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出会えてよかった…、としみじみ思う原宿の「眞」、サヨウナラ

好きな店が閉店してしまう。
さみしいコトです。
理由はいろいろ。人気をなくして閉店を余儀なくされたというのでなく、お店をやってる人たちの高齢化とか健康上の理由とかでお店をしめるという例が、最近増えてる。
飲食店が大量に生まれたのが1970年から80年にかけてのことで、それからすでに40年から50年。
創業した人たちはかなり高齢。
その後を引き継いた人たちにしてもそろそろ引退準備をはじめて当然という、今はそういう時期なのですネ。

ボクのお気に入りの店のひとつがまもなく閉店。
原宿の「食工房眞」が今月いっぱいで閉店になるようですよ…、とフォロアーさんから教えてもらった。
それは大変。ご挨拶をしに行かなくちゃ…、とやってくる。

ビルの二階にあがる踊り場に準備中の看板がある。
でも見上げるとお客さんがいるように見え、おそるおそる中を覗いた。
ニッコリ笑顔でおかぁさんと目があった。
手招きされてドアをあけると「お暑いでしょう…、開店準備が遅れてごめんなさいネ、中で待ってくださいませな」と。
そして申し訳なさそうに「お知らせしないといけないことがありまして」っていうから、存じ上げておりますからって言って話の続きを遮った。
湿っぽくなるのは好きじゃないものね。

長いおつきあいのお店です。最初来た時にはお父さんがいらっしゃった。
お米屋さんをやってらっしゃった苦労の人で、ご飯を炊くのがメインの仕事。ご飯を炊き終え、お店の営業がはじまると娘さんの仕事を黙々と手伝って、いつもニコニコしてらっしゃった。

そのうちお父さんの姿がみえなくなってひとりの仕事がしばらく続き、お手伝いの女性が入り、入れ替わり、営業時間変わったりといろんなことがあったけど、いつも自然体で無理せず、なにごともなかったかのようにいつもの営業が続いて、何よりいつもおいしい料理があった。
最近、足を引きづられるさまが目立つようになっていたから無理せぬようにと閉店決断されたんでしょう。

お知らせの貼り紙なんかはありません。
おなじみのお客様には口頭でいう。閉店前のイベントめいたなにかがあると言うでもなく、8月1日にはなにごともなかったかのように営業が終わってしまっているのでしょう。
たしかにこの店一軒がなくなってしまったところで困るわけじゃない。でもここに来てももうこの人たちに会うことができないと思うとすごくさみしい。
そういう気持ちの近所のおじさんたちが続々やってきて、お店の中はたちまちにぎやか。

いつものようにいつもの料理をたのんで食べる。
かつ煮セットに小鉢をふたつ、今日のおひたしとじゃこおろしを追加する。セットにひじきの煮たのと漬物、味噌汁がつき、テーブルの上はにぎにぎしい。
たっぷりの玉ねぎに出汁。軽く煮込んで揚げたてのとんかつを切ってのっけて玉子をよくときかけまわす。蓋して強火でぶくぶく仕上げる。
たっぷり出汁を吸い込んで穴が沢山あいて仕上がる玉子がふっくら。煮えているのにパン粉はサクサク。揚がったばかりのカツの名残をたのしめる。
ご飯の上に切り海苔がパラッとふりかけられてカツ煮をひと切れ、出汁と一緒にふっくら玉子をのせると小さなかつ丼完成。ハフハフ食べる。

シャキシャキとした小松菜の出汁まで飲めるおひたしに、ピリリと辛い大根おろしに塩のおいしいじゃこもたっぷり。わかめの汁には七味をパラリとほどこして、お腹をぽかっとあっためる。
それにしても厨房の床はピカピカ。すのこをひいて濡れていないからズックで歩ける。厨房設備も鍋、釜もみんなピカピカ。あと数日でやめてしまうんだからもう磨き上げることなんてなかろうものを、それでも毎日磨いてしまう。
なにごともなきがごときの粛々とした営業に、みんなもなにもなきがごときふるまいで応えるというあたたかさ。
いつもは「またくるね」と言って帰る人たちが「お疲れさま」とか「本当にずっとありがとう」とか言ってお店をあとにする。ボクもニッコリ、軽く会釈しておごちそうさまと席をたつ。

二度とこの場所に戻ってくることはないだろうなと、それを思うと寂しいけれど、この店に出会えたことをシアワセと思うことにする。ありがとう。


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