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『ちいかわ』には名前が無い?不穏さの理由は家畜扱いに理由があった

『ちいかわ』が大好きになりました。
『ちいかわ』とは「なんか小さくてかわいいやつ」の略。
主人公の白くて丸っこいあの子です。
あのキャラクターを「ちいかわ」と我々は呼んでいます。
果たしてあの子の名前は本当に「ちいかわ」なのでしょうか。
そしてあの世界に不穏さを感じるのはなぜなのでしょうか。
今回は『ちいかわ』に名前が無い理由と、不穏さの原因について考えてみたいと思います。

■名前が無い世界

ハチワレ猫みたいな「ハチワレ」や、「うさぎ」「ラッコ」などなど登場しますが、個別の名前という感じではありませんよね。
「くりまんじゅう」に至っては食べ物の名前です。

一方で「むちゃうマン」「パジャマパーティーズ」など呼び名があるキャラクターも存在しています。
(パジャマパーティーズのメンバーはそれぞれ「みどり」「ぴんく」「しろ」「むらさき」と公式に名付けられています)

僕が違和感を覚えるのは、彼らは相手の名前を呼ばない、ということです。
ハチワレが「ちいかわちゃん」と呼んだり、「ラッコ師匠」と呼んだりはしません。
また、漫画上では個人を呼ぶ時に相手の顔が描かれています。どのように発話しているかは不明です。

ここから類推できるのは、『ちいかわ』の世界は名前が与えられない、もしくは名乗る事が許されない(自分に名前があると想像できない)世界設定なのでは?ということです。

■ちいかわ達を家畜として扱う

作品の不穏な空気感に合わせて嫌な想像をすると、名前が無いが労働を強いられるという点から家畜のような扱いなのではないかと考えてしまいます。
「鎧さん」というちいかわ達を助けてくれる存在もいますが、労働の管理や資本主義の推奨など、見方によっては助けているのではなく利用しているとも受け取れます。

ちいかわ達が家畜、鎧さん側が畜主と考えると、なぜ鎧さん達がちいかわ達に優しいかも理解できます。
助けているのではなく飼育・管理しているということです。
ちいかわ達が討伐できるように鍛えたり、草むしりをさせて環境を整えたり、朝の体操をさせて健康管理したりしているのでしょう。

討伐には鎧さんが参戦すれば良いようにも感じますが、ちいかわ達はみじんもそのようなことを考えていないのは、家畜としてしっかりしつけられていると考えられるのではないでしょうか。
(例えば乳牛は人間から搾乳しようとは考えません)

家畜と畜主という構図でもすでに不穏ですが、「討伐」というものがあるため、この不穏さはさらに加速します。

■人口管理と怪物化対策

先ほど乳牛の例を出しましたので、引き続き例えてみます。
この現実社会では乳牛を害獣討伐に駆り出すということはあり得ません。
ですが『ちいかわ』の世界ではケガの危険性や最悪捕食されてしまう危険性がある「討伐」という仕事が存在します。
繰り返しますがこの討伐には鎧さんが参加することはありません。
堅い鎧を身にまとい、すごい武器を所有しているのにも関わらず。

このことから、僕は2点理由があると推察しました。

・怪物化するちいかわ達の個体数を調整するためにあえて討伐に行かせている
・鎧さんも襲われてしまうため

順番にご説明いたします。

『ちいかわ』に登場する怪物の種類は大きく分けると下記の通りです。

・人型(山姥や魔女など)
・擬態型(ピンク色のウサギなど)
・友好型(けん玉おじさんなど)
・ちいかわ達からの変身型(「なっちゃったからにはもう…ネ…」のキメラやあの子など)

この内危険なのは「友好型」以外全てです。
その中でも鎧さん達が管理・調整できるのはちいかわ達、つまり「ちいかわ達からの変身型」です。
キメラ化してすぐの場合はちいかわらしさが残っている場合もあるため、鎧さん達の力ですぐに対処しやすいと思われます。
そして、さらに怖いのは、鎧さん達が「キメラ化する可能性のある個体を増やさないため、ちいかわ達と元ちいかわ達(キメラ)とで同士討ちさせているのでは」ということです。

推論に推論を重ねてしまいますが、以上のような場合鎧さん達はちいかわ達のキメラ化の原因を追究できていない、ということになります。
キメラ化の原因がわからない以上は、いつどの個体がキメラ化するかわからないから増やし過ぎないように調整しよう、ということです。
キメラ化したちいかわ達に対してキメラ化するかも知れないちいかわ達をぶつける。
倫理観が著しく欠落していますが、元家畜に家畜をけしかけているだけ、という倫理観なのでしょう。

■誰も繁殖しない

これまでをまとめます。
・名前で呼び合わないのはそもそも名前という概念が無い家畜だからでは?
・家畜に討伐させるのは個体数が増え過ぎないように同士討ちさせているからでは?


ここまで考えてみて、ふと「ちいかわ達や鎧さん達はどのように誕生しているのか」、という疑問が浮かびました。
この作品には親の存在や恋愛的なパートナーの存在が登場しません。
あくまで仲良しという範疇です。

第1巻冒頭の「こういう風になってくらしたい」という言葉につなげると、我々現代人が疲れ果て「ちいかわみたいになりたい」と流れ星に願うと、あのかわいらしくも不穏なちいかわ世界に新メンバーとして誕生するのかも知れません。
そしてその新ちいかわは、いつかキメラ化する可能性もあり、労働しなければならず、討伐対象に捕食される可能性もあるのです。
そして名前も失い、繁殖もできず、ただ小さくてかわいい他のみんなと戯れて日々を過ごしていく。

これが地獄と感じるか否かは一考の余地があります。

以上で僕の推察を終わりたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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