「デアデビル」パンフ原稿

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 2003年、実写版「デアデビル」のパンフレットに書いたモノ。
 映画の出来がよく、アメリカでの興行も悪くなくて、マーベル・コミックスでもマイナーな部類のヒーローであるデアデビルが、一気にメジャー化するかと期待したんですが、その次に作られた番外編の「エレクトラ」が大コケしたり、ベン・アフレックが結局役を降りることになったりで、続編が作られなくなってしまったのが残念です。早くリブートされないかなあ。

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 アメリカン・コミックスの世界では、同じ出版社から出版されているマンガのほとんどは、同じ世界の中の出来事を描いていることになっている。だから、たとえばDCコミックスの世界では、スーパーマンとバットマンとワンダーウーマンが互いのコミックスのあいだを行き来して、自在に共演したりしている。
 DCと並ぶアメリカン・コミックス界のもう一方の雄、マーヴル・コミックスの世界でも、ニューヨークに多数(たぶん百人以上)のスーパーヒーローたちが住んでいる。中でもアヴェンジャーズ(マーヴル・コミックスの大物ヒーローのほとんどが加入しているヒーロー集団。イギリス人スパイの二人組とは無関係だからお間違えなく)やファンタスティック・フォーといった大物たちは、ニューヨークに基地があるものの、たいてい国際規模(場合によっては宇宙規模)の大事件と戦うために世界中を飛び回っている。
 もちろん、ニューヨーク市内で発生する犯罪と戦っている地元限定ヒーローも何人もいるのだが、その中でも有名な男たちが三人いる。そのうちの一人がかのスパイダーマン、もう一人が(ドルフ・ラングレン主演で映画化されたこともある)パニッシャー、そして最後の一人こそ今回映画化されたデアデビルである。
 スパイダーマンは突然変異したクモに噛まれてさまざまな超能力を身につけており、パニッシャーは普通人ながら元米軍特殊部隊員としての技能を用いて重火器を自在に操り、情け無用に犯罪者を始末する。このように、それぞれに戦闘能力の高さを誇る二人に対して、デアデビルはあくまで徒手空拳で悪と戦う生身の人間であるところが大きな違いだ。唯一の超能力である超感覚も、失った視力の代わりとなっているだけで、それ以外はまったく普通の人間なのだ。
 元々デアデビルは、マーヴル・コミックスの世界においても、その地味さが災いしてなかなか人気が出なかったヒーローだった。
 デアデビルもスパイダーマンも、一九六〇年代初めに当時のマーヴルの編集者だったスタン・リーが生み出したキャラクターだ。現在も活躍しているマーヴル・コミックスの主要ヒーローたちのほとんどを、当時一人で考え出したリーは、その功績から伝説的な名編集者として讃えられているが、あまりに多くのキャラクターを短期的に生み出していったため、先行するヒーローと似かよってしまい、差別化がうまくできずに割を食うことになったヒーローもいた。
 たとえば、今でこそマーヴルだけでなくアメコミ界でも一番の人気を誇るX-メンも、初期の頃は「一人一芸の超能力者集団」というところがファンタスティック・フォーと似ていて人気が低迷していたという(結局X-メンは、てこ入れのためにメンバーを総取っ替えしてから、人気が急上昇した)。
 同じように、デアデビルもスパイダーマンの陰に隠れて、長年マイナーな地位に甘んじていたのだった。
 映画を見てもらえばわかるように、デアデビルとスパイダーマンのアクションのスタイルはよく似ている。クモの糸と特製スティックから繰り出されるロープという違いはあれど、どちらも細い紐を使ってニューヨークの摩天楼を自在に跳び回り、空から悪漢に襲いかかるのである。ちなみにこのイメージは、彼らの大先輩であるバットマンにも似ているし、さらに元を辿れば、ジャングルの中をツタを使って跳んでいく映画版ターザンのイメージにも似ている。つまり、デアデビルやスパイダーマンは、都会のジャングルをいく現代のターザンだと言うこともできるのだ。
 ただ、デアデビルとスパイダーマンが大きく違うのは、スパイダーマンが持つ危険を察知する超能力も、壁を這う力も、壁をぶち抜くパンチ力も、十数メートル以上飛び越えるジャンプ力も、デアデビルは何一つ持っていないという点にある。つまり、スーパーヒーローとしてアピールできる超能力が足りなかったわけだ。
 コスチュームも、赤、青、黒と三色でまとめた派手なスパイダーマンに比べると、赤一色であまりにも地味だ(それでも、最初期の黄色と赤のツートンカラーのダサダサなコスチュームに比べると、シンプルでずいぶんかっこよくなっているのだが)。これではなかなか人気が出なくても当然だろう。
 ところが、一九八〇年代に入り、フランク・ミラー(『バットマン ダークナイト・リターンズ』、『バットマン イヤー1』でバットマンのイメージを一新し、現在の人気の基を築いたアメコミ界の鬼才だ)が、こういった弱点を逆手に取り、まったくの生身の男がたった一人、素手で組織犯罪に戦いを挑むという、暴挙とも言うべき姿を雄々しくリアルに描き上げ、一気にデアデビル人気を盛り上げたのだった。
 特に、デアデビルの正体が弁護士のマット・マードックであることを知った宿敵キングピンが、デアデビルと直接対決することを避け、裏から手を回してマットの弁護士資格を剥奪、すべての社会的信用を失墜させるという作戦に出たため、浮浪者になってしまったマットが絶望的な戦いを繰り広げるというストーリーは、スーパーヒーローもののお約束を破壊した衝撃的なものだった。
 またミラーは、エレクトラという魅力的な暗殺者も生み出し、デアデビルの世界に艶めかしい危険な香りを持ち込んだ。コミックス版のエレクトラは、マットの大学時代の恋人だったのが、父の死後暗殺者となり、キングピンに雇われてデアデビルとなったマットと再会するという設定だった。このエレクトラは熱烈なファンを持つ人気キャラクターとなり、今では自分のコミックスまで持つようになっている。
 このようにして、ミラーの手によって、スパイダーマンのコピーから抜け出し、現代的なヒーローとなったデアデビルだが、今回の映画化では、1本の物語として100分間でいろんなことを語るために、原作とは細かく設定を変えながらも、その魅力を盛り込むことに成功している。
 中でも、映画の冒頭のデアデビルが、自分が信じる正義のためなら、犯罪者の死をも厭わない暴力的なビジランテ(直訳すれば、自警団員という言葉になる。法律を信じず、自分の手で犯罪者に対して刑を執行してしまおうとする人間のこと)だったのが、物語が進むに連れて、「罪を憎んで人を憎まず」な正義のヒーローへと変貌していくところなどは、この手のヒーローものの抱える問題点をきちんと捉えていて感心した。
 コミックスでは、元々四角四面なヒーローであるデアデビルが、犯罪者を片端から殺してしまうパニッシャーと鋭く対立、何度となく戦っていたりするのだが、敵対するビジランテを出すことなく、デアデビルの個人的な問題に置き換えて同じテーマを語ってみせたところがうまい。
 また、エレクトラをかつての恋人ではなく、初対面で恋に落ちる相手としたところも、ラブストーリーとしての側面を強く印象づけることに成功している。初めて出会ったときの格闘デート(と言えばいいのか?)の場面も頬笑ましい。
 もちろん、デアデビル唯一の超能力である音を視覚化する超感覚の見せ方も、コミックには難しい映画ならではの表現でおもしろい。
 また、ラストに続編への含みを持たせているところも楽しみで、と書いていたら、すでにアメリカでは本作のヒットで、続編とエレクトラ主演の番外編の企画が進行中というニュースが入ってきた。
「恐れを知らぬ男」のさらなる活躍に、大いに期待したい。

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