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死生観

疑似体験

その夢を見たのは、確か社会人に成り立ての頃だった。それから四半世紀ほど過ぎたにもかかわらず、そこで見た光景は今でも鮮明に思い返すことができる。
夢の中で、僕は、映画のワンシーンのように殺された。

その瞬間、僕の視界にはまるでブラウン管テレビの電源を落とした時のような光景が見えた。目に入る世界のひかりは、ブツんと画面中央横一線に集約され、その横一線もツーと中央に集まり、ひかりが消える。
そして、奥行きがあるのかどうかも判定できないほどの徹底的な闇の世界に放り込まれたと同時に意識も失せていき、全てが無になった。

そこで目が覚めた。

その時の経験から、僕は「死」というのは、テレビの電源のようなもので、オフにしたら全てが「無」になるものだと学んだ。
そこには人の心を掴む宗教や輪廻も無く、ただ単に無になると。

『DEATH 死とは何か』

父に胃癌が見つかったことをきっかけに『DEATH 死とは何か』を読み、ヒトの生への執着とは無知からくる恐れなんじゃないかと捉えるようになった。
冷静に考えると、死がやってくるのはごく自然な現象であるし、逆に不老不死となって生き続ける恐怖に比べたら、お迎えが来るのはむしろありがたいこと。そもそも、出産適齢期を過ぎたホモ・サピエンスは、子孫を残すことを目的とした生物的な役割も完了しているわけだし。

そういうわけで、人の死というのは、基本的には人生の延長線上にある日常的なものと、僕は今そう捉えている。

治療の功罪

2023年3月22日に父が永眠した。享年75歳。

昨年6月に胃癌が見つかり、その大きさから胃の全摘手術が治療の選択肢として挙がり、7月、開腹手術により摘出を試みた。しかし、癌が周辺臓器に癒着していたため切除できず、そのまま腹を閉じた。
麻酔が切れた後、父は縫合された腹が相当に痛かったようだ。癌が摘出されていればまだしも、それもできてなかったことから痛み損な気分であったことだろうと推察する。

8月、下肢静脈瘤のオペもした後、いよいよ抗癌剤治療が始まった。高額なオプチーボ、1年間(26回投与)した場合の医療費、なんと約1,090万円。自己負担は高額療養費で頭打ちするも、社会保障費(医療費)としてみると国保としては相当な支出。しかも抗癌剤は効く人もいれば効きが悪い人もいる。さらに人によっては相当にキツい副作用がある。これをやるべきかどうか、相当に迷うところ。

ちなみに、父は抗癌剤治療初期こそ副作用に苦しめられたが、幸いなことにそれは長くは続かなかった。
そして、なんと薬が効いて、11月の検査では癌に関する検査の値が非常に低下していて、抗癌剤が抜群の効果を発揮していたことがわかった!!
このまま抗癌剤治療を続ければ癌を克服できるのでは!と喜び始めたのもつかの間、年末に脳梗塞を発症し、再度の入院となった。

何の病気だっけ?

父は元々脳梗塞の既往があったことから、服薬もしていたのにもかかわらずの発症。治療の甲斐あって、2週間ほどで退院することができた。しかし、この頃から身体は一層弱まってきた。

その後、3週間ほど自宅で生活するものの、呼吸が苦しいとのことで緊急で病院へ行ったところ、肺炎の診断。それにより再度の入院(4回目)。
症状的にはこれまで以上にキツそうで、常時酸素投与も必要となり、在宅酸素を持っての退院となった。さらに糖尿病も併発していて、毎日インスリン注射を打つことに。この頃には病気の総合百貨店状態で、相当に衰弱してきた感じがした。

それでも何とか退院ができ、自宅に連れ帰り昼ご飯を一緒に食べていたところ「ご飯が美味しいね、嬉しいね」と喜んでいた。その翌日には大好きな孫が遊びにきて、ゆったりと幸せな時間を過ごすことができたのは本当に良かった。

ズドンと

肺炎での退院から3日後、再び脳梗塞。しかも今回のは相当に重い。
CT画像を見たところ、右脳がほぼ靄っていて、左半身の麻痺が確定。そして、意識も無くなった。

心拍数が、平均60~70のところ150くらいあり、ベッドに寝ながらも走り続けているかのような心臓。とても苦しそうで、いたたまれない気持ちになった。

その後、徐々に呼吸も心拍も落ち着いて、安静に眠り続けることができるようになった。意識は戻らないものの、たまに瞼があがって、ぼんやりしながらも恐らく耳だけは聞こえていそうな感じ。まぁ聞こえても直ぐに記憶は薄れるのだろうけど。
そんなこんなの入院生活が2週間ほど続き、急性期は脱したということで療養型の病院へ転院調整が始まり、1週間ほどで転院、その後1週間も持たずに旅立ちました。

振り返ってみて

キッカケは、癌なのか、抗癌剤なのかはわからない。
わからないけど、癌との戦いでスタートした闘病生活だが、癌以外の別の何かに蝕まれていったことを踏まえると、どんな治療選択が適当だったのか答えに窮する。
とても手厚く治療・看護してくれたことに対する医師、看護師等病院スタッフには感謝しかないが、治療を選択すること(今回の場合は、特に抗癌剤)は果たして適当だったのか。癌に対して劇的に効く薬は、きっと他の健康的な細胞にも悪さしていたのだろうと考えてしまう。体力が十分な年齢であれば、そんな薬にも抵抗できるのだろうけど、目に見えないどこかに分水嶺があって、それを超えていると健康な組織をも蝕む恐れがあるのではないか。

今後、もし僕自身がその立場にたったら何を選択するだろうか?

少しでも長く生きるために、一縷の望みをかけて、かつ医療費も気にせず抗癌剤治療を選択するだろうか。
それとも、生存率が高い全摘手術が不可能になった時点で、もうクローズに向けた選択(治療よりも緩和)をするだろうか。

その時になってみないとわからない。
ただ、一つ確かなことは、そんな時が来たときに、「僕の人生に悔いはなし」と考えられるようにすることが最善なんだろうなと。それしかないかなと。

今後、特にご家族の方が似たような状況になったときの参考になれば幸いです。
最後に、重い話にもかかわらず、最後までお読みくださり感謝です。

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