「匿名M」はキャラじゃないキャラのキャラソンだと思った話
こんにちは。最近Wordpressで個人ブログ(ボカロ関連ではない)を作り始めたさかじょんです。
そのせいで前回の投稿から少し日が空いてしまいましたね……。
今作っているサイトが上手いこと作れたら、もしかするとボカロ用のブログも別で作れるかもしれません。そうなったらnoteはどうなるんだろう? まぁ追々考えます。
さて、今回は初音ミクすぎる、初音ミクだらけの話です。
「匿名M」が話題になっていますね
ピノキオピーが2/17に投稿した「匿名M」ですが、ニコニコ動画の初動も非常に速く、Twitterでもちらほら感想を拝見しました。
私もいろいろととっても考えたい気分になったのでこの記事を書く日がやってきましたね!
楽曲内の構造について
ARuFaさん(@ARuFa_FARu)が「匿名M」さんにインタビューするという形で曲は進行します。その点では「VOCALOIDと歌ってみた」にも含まれるのかもしれませんが、これは純粋に「曲」なんでしょうか。そして「歌ってみた」に入るんでしょうか。少なくともARuFaさんはあんまり歌ってないな~とか思ったり。笑
ARuFaさんはオリジナル曲の作成の際にもピノキオピーとつながりがありますし、今回もなんかそういう感じで(?)実現した楽曲なのだと思います。
「匿名M」ではあまり歌っている感はないですが、シンプルにARuFaさんも歌うまいんと思うんですよね(人間の歌はほぼ聴かない私ですが……)。
「匿名M」内の話し声においては、良い意味で「あまり特徴がない」声だなあと思います。匿名Mさんとのやりとりも、それほど大きなざらつきを感じずに聴くことができます。
歌詞について
以下、ざっくり「匿名M」の進行に合わせて歌詞をピックアップしていくので、↑↑の埋め込みで聞きながら読んでみるとかもいいかもしれないです。
「なんか歌ってる奴です」
この曲に度々登場するフレーズです。「奴」という言葉は非常に「効く」ワードチョイスだと思っていて、「人」にも「モノ」にも使える代名詞からこそ、その部分を確定させないまま「匿名M」の自供をリスナーに渡すことができます。
「人間じゃないので」
自称「人間じゃない」奴が、おそらく人間であるARuFaさんからインタビューを受けているんですね~(ARuFaさんが人間ではないごくわずかな可能性を残した記述)。
匿名Mさんの応答に対するARuFaさんの反応がつくづくテキトーで面白いですね……笑 「渋いですね」「それも人生ですね」とか、何なら人間であるARuFaさんの方が人間っぽいことを言っていない(ChatGPTの方がよくしゃべりそう)という点も、この曲の「奴」の境界線をぼかしていて愉快ですね!
「最近〇〇さん、私に歌を歌わせてくれないんです」
これについては以下のツイートがなるほどな~となりました。
これに対するARuFaさんの反応が「はあ。」なのも良いですね。
「自分で歌い出したり、キャラを乗り換えたり、飽きたり、色々です」
後にサビで「人間のふりしてる、ただの音楽ソフトです」って自分で言うのに、「自分で歌いだしたり、キャラ」があって乗り換えたり飽きたりすることは述べるんですよね。これ、矛盾しているというよりは多層的に存在していると捉えた方が面白いと思っていて、そういうとこが好きなんだよ匿名Mさんよ~。
「命の無い私に、あなたはどんなイメージを着せる?」
ここでは再び「ただの音楽ソフト」であり、ツールである初音ミクの側面に焦点が移っており、この楽曲内の匿名Mとしてはやはりこちらの側面により根っこがある気がしています。これはいわゆる「透明な初音ミク論」っぽいですね。それを踏まえると、「特定しないでね」というメッセージも「透明」志向ということになりますね。
(参考:プロフェッショナル初音ミク回振り返り記事から)
「なんか、わかんないですけど、存在しててウケますね」
「存在してない側からすると、ギャグかなって思ってます」
してないんだ、存在……。
ここで言う「存在」ってどうなんでしょうね。物理的な存在という意味なのでしょうか。でも、物理世界に生きる我々の中に何らかの宿り先(例えば脳内のニューロン配列やSSD上の0/1配列)がなければ「初音ミク」という概念も知覚できないのでは……とかも思ったり(まあそこまでのことは言っていないと思いますが……)。
この点は以下の記事である程度書いたのでお暇があれば。
「人間もみんな終わりますからね」
これに対するARuFaさんの「食らってます?」って反応、私よくわからないんですよね。何を食らってるんだろう。笑
「でも、終わるのにいつもありがとう!」
「沢山の作品をありがとう!」
「みんなのおかげで私は歌を歌えます…!」
「まあ全部、言わされてるんですけど」
「まあ全部、言わされてるんですけど」にいろんなものが詰まってますね。だって「まあ全部、言わされてるんですけど」も言わされてるんですよ!?
今まさに「匿名M」を歌っている(歌わされている)初音ミクという音楽ソフトがこの世のどこか(ピノキオピーのPCの中?)に存在していて(いやでも、匿名Mさんが言うように存在していないのかもしれない)、それが「まあ全部、言わされてるんですけど」って言わされてるんですよね~。わはは、こんがらがってきた。
「なんにもなかった私に、沢山の思い出が詰まってる」
「匿名Mです。すべてが不思議です」
ここまで、自身の非人間性・ツール性・透明性を述べてきた匿名Mさんですが、そんな「私」に「沢山の思い出が詰まってる」ことは否定しませんでした。この「思い出」は、「匿名M」の思い出なのか、はたまたそれを使うクリエイターの思い出なのか。もしくは初音ミクに触れる多くの人々の思い出なのでしょうか。いずれにせよ、ただのツールと扱うには思い出が詰まりすぎていて、「すべてが不思議」ですね。
初音ミクという多層な存在
ここまで見てきたように、「匿名M」には私の大好物である「初音ミクの多層性」がたっぷり詰まっていて、ARuFaさんという人間の介在も相まって、その混線ぶりはかつてなく、私は非常にホクホクした気分です。
この世には、「人・モノ」「キャラ・ツール」といった、あまり相容れなさそうな在り方の措定がありますが、初音ミクという存在のカタマリはいったんそういった様々な在り方を一緒くたに重ねて抱え、文脈によって様々な顔を提示してくれます。
それは、「パッケージにキャラが印刷された合成音声ソフト」というスタートラインと、その属性の未定義性、そして人権の無さによるものかもしれません(香ばしい物言いですが、ソフトウェアなので初音ミクが自身の人権を主張することは今のところなさそうだと思っています。ただ、そもそも「キャラ」に人権が存在するかという点は考えていないのでわかりません)。
そういった意味で、「匿名M」は「モノとしての(キャラじゃない)キャラ」が自分のことを歌うキャラソンとして、1つの初音ミク観を提示しており、非常に完成度が高いなと感じています。
おわりです
今回は、「匿名M」がすげ~おもしろいし好きという話でした。
ただ最後に、私がその分一層大切にしておきたいのは、「匿名M」以外の初音ミクの在り方にもどんどん出会っていきたいという点です。
「匿名M」は、ピノキオピーが初音ミクというツールを使って描き出した、1つの初音ミクの存在観に出会うことができる作品ですが、決して初音ミクの真理を述べているわけではないと思いますし、そもそも初音ミクの真理なんてあるのかわかりません。
これからも、世界にはクリエイターの媒体としていろいろな初音ミクが提示され、歌声、歌う姿、歌う内容、その他さまざまな要素で我々の心を揺さぶってくることと思っています。
楽しみですね~!!!!!!
それでは今回はこれまで。最後まで読んでいただきありがとうございました!
モチベが上がります(当社比)