創価学会の三宝論の変遷について

教学の基礎 昭和63年
仏宝ー日蓮大聖人
法宝ー本門戒壇の大御本尊
僧宝ー日興上人(118頁)

教学の基礎 仏法理解のために 2002年(平成14年)
仏宝ー日蓮大聖人
法宝ー南無妙法蓮華経の御本尊
僧宝ー日興上人 広い意味では創価学会(134-137頁)

教学入門 2015年(平成27年)
仏宝ー日蓮大聖人
法宝ー南無妙法蓮華経の御本尊
僧宝ー日興上人 広い意味では創価学会(272-274頁)

 昭和63年の教学の基礎は第二次宗門問題が起こる前。2015年の教学入門は弘安2年の戒壇本尊を受持しないとした教義改訂後の刊行だが、日蓮正宗と訣別した後の2002年の教学の基礎を踏襲している。孫引きで恐縮なのだが、今年発行された「創価学会教学要綱」においては、

仏宝は日蓮大聖人
法宝は「南無妙法蓮華経」
僧宝は創価学会(同書156頁)

法宝から御本尊を説明無く削除し、ただ「南無妙法蓮華経」とのみ、僧宝は日興上人を僧宝と明記せず。 ただ、創価学会HPの教学用語は現在('23.11.26)も従前の説明のままだ。

 日蓮正宗教学では法宝は本門戒壇の大御本尊であり、宗門と訣別する前は創価学会も日蓮正宗教学を踏襲していた。しかし、日蓮正宗と訣別し、弘安2年の本門戒壇の大御本尊を受持しないと教義(の解釈)を変更した以上、法宝も南無妙法蓮華経の御本尊と言い換え、さらには御本尊をも省くべき、という結論に達したのだろうか。同様に、日興上人を僧宝のままにしておくと、日蓮正宗の正統性を否定しきれなくなるので都合が悪いということか。既に御観念文からも日目上人を除いて、日蓮正宗を思わせる事物や言葉を排除していくことが創価学会の宗教的独自性を意味するのであれば、普遍性どころか坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと、歪んだ辻褄合わせを繰り返し続ける、まさに僧俗和合が叶わぬ現在、それこそ時代的制約がもたらす教義改変なのではないだろうか。

 従来の創価学会教学部が編纂した教学書の内容を変更している以上、変更の理由・根拠について説明しないのは会員に不信しかもたらさない。どうせ会員たちは小難しい教学書など今までも読んでいないし、教学要綱も読まない、あるいは買わないだろうと踏んでいるのか。新版御書や教学要綱の値段の設定が従来の同種の書籍より高額なことも併せて鑑みると、これを機に今一度教学に力を入れようとか、全会員に普及させようとする意図は感じられない。買わないなら買わないでよい、普及を図って下手に騒がれればやぶ蛇だとでも考えているかのようだ。現に組織において積極的に購入を勧めているわけでもないようだし、発表すればそれで済むとの魂胆であれば、現執行部こそ創価学会会員を冒涜しているということになろう。

 ちなみに日蓮宗の日蓮辞典(宮崎英修編)には、三宝として、「日蓮においては、仏宝とは法華経寿量品の久遠実成の釈尊であり、法宝とは法華経、更にはその肝心たる妙法五字であり、僧宝とは日蓮および日蓮の意に順ずる僧団である。」と記されている(97頁)。存外、現執行部の目指す処はこの辺りなのではないか。僧宝を日蓮の意に順ずる僧団、サンガとして創価学会であると規定し、法宝も妙法五字=南無妙法蓮華経、ただ、日蓮宗のいう法宝とは区別するために「」に入れる。あとは世界宗教としてブッダ=釈尊なので、日蓮本仏論のみ世代が変わる時を待つ。今までそうしてきたように。いつになるかは知らないけれど。でもそれで日蓮世界宗の旗揚げの機を窺うのなら、それこそちぐはぐなことではある。



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