「ハルク」パンフ原稿

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 2003年、アン・リー監督版「ハルク」のパンフレットに書いたもの。
 このアン・リー版は、いかにもリー監督らしいねちっこい愛憎劇を盛り込んだ原作改変と、原作そのままのマンガっぽいハルクのちょーパワー描写との対照が、観客に受けなかったのか、不評が多く、2008年にルイ・レテリエ監督の「インクレディブル・ハルク」でリブートされてしまいました。
 私はどっちのバージョンも好きなんですけどね。特にこの「ハルク」は、以下の原稿にも書いた通り、怪獣映画っぽさが溢れてるところがすごく好きです。

 ちなみに、物語的には「インクレディブル・ハルク」から続いてるものの、「アベンジャーズ」以降は主人公であるブルース・バナー博士役がまたも交代しちゃってるんですよね。
 でも、エリック・バナ>エドワード・ノートン>マーク・ラファロと、どんどん賢そうな外見の人に代わっていってるのは、ある意味正しい選択だったりして(ひどい>自分w)。

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 ここ数年、『X-MEN』、『スパイダーマン』、『デアデビル』、そして今回の『ハルク』と、アメリカン・コミックス界の雄マーヴル・コミックス社の誇るスーパーヒーローたちが続々と映画化され、いずれも大ヒットを記録している。

 アメコミ出版の世界を二分するもう一方の雄DCコミックスのスーパーヒーローたち(スーパーマンやバットマンなど)と違い、彼らマーヴルのヒーローたちには、その誕生に放射能による突然変異が絡んでいるという共通点がある。X-MENたちは原爆実験などによって人類全体の遺伝子が急速な突然変異を遂げて生まれるようになった新人類だし、スパイダーマンは放射線を浴びた蜘蛛に噛まれて超能力を身につける。また、デアデビルは放射性廃棄物を浴びて失明する代わりに超感覚を手に入れる。
 そして今回映画化されたハルクは、天才科学者ブルース・バナー博士が大量のガンマ線を浴びて変身した姿である。原作では、ブルース・バナーは米軍に協力して原水爆よりも強力な新型のガンマ爆弾を開発していた。ところが、爆発実験中に実験場に迷い込んだ若者を助けようとして、自分は爆発による放射線を一身に浴びてしまい、死んでしまう代わりになぜか怪力無双の巨人・ハルクに変身してしまうのだった。

 こうした設定には、彼らマーヴルコミックスの主要ヒーローたちが生まれた時代が大きく影響している。彼らは皆1960年代前半に誕生しているのだ(ハルクの初登場は1962年5月。ちなみに、スーパーマンらDCコミックスのヒーローの多くは、それより20年ほどさかのぼった第二次世界大戦前後に誕生している)。
 60年代と言えば、アメリカとソ連による冷戦の真っ最中。世界は両者の同盟関係によって大きく二分され、いつ大三次世界大戦が起こるのか、世界中の人々が固唾を呑んで人類の破滅を待ち受けていた時代だった。その恐怖をさらに煽ったのが、原子力やミサイルといった巨大科学技術の開発競争だった。平和利用すれば、発電所や宇宙船にもなる技術が、一方で核爆弾やそれを積んだ大陸弾道ミサイルにも使われ、一瞬にして人類全体を消滅させることができる。中でも原子力は、科学技術という人類の「英知の結晶」が併せ持つ陰と陽の二面性の象徴だった。当時マーヴルの編集者だったスタン・リーは、そうした時代の空気を敏感に感じ取って物語に盛り込み、続々と新しいヒーローたちを生み出していった。それがX-MENやハルクたちだったのである。

 特にハルクは、天才科学者が自らの発明によって災厄を招いてしまうという、典型的なマッド・サイエンティストの因果応報譚となっており、19世紀から20世紀初頭にかけて産業革命と共に生まれた先駆的なSF小説からいくつものモチーフを借りてきている。
 たとえば、ハルクが怪力を持つ巨人であり、周囲に対する怒りに満ちていながらも、心の奥底には子供のような純真さを秘めているところは、『フランケンシュタイン』の怪物そのままだし、天才科学者で穏やかな性格のブルース・バナー博士が、怒れる幼児のようなハルクに変身してしまうところは、『ジキル博士とハイド氏』そっくりだ。さらに言えば、現代的な理性や文明に対抗する怒れる野生の象徴であるハルクが、バナー博士が心を寄せている楚々とした美女ベティ・ロスには従うという構図には、映画『キングコング』を思わせるものがある。
 つまり、ハルクこそ、原子力時代の新たな『フランケンシュタイン』であり『ジキル博士とハイド氏』であり『キングコング』だったのである。

 さて、X-MENやスパイダーマンは、映画化に際して現代を舞台とするために原作の設定を若干修正し、放射線による突然変異という部分を消し去ってしまったが、ハルクの場合、それでは原作の最も基本的な部分もなくなってしまいかねない。
 また、ハルクの物語は最新兵器を動員してハルクを追う軍隊との対決という構図が醍醐味の一つなのだが、そこにばかり焦点が当たってしまうと、まさに『フランケンシュタイン』のように明確な悪役が出てこない悲劇になってしまう。このため、原作では(アメコミの常として)次から次へと奇怪な能力を持つ怪人たちが敵として登場するのだが、それをそのまま映画に持ち込もうとすると、シリアスなストーリーが保ちにくい。

 今回の映画化では、ブルースの父親を全ての事件の発端を作った人間であり、ブルースと正反対のネガのような人間として設定することで、原作の設定を大幅に変更しつつも、他の映画化作品とは逆に設定の核にあった放射線の恐怖や科学技術のやみくもな開発に対する批判をしっかり残してみせると同時に、明確な敵役を作ることでハルクのヒーロー性もきちんと打ち出すことに成功している。これは、安易に原作をそのまま映像化するのではなく、そのテーマやスピリットを拾い上げることを選んだ脚色の勝利だと言えよう(映画のクライマックスでデイヴィッドが変身してみせる怪物は、原作に登場する有名な怪人たち(アブソービング・マンとザックス)の能力を合わせ持っていて、実は原作ファンへの目配りもぬかりない)。
 ちなみに、原作ではブルースの父親の名前はブライアンなのだが、今回の映画ではデイヴィッドとなっている。これは、70年代後半にハルクがテレビドラマ化された際、主人公の名前がデイヴィッド・バナーと変更されていたことへのオマージュだろう。

 こうした設定やストーリーの妙もさることながら、今回の映画化ではなんといっても最新のSFXを駆使した映像が素晴らしい。原作コミックスの一番のウリである、ハルクのメチャクチャなまでの能力を見事に映像化しているのである。特に、一跳びで山を越え大空を駆ける姿がそのままスクリーンに映し出された場面では、原作ファンなら「よくぞやった!」と拍手喝采してしまうだろう。
 また、怪物化した犬たちからヒロインを守ろうと戦う場面や、サンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジ上で戦闘機と戦う場面などは、まさに『キングコング』でヒロインをかばって恐竜と戦ったり、ビルの屋上で戦闘機と戦うコングの姿を想起させ、怪獣映画ファンを喜ばせてくれる。さらに言えば、ブルースとデイヴィッドの対決の図式などは、東宝特撮往年の傑作『サンダ対ガイラ』を思わせるではないか。

 そう、今回の『ハルク』は『X-MEN』や『スパイダーマン』、『デアデビル』のようなヒーローの活躍するアクション映画ではない。実は由緒正しい怪獣映画なのだ。

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