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挫折から2年、歩みを振り返る。

さかきち

この2年、何があったか

一生胸に残り、離れない記憶は2020年2月と3月のこと。今から約2年前。2月、僕は一橋大学社会学部の二次試験を受けにキャンパスのある国立に来ていた。今回こそは、という緊張で手が震え、緊張からくる吐き気でフィジカルのコンディションは最悪。大の得意だった世界史の時間中、サクッと三問目の朝鮮史を終えたところで一問目の中世ドイツ史に戻るも分からない…「ドイツ農民戦争の時に人々が要求していたことを史料から読み取れ…農奴制の廃止以外に何があるってんだ?やばいやばい、どうしよ、A判定だっていうなのになんで分からないんだ…。二問目、資本主義の覇権の移り変わりについて書け…イギリスのパクスブリタニカからアメリカのパクスアメリカーナに移り変わるっていうアレか…うわ、近現代欧米史苦手なんだよな〜、まじかヤベェ。あ〜もうなんでもいいから教科書に書いてあったこと書いちまえ。クソッ冠模試で冊子に載ったってのになんでうまくいかねーんだ!!」試験時間中、僕はそんなことを思っていた。そして3月、合格発表の午前10時、僕は実家でスマホを握っていた。合格者受験番号を知らせる掲示板に僕の番号は無かった。当時19年間生きた自分の人生最大の挫折だ。現役、浪人と2年間かけて合格を求めたが、求めたものは手に入らなかった。なんだかんだあり、最終的にテキトーに出していたセンター利用入試で受かっていた立教大学経済学部に入学することが決まった。

2020年4月、1人、東京へ向かう新幹線の中で、僕は次のように考えていた。「今まで19年間生きてきたけど、何のために生きてきたっけ?全てが受験に関わっていたような…幼稚園、こどもちゃれんじ。小学1年生、進研ゼミ小学講座。小学2年生、公文式の教室へ通う。小学5年生、中高一貫校受験のために個別指導塾へ入塾するも、不合格で地元の公立中学校へ。中学1年生、高校受験のために塾で1年生の時からコツコツ勉強し、見事仙台第二高校へ合格。高校1年生、東進衛生予備校に通い、2年生のうちに3年生までの勉強を終わらせた。一橋大学社会学部を受験するも不合格。そして浪人時、河合塾仙台校へと入塾。一橋大学社会学部を再度チャレンジするも不合格。セン利で合格した立教大学へ入学。なんだこれ、お受験まみれじゃないか。僕は明らかに受験人生だった。あまり遊ばず、ろくに恋愛もせず、楽しかった事といえば男友達とたまにラーメン屋に行くことくらいだった。何でこうなっちまったんだろう?」僕もみんなみたいに普通に遊んで、普通の恋愛がしたかった。僕のこれまでは受験人生、自分が次なる社会的ステータスを得るためにほとんど全ての時間と努力を費やしてきた人生、青春をよく味わえなかった人生、親の言う事を聞いてきた人生、心が踊るようなワクワクを感じた事のない人生だった。「東京に来れば、もう親の発言権はここまで来ない。立教に来れば、別に勉強をガツガツやってきたような人もいないし、勉強を無理にやらなくてもいい。これからは自分で判断し、自分で生きられる。よし、もっと自分が好きな事で生きよう。自分のために生きよう。自分の心がワクワクするようなことに挑戦しよう。」僕はそう思った。

だが5月、立教でのキャンパスライフは夢の中となった。コロナの影響で授業は全面的にオンライン。何か好きな事、ワクワクするような事をみつけ、それに打ち込みたかったのだが、それをみつける機会がそもそも奪われてしまった。そこで目をつけたのが立教が提供してくれる「社会を知る講座」や「学内オンラインOB・OG訪問会」といったキャリア教育系の講演会だ。僕はその全てに参加した。4月に想定していたのとはちょっと違ったが、全く無知だった世の中の事、東京で日々行われている未知なるビジネスに少しワクワクした。そして転機の7月、8月を迎える。7月、僕は「立教大学×JAL」の事業提案ワークショップに抽選の結果、高い倍率の中から幸運にも選ばれ、参加することとなった。コロナ禍で旅客需要が減る中、日本の航空業界を牽引するJALはどんな新規事業を立ち上げれば良いかをプレゼンするというものだ。優勝を競うものではなかったので特段目に見える結果はなかったが、審査員の方が僕の考えた事業の名前をほめてくれた。「旅行の日常化、ですか〜非日常的なものである旅行を日常的なものと捉え直しているわけですね〜この事業名を考えた人は素晴らしく柔軟な思考の持ち主だと思います」柔軟な思考の持ち主、だそうだ。この出来事のおかげで僕は「初めて会う人とチームを組んで、チームで考えた新規事業を誰かにプレゼンする」ことにとてもワクワクした。8月、いよいよ運命の出会いだ。キャリア教育系のイベントへの情報感度が研ぎ澄まされていた僕は「Hello.VISITS」というサービスに出会っていた。そしてそこで「ゴールドマンサックス出身者が語る、リスクマネジメント思考」と題されたイベントが開かれることを知り、無我夢中で申し込んだ。特にする事もなくAbemaにお世話になっていた人生1暇な夏休みのある1日、イベント当日、僕はオンライン上で初めて森山さんに出会った。イベントの最後には「リスクマネジメント思考を学ぶ」がコンセプトのidentity academyの1期生を近々募集することが告知された。僕は「これだ!!!これが欲しかったチャンス、自分がワクワクする機会だ!!!何が何でも逃すわけにはいかない!!!」と思った。9月、ESを提出し、面接を経て、僕は晴れてIAの1期生に選ばれた。成長意欲以外何も持っていなかった僕を選んでくれたIA事務局の皆さん、そして代表の森山さんには感謝しきれない。そしてこの出会いがその後の僕の大学生活を大きく動かすこととなった。

11月、IA1期生との初顔合わせ。恵比寿の高級中華でランチをしながらお話をさせてもらった。僕にとっては立教以外の学生と出会う初めての瞬間だった。「早稲田、東大大学院、立命館アジア太平洋大学…うわ、すげぇな…」その日前菜で食べたエビフライの美味しさは今でも忘れていない。12月、IAキックオフイベントで重光さんと居松さんに出会う。お二人との出会いからは学びが多かった。リーダーシップの事、意思決定の事、日常生活の事、etc…。僕の中では森山さん、重光さん、居松さんとの出会いは、日本の産業界のトップとの出会い、サッカー界の二大巨頭クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシとの対面とも言い換えられるような経験だった。仙台の郊外育ちの若干19歳にとっては、東京にオフィスを構える外資系金融機関やコンサルティング会社でバリバリ働いたり、自分で会社を作ったりするような人が神に見えてしまうのだ。その後、アカデミーで株やマーケット、経済や意思決定の方法論、キャリア選択について学び、3月に無事卒業を果たした。

実は3月のIA卒業までにもう1つ自分がワクワクするような挑戦をしている。「Business Contest KING×SoftBank Innoventure」One Day Business Contest、いわゆるビジコンだ。これに参加した経緯はIAで同期のOくんがこのビジコンの運営サイドに関わっていて、FaceBook上でこのイベントがシェアされていたのを僕が偶然見たからだ。僕は何も考えず速攻で申し込んだ。ワンデイのビジコンだったが優勝すれば賞金が出る。もちろん優勝を狙って頑張った。僕のチームでは僕が普段の生活で課題感を感じていた「騒音」を解決すべき課題に選定し、それを解決する商材のto B向けサブスクサービスを提案し、最終的に準優勝した。準優勝で終わりか?いやまだ終わりではない。なんと第19回SoftBank innoventureへの出場権を得ることができたのだ!これはSoftBankが実施している社内向け起業コンテスト。zozoやLINE、PayPayの社員さんが参加される中に立教の学部1年生が挑んでいく、面白い構図だ。

2021年4月、上京して1年が経った。僕は第19回SoftBank innoventureという次なる挑戦へと向かっていた。そしてここでも運命的な出会いを果たす。実はこの起業コンテストはチームで出場しなければならなかったのだ。一緒に出てくれる人なんているはずない…と思っていたが、インスタのストーリーにただ1人、反応してくれた人がいた。IA1期生のもちくんだ。もちくんが高校時代からの友人の太一とサンタも呼んでくれて4人で僕らはチームを結成した。この出会いは本当にデカかった。毎週リサーチのアウトプットを共有するMTGをしたりエアビーで集まって夜通しビジネスについて議論したり、楽しかった。森山さんのご厚意もあって途中からKさんという戦略コンサルタント兼アパレルマスターの方もアドバイザーとして加入していただいたり、ビザスクを利用してイトキンの元部長やアパレル関係の会社社長などとMTGを組ませてもらったりと、日本のアパレル業界に関する知見を深めながら、チームcokoromiはアパレルDXという領域で需要予測特化型ECというビジネス案をソフトバンクイノベンチャーに提案した。全部で約90案件の内30案件まで絞られる書類審査を僕らの事業案は突破した。最後は最終審査突破ならずで終了したが、「cokoromi」という事業案を約4ヶ月間にわたって考え続けてきた僕らはその後、「asakai」をスタートさせることとなる。

さて4月に時を戻す。僕は引っ越しをしてアルバイトを始めた。大学1年生の夏、アルバイトを始めかけたが、色々あって失敗し、結局やっていなかった。だから初めてのバイトだ。バイトがワクワクするか、と言われれば答えはノーだが、社会を知りたい、自分の力でお金を稼ぎたいという気持ちで始めた。そして徒歩3分で着き、寝坊しても絶対間に合うイトマンフィットネスで働くこととなった。最初はトレーナーとしての知識が増えたり、実際にお客様に筋トレを教えたりするのかな〜と思っていた。だが想定とは全く違っていた。コロナ禍という事もあって研修のあった4月に6万円をゲットして以降、シフトに入れる数は激減し、毎月2万円程度しか稼げなくなっていった。さらに業務内容も館内の清掃、プールの監視員、マシンの消毒が業務時間の9割で、接客はほとんど社員さんのみ。いわゆる肉体労働、雑用だろうか。僕はこの職場で多くを感じた。僕の目に映った社員さんの様子は以下の通りだ。7時出社、23時退勤。基本的に事務室にこもって事務作業をするかアルバイトさんと交代制のプールの監視員の業務、たまにトレーニングに関わる接客業務。飲み物は水。休憩のランチは駅前の松屋で牛めし並盛。ランチ休憩以外の休憩時間中はスタッフルームでスマホをいじっている。イトマンフィットネス自体はコロナ禍で大赤字。イトマンフィットネスに来るお客さんのほとんどは地域のご高齢の方。もうお分かりだろう。社員さんが入社した際に輝かせていたであろう目が生きる活力を失った目に変わってしまったのをかわいそうだなと哀れむ時には、僕はその仕事をすでに辞めていた。お金は稼げない、仕事はつまらない、常に成長を求める自分がなんでこんなところに時間を費やしているんだと怒りが込み上げてきたからだ。アディオース!!!こんなとこ一生来るか!!!9/26、退職。

9月、アルバイトを退職したのと全く同じタイミングで実は新しい事が3つ動き出していた。まずはasakai。元チームcokoromiはasakai(朝会)と名を変えて毎週月曜日の朝6時から1時間ほどzoomで会い、業界分析と会社分析を行なったり各自が読んでいる本のアウトプットをシェアしたりしている。一時期、asakaiβ版と称して朝5時に前倒すような事もあったが、当然僕は起きれず僕を中心に寝坊して未出席、というようなこともあった。分析to doから読書アウトプットto doへのタスク移行があるなど途中でピボットもあったが、8月の末から現状5ヶ月間続いているし、今後も続けていくし、仲間を大切にしたいと思う。2つ目にインターン。アルバイトを辞めて収入元がなくなったので財政がピンチに。cokoromi終わりで起業熱が高かったことも相まって、長期インターン×起業、VC、スタートアップをテーマに仕事を探した。そしてまたまた運命の出会い。マザーズ上場のfor Startups株式会社だ。お金をゲットできる、スタートアップについて知識が蓄えられる、虎ノ門にあるオフィスに出社できる(超ワクワクする。これが決め手と言っても過言ではない。)などの理由からここに決めた。結局今は仕事に関しては大満足の環境でインターンチームのメンバーと楽しくも充実感のある仕事ができているし、何より社員さんとの距離感が近いのも本当にいい。そしてみんないい人。とても親切だし、寛容だし、気さくだし、前職の500万倍くらい良い環境だ。3つ目にGIA(Green Innovator Academy)。これもまたIAの同期Mくん経由で知った。ほんとIA様様。別に環境問題に起業とかスタートアップほどの高い関心はなかったけど、100人の大学生と繋がれるっていうだけでめちゃめちゃワクワクしたから応募した。そこでは本当にいい出会いがあった。特に福島フィールドワークで一緒になったメンバーとは仲良くなった。11/7,8のメンバーはガチで最高。立教の後輩くんとか大阪の外見チャラ男くんとか早稲田の内面チャラ男くんとかその他もろもろたっくさんのいい出会いに恵まれた。GIApodcastという新規事業をGIAの中に立ち上げて実行に移せるような行動力と意思を持ち合わせたいい仲間だ。このように9月には新しい仲間と呼べる人に出会えた。そしてその出会いの裏にはidentity academyの同期メンバーの存在が欠かせない、という事もまたすごいものを感じる。

そして11月、欲を出しすぎてNPOに入る。大学の授業で仲良くなった子から小児がんを患う子供たちに支援を行う団体への加入を強くいお願いされ、自分としてもソーシャルな問題にはこれまで関わったこなかったので参加した。が、これは失敗。理由は簡単で、関わる人とプロジェクトの数が増え、毎日流れてくる情報量が増え、自分が健康的に処理できる情報量の限界を超えてしまったからだ。これは同団体がNPOで個人の裁量権が大きいことも自分にとっては悪く影響した。単にワクワクしたから、という気持ちでコミュニティに加入するのは無責任で良くないことだなと学んだ。

この2年間の自分史的意義

ここで2020年と2021年に意味付けをしたい。2020年、不合格から始まり、ただ成長したいという一心で生きる。そして様々な機会に恵まれ、少しは成長したと思う。成長の定義って難しいけど、無知・未知から有知の状態になったりとか、不可から可になったりとか、つまりはアップグレードされた状態で僕の場合はそれ。2020年は「成長」。学内でも学外でも僕は自分に満足せず、学び続け、行動し続けた。2021年はどうだろう。大学ではゼミに所属、学外ではGIA、IA Hybrid1期、ビジコン2つに参加、アルバイト、インターンの開始。仲間と呼べる友達も圧倒的に増え、正直言って飛躍の一年だったんじゃないかと思う。大学入学時、僕には何もなかった。でも今は温かい職場も優しい友達もいる。2021年は「変化」「飛躍」の一年だったと思う。ただ、反省点もある。自分の傲慢さだ。後先考えずに入ってしまったNPO団体では、代表の人からプロジェクトのマネージャーをやってくれないかと言われ、断れなかった。午前3時半に企画書を書いてる時にやっと気がついた、自分にこの仕事はできないと。そして抜ける時にも少し苦労した。キャパシティを過大評価していた自分は傲慢だ。そしてもう一つ傲慢さを出してしまった。ゼミだ。正直学外のことにワクワクしすぎていて、学内でやっていることに何もワクワクしなくなっていた。今は廃校活用プロジェクトをやっているものの、9月に企画書を初めて作ってから12月のつい最近まで何も進捗がない。まだ企画書が完成していないのだ。意識の高い仲間とビジコンに参加していた時との意識の差に、僕は愕然としてしまい、改革案を持ち出し、行動をした。だが結局は改革案も利用されることなく現状が維持され、僕はコミットしたくなくなってしまった。そして最近ではゼミに出なくなったり、MTGにも参加しなくなったりと、関心が向かなくなってしまった。これは傲慢なのか、モヤモヤしているが、ネガティブなライフイベントということで。「成長」を通して「変化」「飛躍」を果たした2年。

さあ、次、どう生きようか。

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