見出し画像

ひとりで食べるということ

ふたりでいると当たり前だったことが当たり前じゃなくなる。

生活をともにしていたパートナーをなくすということはそういうことなんですね。
タナカくんをなくして3年以上がたってもさみしい気持ちがおさまらない。

特に「食べる」ことを思う存分たのしむことができなくなった。
特に夜の外食をほとんどしなくなっちゃった。
ひとりの外食がすべてさみしくというわけではないのネ。
ひとりで朝ごはんや昼ごはんを外食する人は多い。日本料理、フランス料理、中国料理にイタリア料理と業種を問わず、そこが食堂であれ気取ったレストランであれほとんどのお店がひとりでたのしめるような工夫をしてる。

でも夜にひとりで外食をたのしめる店は限られる。
それにね。
外食のクロージングは「たのしかったね」「おいしかったね」って思い出を共有すること。
ひとりで食べるとそれができない。
出張した先で食事をするでしょう…、それをブログに書いてアップする。
タナカくんはボクのブログを見てくれていて、出張から帰って「お帰りなさい」の次の言葉は「あれおいしそうだったね」だった。
それからしばらくお互いが食べた料理の話をしながら、明日どこで何を食べよう…、って話題に移る。

今でも食べたものをソーシャルメディアに書くのは、それを誰かに読んでもらって外食のクロージングをしている感じ。
空の向こうでタナカくんが読んでくれればいいんだけどなぁ…、って思いながら書いている。

ひとりになったときには何をしてもさみしくて、食べることへの情熱を失いそうになったことがある。
でも、思い出してみれば「食べる」ということがボクの人生の大部分だった。
食べることが好きだったし、得意だったし、それで「食べてもらうことをなりわいとする人たちを助けること」を仕事にしようと思ったし。
人との関わり合い方の多くを学んだのはレストランという場所でだったし、食に対する好奇心がボクの世界を広げてくれた。
だからひとりになっても食べ続けなきゃ…、って思ったわけです。


ひとり外食がさみしくない席

ここから先は

1,193字

ベーシックプラン

¥500 / 月
このメンバーシップの詳細

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?