栗本薫 経歴と作品

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 2009年、『SFマガジン』の栗本薫追悼特集のために書いたモノ。
 あまりにも早い、若すぎる死に、呆然としつつも、栗本さんの膨大な著作リストを目の前に、いかに規定枚数内できちんと紹介するか、頭を悩ませながら書いたのを覚えています。

 実は私は大学生時代、《傭兵騎士団》というグイン・サーガ・ファンクラブに入っていた熱烈なファンだったので、奇妙なご縁を感じつつ、原稿を書いたのでした。もっとも、栗本さんご本人とはまったく面識がないままではあったのですが(苦笑)。
 そんなことはともあれ、《グイン・サーガ》は新たな書き手の皆さんを得て、正篇・外伝ともに書き継がれることになり、さらなる伝説を生みそうで、一ファンとしてわくわくしながら新刊を待つ日々を続けております。

『グイン・サーガ131 パロの暗黒』五代ゆう
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『グイン・サーガ132 サイロンの挽歌』宵野ゆめ
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『グイン・サーガ外伝23 星降る草原』久美沙織
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『グイン・サーガ外伝24 リアード武傳奇・伝』牧野修
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『グイン・サーガ外伝25 宿命の宝冠』宵野ゆめ
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 二〇〇九年五月二六日、十九時十八分、作家・栗本薫/評論家・中島梓が、膵臓癌のため亡くなった。享年五六歳。
 ありとあらゆるジャンル小説を書き分ける小説家としての顔と、鋭く新鮮な視点を持つ評論家としての顔とを併せ持ち、呆然とするほどの執筆量を怒濤のごとく書き紡いでいった稀代の才人が、あまりにも早く、この世を去ってしまった。
 最後の最後まで新作の原稿を書き続けていたという氏の人生は、まさに小説に捧げられた強烈なものであったとしか言いようがない。

 栗本薫は一九五三年二月十三日、東京生まれ。七五年、早稲田大学文学部卒。在学中は、ワセダミステリクラブに所属していた。
 七七年、「都筑道夫の生活と推理」で第二回幻影城新人賞評論部門佳作を受賞し、評論家としてデビュー。
 同年、中島梓名義による『文学の輪郭』で、第二十回群像新人文学賞評論部門を受賞。
 翌七八年、『ぼくらの時代』で第二四回江戸川乱歩賞を受賞し、小説家としてもデビューを果たす。
 それは、才気煥発な若き才能が奔流のごとくあふれ出たとでも言うべき、華麗なるデビューであった。

 乱歩賞を受賞した『ぼくらの時代』は、作者と同姓同名の栗本薫という主人公(ただし作中の人物は男性)が、素人探偵となって謎を解くという、エラリー・クイーンを思わせる設定と、本格ミステリとしての謎のロジック、そして、青春小説としての物語性を併せ持つ、当時においては斬新な青春推理小説であり、その後、『ぼくらの気持』(七九年)、『ぼくらの世界』(八四年)等と書き継がれていった。

 七九年には、代表作となった〈グイン・サーガ〉の第一巻『豹頭の仮面』を刊行する。このシリーズは、ロバート・E・ハワードの〈コナン〉シリーズに代表されるアメリカのヒロイック・ファンタジーに大きな影響を受けており、高千穂遙の〈美獣〉シリーズと並んで、日本における異世界ファンタジー小説の草分けとして、新たなジャンルを切り開いた。
 また、このシリーズは、氏の亡くなる寸前まで書き進められ、単独著者による世界最長の小説(〇九年七月時点で正編一二七巻、外伝二一巻)として、記録を作ることともなった。希有壮大な大伽藍のごとき、前人未踏の大作であると言うほかない。

 さらに、八〇年には、名探偵伊集院大介が登場するミステリ『絃の聖域』を発表する。この作品は、翌八一年に第三四回日本推理作家協会賞の長編部門で候補作となり、第二回吉川英治文学新人賞を受賞した。
 伊集院大介は、栗本薫と並ぶシリーズキャラクターとなり、このあと『優しい密室』(八一年)を始め多数の作品に登場することとなる。中でも、『猫目石』(八四年)と『怒りをこめてふりかえれ』(九六年)では、もう一人の名探偵である栗本薫と共演を果たし、ファンを喜ばせた。

 八一年、氏はもう一つの大長編『魔界水滸伝』の第一巻を発表する。これは、アメリカのホラー作家H・P・ラブクラフトが創作したクトゥルー神話をベースに、現代日本に侵攻してきたクトゥルーの邪神たちに、日本の妖怪たちが立ち向かうという、破天荒な設定の作品で、全二〇巻、外伝四巻のあと、遠未来に舞台を移した『新・魔界水滸伝』(四巻・未完)へと引き継がれていった。

 これら、シリーズ作品を書き継ぐ一方で、氏は単発のSF作品も少なからず発表している。『メディア9』(八二年)や『レダ』(八三年)といった長篇や、『セイレーン』(八〇年)、『時の石』(八一年)、『心中天浦島』(八一年)、『火星の大統領カーター』(八四年)、『滅びの風』(八八年)等に収録された短篇である。これらはいずれも、氏のロマンチシズムとSFファン気質とが合わさった好篇ぞろいで、シリーズ作品の影に隠れてしまっている感があるのが惜しい。

 もう一つ、氏が先駆者として手がけたさらなるサブジャンルに、いわゆるボーイズラブ小説がある。
『真夜中の天使』(七九年)に始まり、『翼あるもの』(八一年)、『朝日のあたる家』(八八~〇一年)、『嘘は罪』(〇八年)と続く「今西良」を主人公にした作品群や、『終わりのないラブソング』(九一~九六年)、『レクイエム・イン・ブルー』(九七~九八年)といった実作はもちろんのこと、耽美小説誌『JUNE』が七八年に創刊して以来、同誌上に多くの原稿を掲載、さらには『小説道場』を連載して、創作志望者を指導し、多数の作家を輩出したのである。

 その他、小説には、〈グイン・サーガ〉世界の遠未来を舞台としたヒロイック・ファンタジー〈トワイライト・サーガ〉(八三、八四年)、新撰組の沖田総司を主人公とした伝奇SF『夢幻戦記』(九七~〇六年、未完)、大正から昭和にかけてとある旧家で起こる数々の事件を描いた連作ミステリ〈六道ヶ辻〉シリーズ(九五~〇四年)、『キャバレー』(八三年)に始まるサックス奏者矢代俊一ものといったシリーズがある。
 また、『神変まだら蜘蛛』(八一年)、『魔剣』(八二年)、『神州日月変』(八二年)、〈お役者捕物帖〉シリーズ(八四、八六年)、『バサラ』(九三~九四年、未完)等々、時代小説も数多い。

 こうした、栗本薫名義での創作活動ほどの膨大な量ではないが、中島梓名義での評論活動も、『道化師と神』(八三年)、『ベストセラ-の構造』(八三年)、『わが心のフラッシュマン』(八八年)、『コミュニケーション不全症候群』(九一年)、『タナトスの子供たち』(九八年)等、サブカルチャーとそれに惹かれる若者の心理を考察し、話題を呼んだものが何作も存在する。
 また、中島梓名義ではエッセイも数多く、中でも、二度にわたる入院・闘病生活を基に綴られた闘病記、『アマゾネスのように』(九二年)と『ガン病棟のピーターラビット』(〇八年)は、その前向きな筆致が読者の胸を打った。

 一方、中島梓名義での活動といえば、初期は文筆以外の活動にも意欲的で、ラジオやテレビにも出演していたことも記憶に残る。
 七九年から八二年にかけて文化放送で放送されたラジオ番組「ハヤカワSFバラエティ」(今となっては想像しがたいことだが、冠に堂々と「SF」と謳ったラジオ番組が放送されていた時代もあったのだ)では、DJをつとめていたのである。
 また同七九年に始まり、後に人気長寿番組となったテレビのクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』にも解答者の一人として出演、途中、出産による一年間の休養を挟みつつも、八六年まで活躍していた。特に八二年からは、女性チームのキャプテンをつとめ、まさに番組の看板の一人となり、才気煥発な文化人としてお茶の間に知られる存在となった。
 ただし、八六年には執筆に専念するためという理由でこの番組を降板、それ以降はメディアへの露出を減らしてしまっている。

 それに代わるかのように、氏が意欲を持って活動するようになったのが、演劇活動であった。
 七九年の『ロック・ミュージカル ハムレット』、八六年の『歌舞伎 変化道成寺』で脚本を手がけたのち、八七年の『ミスター!ミスター!!』からは演出も手がけるようになり、八九年以降は毎年何らかの公演をおこなうようになった。
 特に九四年の『いずみ!!』以降は、自身の劇団である天狼プロダクションを立ち上げ、脚本・演出はもちろん、音楽も含めて舞台の一切を取り仕切るという活躍ぶりであった。

「文学における物語性の復権」を唱えた氏は、名探偵の登場するミステリ、異世界を舞台にしたヒロイック・ファンタジー、クトゥルー神話を題材にした伝奇SF、男性同士の恋愛を描いたボーイズラブ小説と、常にその時代においてはまだ未開拓であったジャンル小説の先駆者として、次々に作品を発表していった。それはまるで、何もない荒野を整地し、見事な緑地の基盤を築く、強大な土木機械のようですらあった。八〇年代において、評論家と実作者という両面から、日本の娯楽小説の様相を大きく変えていったという点で、氏の果たした役割は計り知れない。
 その、三〇年あまりの活動の中で残した著作の総数はおよそ四百。その凄まじいばかりの執筆力と、それを支えた創作意欲には、ただひたすら頭が下がる。

〈グイン・サーガ〉や〈新・魔界水滸伝〉が、未完のまま「終わらざりし物語」となってしまったのは、読者にとってはあまりにもつらいことだが、ある意味、作品のスケールにふさわしい幕切れであったと思えなくもない。
 少なくとも我々読者には、完結しなかったことによって「開かれた物語」となった作品世界の行く末を、それぞれの心の中で空想する楽しみが残されているのだから。
 願わくば、あちらの世界で、氏がさらなる健筆をふるって、氏の生み出した物語の続きを、書き続けておられんことを。 合掌

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