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すべては文化になっていく

こんにちは。昨日は深夜徘徊していたさかじょんです。ピクミンブルームのコミュデイなので10000歩歩かないといけないのですが、昼は暑いので……。

今回は初音ミクの話です。はつねみく~っの話です。


「文化になっていく」

「文化になっていく」は2023/8/5のボカコレ夏期間にカンザキイオリさんによって投稿された初音ミク歌唱の楽曲です。

センスがある「あんた」とセンスがない「俺」という対比、おそらく楽曲クリエイターである「俺」が「あんた」の呪いにかかっている様が、喉をひそめた初音ミクによって歌われます。

「あんたの文化になっていく」

あんたはオリジナル俺は腰巾着
文化に進化俺だけのアイドル
負け犬上等お手を拝借
今に見てろよ寝首を拝借

何一つセンスがないないない
何一つあんたになれやしない

文化になっていく
何一つセンスがないないない
文化になっていく
何一つ怖くもないないない
文化になっていく
何一つ誇りもないないない
文化になっていく
あんたに惚れてしまっている

あんたの文化になっていく

https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/54095.html

(歌詞には解釈の余地が多分にあると思いますし、以下もあくまで私の解釈であり、それ以外の感じ方を否定するものではありません)

さて、ここでいう「文化になっていく」は「あんたの文化になっていく」です。

「あんた」はセンスがあり、「オリジナル」として新しい地平線を切り開いていきます。一方で「俺」はセンスがなく、「あんた」のフレーズ・スタンスを全部真似しても「あんた」にはたどり着けない「凡才」です。

「オリジナル」である「あんた」は、まさに新しい文化(楽曲等を取り巻く創作活動)のフロントラインです。そしてそれを真似する「俺」は、「あんたの文化」の範囲内で、「あんたの文化」の亜種を再生産するに過ぎない存在なのかもしれません。

それでもなお、「俺」にとって「あんた」は最高であり、いわゆる敵ではありません。また、おそらく「あんた」の側は「俺」のことなんて認知していなさそうです。このやるかたない畏敬と愛憎渦巻く感じ、人間って感じ~~~で良いですね!

また、とはいえ「俺」が「あんた」をぶった切る瞬間を完全に諦めているわけではないこともまた良いですよね(「負け犬上等お手を拝借 今に見てろよ寝首を拝借」)。そんな風に研ぎあげたクリエイティビティの殴り合いで、文化ができていく側面もあるのかもしれません。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm42577182

みんなが文化になっていく

少し楽曲単体の話からはズレますが、創作にかかわるみんながやっていることって、大体「俺」がやっていることと一緒なんじゃねって思います。

もしかすると、「俺」が思い焦がれる「あんた」も、その心の中は「俺」と同じなのかもしれません。「あんた」にも、その先を歩く「さらにあんた」がいて、「あんた」は「さらにあんた」を愛憎しながら創作をしているかもしれないじゃないですか。(わけわからんくなってきたな)

とすると、大抵はみんな「俺」なんじゃないかとも思えてきます。みんな、誰かの文化になっていく。そうして文化が複層的に組みあがって、ぼんやりとまとまりのある創作文化ができていると。

これは何も楽曲制作に限ったことではないと思います。私が今こうして考えて書く文章も、カンザキイオリというクリエイターの文化になっていくわけです。この場合、カンザキイオリというクリエイターは、「文化になっていく」という「センスのある」楽曲を作った、私にとっての「あんた」となるわけです。

そして、カンザキイオリさんにとっても「あんた」がいるかもしれないし、そうするとこの文章も「カンザキイオリさんにとっての『あんた』」の文化になっていくのかもしれません。

こうして、私たちもふんわりまとまる「合成音声音楽」という文化になっていくんでしょう。

おわりです

今回は、文化になっていく話でした。

「文化になっていく」もそうですが、合成音声音楽は人間が歌っていないのに(あるいは、人間が歌っていないからこそ)「人間」が強く現れます。その意味で、やっぱり人間的な文化だなあと思いますし、私はそれを引き起こす媒体としての初音ミク(もとい合成音声)を魅力的だと感じるわけです。

今後も文化になっていきてえ~(文化に浸っていきてえ~)と思ったところで、今回はこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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