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信じることは切なく、信じぬことはさみしい

生きていると辛いことがあります。
少々のことがあっても、ほがらかに笑う自信があるボクも、ときに凹んでさみしくってしょうがなくなる。

信じていた人に裏切られる。

なぜ?って思う。
なにか悪いことをしてしまったのかと自問するも思い当たることもなく、気持ちがずっと宙ぶらりんになる。
なんで信じてしまったんだろうと反省もする。
そのうち人を信じることが面倒くさく感じたりして、するとそう思ってしまった自分のことが嫌になる。

人を信じることは勇気を必要とすることです。
信じたからといって相手がそれに答えてくれるかをはかるすべはないから切ない。
だからといって誰も信じず生きていくのはさみしいことです。

ボクもたくさん裏切られました。
特に会社の経営者として思いだすのも面倒くさくなるほど人に裏切られ、そういうボクが倒産という人の信頼を裏切ることをしてしまう。
それでもやっぱり人を信じたいと思うし、人から信頼されたいと思う。
信頼と不信の間でどう気持ちの折り合いをつければいいのか、ボクの経験もおりまぜながら考えてみようと思います。

信頼していた人に限って裏切るのってなぜ

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