将軍を戦国スペクタクルと呼んでしまうのは勿体ない
ここしばらく火曜日が来るのが待ち遠しくてしょうがない。
Disney+で毎週火曜に「SHOGUN(将軍)」というドラマが配信されているんです。
それがどうにも面白くってしかも必ず泣いてしまうの。
そう公式ウェブサイトに紹介されている。
たしかに時代劇の体裁をとっている。
これからおそらく合戦シーンなどもふんだんに散りばめられるに違いなく、けれど「戦国スペクタクル」と言い切るのはあまりに勿体ない。
この物語の本質は「人の生き方」にあるのじゃないかと思うのです。
そこが居場所ではないはずの何者かがそこで必要とされ生きていくために懸命になる物語。
つまり「人生そのもの」を語りたい物語。
そして多くの人が居場所を探して苦しみ、居場所が見つからぬと不満ばかりを言うけれど、居場所はここと受け入れ覚悟を決めた人は強い。
「生き方」の物語でもあるように思うのです。
こういうドラマをみると、なんで日本のドラマや映画は薄っぺらくてつまらないんだろう…、って思う。
エキセントリックな表現がところどころにあったりもして外国製を感じることもあるけれど、昔の日本人ならこう感じただろうなぁと思うようなシーンが続く。
例えば前々週にこんなくだりがありました。
キリシタン毬子の夫が死を覚悟するんです。
毬子をまるで自分の所有物のように扱った無骨な武将が、彼女のために茶を点てる。
その姿が凛としてうつくしく、戦国時代の茶の湯文化の意味をしみじみ感じていたら「一緒に死んでくれ」というのです。
共に死ぬことで本当の夫婦になろうというのですネ。
それに対する毬子の答えが「おまえ様と死んで夫婦になるくらいなら千年生かされたほうがまし」と答える。
夫婦になるくらいなら千年ものとして扱われた方がいいという、これほどまでの拒絶に気持ちが震えました。
そんなドラマが毎回必ず数ヶ所用意されている。
なんで日本でこういうドラマができないんだろうってしみじみ思った。
理由をちょっと考える。
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