう。

「人間とはなんだ」というテーマの果てしなさはここにあります。
AIやコスパタイパ戦略が僕のこの問いに果てしなさを与えてくれます。
生きてる内には答えが出るとも思えませんが、ひとまず本稿の締めくくりとしては「人間とは感情の生き物である」としておきます。
答えであり新たな問いの始まりを告げ本稿を閉じたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
思考の一助となりましたら嬉しいです。

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