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【第三十六話】当日、楽屋人間模様|しがない勤め人、国立文楽劇場で藤娘を舞う

(前話はこちら↓)

化粧さんから楽屋への戻り道。

「わー、Nさんや〜」知っている顔を見てホッとしていますが…

付き添いの姉弟子Nさんが、
「先生がな、みんなと同じ楽屋にしてくれたで!」
とおっしゃった。

ああ、それはひと安心。
あ、ここだな。

楽屋はいくつかあり、こんなふうに名前が貼られています。左から3名は名取さんです。


「せんせー、顔してもらいましたー!」

・・・

あれ?

いつもだったら
「あらー!かわいい、かわいいにしてもろてー♡」
という展開なんだけど、なんだこのやらかした感満載の空気は?

(ここまで0.5秒)

「ちゃんと座ってごあいさつして。ごあいさつはちゃんとせなあかんよ。」

「はっ、失礼しましたっ。おはようございます。本日もよろしくお願いいたします。」

あたふたと正座をし、深々と頭を下げる。

ああ、またやってしまった。

私はあいさつができない。

団地生まれの新興住宅地育ち。
核家族の放任主義。

充分な衣食住と教育を施してくれた親には大変感謝している。

が、私は餌だけは与えられていた野良犬みたいだな、
と思うことがたびたびある。

生まれ育ちをいいわけにしてはいけないが、
礼儀作法の仕込みはほぼゼロ。

そのせいで郷里を出て以降、ずいぶん恥をかいてきた。

まあでもしかたがない。
親元を離れたら、自分で自分をしつけ直すしかないのだ。

ふだんのお稽古でも
「羽織はごあいさつの前に脱いでね」
「まず先生にごあいさつして、それからお弟子さんにごあいさつやで」
などとご指導をいただく。

人として佳く生きていくために、
何々流礼法とまではいかなくても、最低限の礼儀作法を身につけたい。

私が日本舞踊のお稽古を始めた理由の1つである。

(ちょっとしょっぱくなっちゃったな・・・元の調子に戻そう)


さて、ごあいさつが済めばあとはいつもどおり和気あいあい、

といいたいところであるが、時節柄おしゃべりはひかえめに。
(2021年、緊急事態宣言下の大阪である)

などと言われるまでもなく、
私はおしゃべりの余裕などなく押し黙ったまま。
心中は酸欠の金魚が口をパクパクしているかのよう。

右:余裕ゼロどころかマイナスのわたくし、中:いつも通り泰然自若な姉弟子Yさん、左:心配そうなおっしょはん。

一方、名取の姉弟子さん達はいつもどおりの佇まい。
肝が座っている。

さすがルビコン川を渡った人たちは違う。

化粧台には道成寺の木札がふたつ。

おっしょはんが古道成寺、姉弟子さんが鐘が岬を舞うので、
作品由来のお寺にお参りをされてきたのである。

(この演目をやるときはゆかりの地にお参りしたほうがよい。さもなくば・・・というものがいくつかあるらしい。こ、こわい。)

は、はぁ・・・今のうちに水分取っておこうかな・・・

ペットボトルに手を伸ばすと、
「あ、これ、使ってね」
麗しの姉弟子Yさんがニッコリ微笑み、長いストローを差し出してくれる。

化粧が済んでしまったので、いつものように直飲みはできないのだ。

さすが舞台経験のある姉さんは準備が違う。
(私も3回目なのだが。予習が甘ーい!)

どうしよう、小腹が減ったかも・・・

と思っていたらおっしょはんが、
「今のうちに少しでもなんか入れといた方がいいよ」
とおっしゃる。

エスパーかな?

私は持参していた一切れのカステラを、
小指の先ほどにちぎっては口に放り込み、
ちぎっては放り込み、を
機械仕掛けの人形のようにもくもくと繰り返した。

はー、落ち着かない。もう帰りたい。

「そろそろ場当たりの時間やな、舞台、見にいこか~」

おっしょはんがおっしゃった。

(続く)

※次からは写真モリモリつけますからね〜お楽しみに!

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