「自主研のススメ」41.ゆる強引さ
今回は、自主研に限らずサードプレイス的な活動全般に共通する話として、時には上役としての立場を使うこともアリなんじゃないかな的な話です。
複数の”顔”を持つ意義
一定の年齢に達した大人の多くは、複数の顔を持ち合わせています。
仕事の顔、家庭の顔、そして級友や遊び仲間等との顔。
組織やコミュニティによって、自分の役割や求められることが異なるため、それぞれの微妙に異なる顔を持つことになります。
サードプレイス的な活動(自主研、NPO、ボランティアetc.)に参加すると、そこでも一つの顔が生まれます。
こうしたサードプレイス的な活動は、コミュニティの中で必要な役割を担うことが多く、その顔にはそれ相応の責任と価値が生まれます。その価値とは、他の顔に非常にプラスに影響を与えるということ。
価値観が多様化した現代においては、複数の顔を持つ人材は非常に貴重な存在です。その理由については、以下に入山章栄氏の記事を引用するのでぜひ読んでみてください。
サードプレイスに加わるキッカケ
少し古いですが、平成16年3月文科省委託調査『ボランティア活動を推進する社会的気運醸成に関する調査研究報告書』では、ボランティアに参加するようになったキッカケがまとめられています。
それによると、1位は「自分の自発的な意思」で、それはまあそうだろうと。ただ一方で、2位以降を見ると「機会を与えられて」「勧められて」と受動的な理由もあり、それらを足し合わせると33.5+16.2+16.0+11.1+7.4=84.5%にもなります!
というわけで、本人の主体性を訴えるのは勿論大事ですが、サードプレイスに呼び込むための手段として声かけが実は重要というのは、データからもわかります。
先輩に来るように誘われて、断れなかった・・
7月中旬に、関東各地で自主研等の活動を続けている同志で集まり、それぞれの活動経歴を掘り下げたところ、参加のキッカケにはある程度共通項目があって、それを言語化することができました。
・「危機感」
・「(ゆるい)強制」
・「つながりたい」
3つのうち2つは内発的動機ですが、「(ゆるい)強制」だけは外発的動機です。職場の先輩にこの会に参加するように言われて、なんか断りづらくて参加したら・・・という、キッカケは積極的でないにせよ、参加してみたところ何かしらの化学反応が起きて活動が続いたということです。
そのため、自主研活動することことが価値が大きいと考えているのであれば、部下や後輩に対して声をかけるのも一つの手といえます。
ただコレに関して、「上下関係があると業務命令的に捉える人もいるでしょう、だから私は誘わない。」と、つい先日とある管理職に言われたところ。このように上が誘うことに対して否定的な意見もあるのは確かですが、一歩踏み出すキッカケを提案すること自体を否定すべきではないと僕は考えます。
参加してみてハマる人、ハマらない人
何かしらのキッカケで自主研に参加し、そこに“偶然”が掛け合わさることで、活動の質・量ともに拡大していく人もいるし、しない人もいる。
ただ、拡大していく人もいることを踏まえると、キッカケはあった方がよい。であれば、内発的動機に頼るのもいいが、部下や後輩に対して多少プレシャー与えつつのゆるやかな強制があってもよいのではないかと、自主研信者である僕は考えてしまいますが、どうでしょう?
なお自主研信者からみる本質的な問題は、見学的に参加した人がまた参加してみたくなるような活動の質や目的の共有、そして受入れ体制が整っているかどうか等にあります。
ということで、あまり強く強制することはできないけれど、「こういうのあるから一度は参加してみよう!」という声かけについて、もう少し積極的にトライしてみませんか?
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