科学者作家列伝

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 1999年、『SFマガジン』に書いたモノ。
 科学者とSF作家というのは、当たり前だが、それぞれに違う才能が必要で、その二つを共に持ちあわせている人というと、そんなに多くはいないのだなあ、というのが、月並みではあるが、最近しみじみと思ったりしていることだったりして。

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「現実[サイエンス]と空想[フィクション]の狭間で:科学者作家たちのポートレート」

 SFの第一義を、スペキュレイティブ・フィクションでも、ましてやサイエンス・ファンタジーでもなく、サイエンス・フィクションとして捉える昔気質のSFファンにとっては、科学、特に自然科学は常に変わらぬ強い興味の対象であり、SFとは切っても切れない関係にあるものだ。そんな人々にとっては、SF作家が人一倍科学に強い関心を抱いていたり、SFが好きな科学者が大勢いたりすることは、不思議でもなんでもないことだろう。とはいいものの、科学とSF双方への強い興味を両立させ続け、どちらにおいてもプロとなった科学者作家の存在はなかなかに稀なのも事実である。ここでは、英米の代表的な科学者作家たちについてざっと紹介してみよう。

 一口に科学者作家と言っても、その作品のスタイルは様々である。その作風を大まかに分類するなら、自身の研究分野を創作に反映させるタイプと、研究と創作の間にあまり関連性のないタイプの作家にわけることができる。
 前者のタイプは、自分の専門分野をそのまま小説の中に生かしているので、当然のことながらその作品はガチガチのハードSFである場合が多い。その代表格は、なんといってもロバート・L・フォワードだ。現在もヒューズ研究所で重力理論についての研究を続けている物理学者であるフォワードの作品の特徴は、なんといっても盛り込まれた科学情報の多さだろう。現実に実現可能なガジェットの数々を自身の論文から引用してくるあたり、他者の追随を許さないハードSFの王者の貫禄がある。もっとも、『ロシュワールド』の冒頭で、目を持たない異星人が論理的にフーリエ変換式を考察した結果、光の波長を<感じる>のではなく、光学的に<見る>ために自分の体の中でレンズを作り出すところなど、理論上はともかく現実的にはぶっとんだ描写があちこちにあるのはご愛敬かも。

 寡作なフォワードと違い、作品数的にも現在ハードSFの第一人者であると言えるのがグレゴリイ・ベンフォードだろう。理論物理学の博士号を持ち、カリフォルニア大学アーヴィン校に助教授として勤めているベンフォードは、時間改変をシリアスにとりあげた『タイムスケープ』で、自身の経験を生かして科学者の研究生活をリアルに描きだし、SFにおける科学者像に新風を吹き込んだことでも知られている。『夜の大海の中で』に始まる長篇連作では、研究テーマであるパルサーや高エネルギー天体に関する知識を縦横に駆使して、生命に溢れた不思議な、それでいて説得力のある宇宙空間を舞台に、知的生命体と機械知性との攻防を壮大なスケールで描いている。

 日本での紹介はここのところ少ないが、最近ではベンフォードを越す勢いで執筆点数を伸ばしているのが、イギリス出身のチャールズ・シェフィールドである。アメリカに在住している彼は、一時期アメリカ宇宙航行学協会の会長を務めたこともある理論物理学者である。あのクラークの傑作『楽園の泉』とまったく同時期に、同じ軌道エレベーター建設を扱った長篇『星々に架ける橋』を執筆したことで有名でもある。もっとも筆者は、シェフィールドの本領がいかんなく発揮されているのは、同書に代表される長篇諸作に見られるようなハイテク・スリラーっぽさよりも、『マッカンドルー航宙記』に収録されている作品のような捻りの効いた短篇にあると考えているのだが。

 ここまで紹介した三人と比べると、ルーディ・ラッカーの作品におけるSF的アイデアの飛躍の仕方はけた違いだ。フォワードたちは現実に観測されている物理的なデータからはみ出さないようにアイデアを練っていくが、ラッカーは今ある理論に一つ二つ仮定を加えたらどうなるかを、積極的に展開していくことで奇想天外な物語を構築していく。このあたりの作風の違いが、そのまま、数学者であるラッカーとフォワードら物理学者の違いなのかどうか、とても興味深いところではあるが、工学系の筆者には正直言ってなんともわかりかねる。なんにせよ、ここ数年人工生命プログラミングの研究をしている(はずの)ラッカーが、そこからどんなSFを書こうとしているのか、未訳の最新刊"HACKER AND THE ANT"を含め、今後の動向がいよいよ楽しみな作家だ。

 また、こうした専門分野密着型のSF小説は、日頃は研究に専念している科学者が、いわば余技のような形で書く場合もある。たとえば、天文学者であり、数々の教育的ノンフィクションを著書に持つことで知られるカール・セーガンは『コンタクト』を書いているし、マサチューセッツ工科大学に籍を置く人工知能の第一人者マーヴィン・ミンスキーは、ハリイ・ハリスンと"TURING OPTION"(未訳)を共作しているといった具合である。

 さて一方、自分の研究と創作の間にさほど関連性を持たない科学者作家といえば、なんといってもアイザック・アシモフが代表格だろう。もっとも、アシモフの場合はその博覧強記ぶりで、博士号を得た化学の分野以外にも専門家顔負けの知識を有する分野を複数持っていたから、何をもって専門と言うかはなかなか難しい問題かもしれない。ともあれ、アシモフの作品において顕著に盛り込まれているのは、化学についての専門的知識ではなく、論理性に富んだ科学的思考法なのだ。その典型的な例が、かの有名な<ロボット工学三原則>と、それに従って思考するロボットについての小説群だ。これらの小説の中で主人公は、前提条件(ロボット工学三原則)と結論(事件の顛末)を与えられ、なぜこの結論に達したのかを論理的に推論していくことになる。その論理性こそが、科学的思考法の基本であり、科学そのものの根本なのである。

 アシモフ亡き後、専門分野から自由に作品を創作している科学者作家の中で、一番脂がのっているのは、代表作である<知性化>シリーズの最新三部作の刊行が始まったデイヴィッド・ブリンであることは間違いない。フォワードやベンフォードと同じく現役の物理学者であるにもかかわらず、ブリンの作品には高度な専門知識を要する科学的な設定はあまり登場しないし、読者にもあまり科学的な知識を要求しない。例えば、<知性化>シリーズは壮大なスケールの現代風スペースオペラだし、『プラクティス・エフェクト』は、あるユーモラスな法則が支配する世界でのドタバタコメディ風異世界冒険談といった具合だ。このわかり易さが、ブリンの最大の強みといってもいいだろう。

 現在、そのブリンの後を追っている人といえば、ケヴィン・J・アンダースンとの合作で人気上昇中のダグ・ビースンだろう。物理学の博士号を持ちながら、一方で空軍の士官としての顔も持つビースンには、科学者作家というよりは、ハイテク軍事スリラー系に多い軍人作家的な色合いが濃い(単独作はどれも軍事スリラーである)。アンダースンとの合作でSFを書き始めたわけだが、それが評価された現在、ソロに戻ったときどんな小説を書いてくれるのか、見てみたい気もする。

 ここまで、科学者作家を研究と創作の関連の深さで二分してきたが、フレッド・ホイルのようにそうした分類のしづらい人物もいる。ナイトの称号を持つ、このイギリスの著名な天文学者には、自身の専門知識を元にした『10月1日では遅すぎる』のような作品を書くかと思えば、『秘密国家ICE』のようなイギリス作家お得意のスリラー調の作品を書いてみせるといった変幻自在さがある。

 以上、様々な科学者作家たちについて触れてきたのだが、最後に科学者作家=ハードSF作家ではないことをもう一度強調しておこう。ハードSF寄りではない科学者作家たちがいることは前記のとおりであるし、なによりハードSF作家の中には、アーサー・C・クラークやラリー・ニーヴンといった博士号を持たない大家たちもいるのだから。

《後記》
 この原稿を書いたあとに登場した重要な科学者作家は、アレステア・レナルズ、ハンヌ・ライアニエミ、そしてピーター・ワッツでしょう。
 ただ、ニーヴンやクラークがそうであったように、現代におけるもっとも先鋭的なSF作家と言えるグレッグ・イーガン、テッド・チャン、チャールズ・ストロスらは博士号を持っていなかったりするのでした(よくネットにイーガンは数学の博士号を持っているという日本語の記述を見かけますが、あれは学士号のまちがいのようです)。

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