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渋谷のチャーリーハウスが新宿のチャーリーとして生まれ変わった!

チャーリーハウスというお店がありました。
場所は渋谷。
公園通りの坂道をほぼ登りきったところの路地裏。広東風の湯麺の専門店で彼らはそれを「トンミン」と呼んでいた。
上等な上湯を使った上等な湯麺。本当においしいモノとは単純で余計なものを削ぎ落としたところに生まれるものなんだ…、としみじみ思わせるようなゴチソウ。ケレン味はなく、上品で繊細なのに迫力のある味は唯一無二。大好きでした。

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出会ったのはボクが20代の半ばの頃。
目立たぬ路地にあって、赤いテントが目印程度の商売っ気を感じさせない外観の店。それでも評判を聞いた人たちは探してわざわざやってくる。周辺は大きなビルもない住宅地のような気配があって、昼も夜も閑散とした渋谷の街と思えないほどのんびりとしたムードがあった。のんびりとした場所の商売はのんびりできる。
だから渋谷のお店は儲けてやろうというやる商売っ気が希薄で、代わりに旨い料理をひたすら作り続けたいという気持ちがひしひしと伝わってきた。
料理も独特。スープ麺と具材が別々にやってくる。具材の入らぬスープは雑味を持たず清々しくて、そこに別添えの具材を乗せて沈めてスープと馴染ませると味が刻々と変わってく。自分のおいしいポイント探りながらたのしむ食べ方がおもしろかった。

この店を訪れるためにわざわざ渋谷に来ることもあったほどに好きだったのだけど、2007年。閉店された。
やっていた方が歳をめされて続けることができなくなったというのが理由。今でもお店の前を通ると、レンガ造りの壁から突き出したアルミの太い煙突に、真っ赤なテントが見えるような気がしてどうにもしょうがない。
先日も、友人ともうあの湯麺を食べることができなくなって10年以上も経つんだね…、なんて話をしてた。

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そして昨日。夕食終わりに新宿の小滝橋通りを歩いていたら真っ赤なテントの下に真っ赤な看板発見。
その看板にはチャーリー湯麺と大きくかかれて、その下にはチャーシュー湯麺、パーコー湯麺の写真が並ぶ。
その写真がかつてのチャーリーハウスの料理のように見え、まさかと思って店名探す。

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入り口上にのれんがあってそこに「広東麺チャーリー」とあるではないの。
早速その場で調べてみたら、チャーリーハウスのご主人の甥っ子さんが12年の時を経て当時のトンミンを再現し、場所を新宿に移して開業されたんだとわかる。
すぐにでも食べてみたい衝動を、いやいや、お腹をすかせて来なくちゃ申し訳ないとその衝動をようよう抑えて日を変え今日の昼にくる。

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券売機でパーコー湯麺とチャーシュー湯麺のチケットを買う。
開店直後。
お店の中はボクらだけ。
ひとりで切り盛りするご主人と、昔話をしながら少々待って出来上がってきた商品をみて、あぁ、なつかしいとニッコリします。
まずスープ。塩がきっぱりとした力強さを感じるスープ。しかし後味スッキリとして旨味は繊細。歯切れ感のよい極細麺も昔のトンミンを思い出させる。

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カレーの風味がおいしいパーコー。ザクッと歯切れてムチュンと脂がおいしい叉焼も上等。スープにそれぞれの風味、旨味や脂が滲み出しコクが増してく。

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胡椒をガリッとたっぷり挽いて風味をつけるも、スープ自体の味は決して揺るがない。しかもスープをゴクゴク一滴残らず飲み干せる。おいしいなぁってしみじみ思う。

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ただ、これがかつて食べたチャーリーハウスの味とまったく同じかどうかはわからない。10年以上のブランクが記憶を曖昧にしてしまっているからそれはしょうがないこと。
けれどおいしい。今のブームのラーメンの味に味を重ねるようなスープの真逆にあるこのおいしさは希少で貴重。なにより無垢なスープ自分好みに育てていくこの食べ方がオキニイリ。
渋谷の街から新宿に移ってきたのはいい判断と思いはする。
ただ東京の一等地で店を再興したいというご主人のたっての希望からでしょう…、東京でも屈指のラーメン競合エリアの表通りという場所を選んで出店したのは果たして吉とでるのかどうか。
渋谷の店が隠れ家的だったのに対して、こういう目立つ場所はやる気を発散してしまう。商売っ気より「旨いもの屋」らしいストイックな一生懸命がこういう場所で保てるのか。ただそれだけが心配で、贔屓にしなくちゃいけないなぁとしみじみ思った。また来よう。


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