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【那須】 北温泉再び(五)鹿の湯──九尾の狐の容赦なき硫黄泉

〔鹿の湯〕は、容赦のない硫黄泉だ。
 それはまるで、九尾の狐・玉藻前さまそのものを想起する苛烈さで。
 ほんのり黄色みを帯びた乳白色の湯からは、強烈な硫黄臭が立ち上っている。
 しかも、洗い場などない。(いや、ちょっとだけ無いことは無いけど)
 当然、上がり湯もない。
 ひとたびこの湯へつかったなら、バスタオルはどれだけ洗おうとも取れないほどの硫黄臭がつくし、少なくともその日に関しては家で入念にシャワーをあびるまで、身体からずっと硫黄のにおいが立ち上り続ける羽目になる。
 それでも、この〔鹿の湯〕は人をひきつけてやまないようで、いつ行っても大盛況。

 古い木造の浴場は、天井の明かり取りから陽がふりそそぎ、湯気がふんわり舞いながら、きらめいている。
 絵になる光景だと思う。
 湯温が2℃ずつ違う4つの正方形の湯がある他に、階段を降りたところに石造りの大浴槽が鎮座している。
 入ってみると、浴槽の石に淡い黄色の成分が分厚く付着している。
 それは蒸栗色に近いが、それよりもう少し白っぽい。
 あるいは、夜空に輝く満月の色が、これに最も近い。

 Cさんと濃密におしゃべりしたおしている内に、どうしてものぼせてくるので、いったん湯から身体を引き上げ、石づくりのへりへ腰掛け、脚だけをつけてまたお喋りを続ける。
 そのうち、
「お嬢ちゃん、それ、よくないよ」
 掃除のおばちゃんに、やんわりと注意されたので、何のことかと首をちょっと傾けると、
「入る時は全身はいって、のぼせたら全身出しておかなきゃ、変に湯あたりするんよ。ここで半身浴すると、上がった時にふらふら倒れることあるから、気をつけてね」
 なるほど。
 これまで、実際にそういう人が何人もいたから、こうやって注意してくれたのだろう。
「知らなかった……ありがとうございます」
 忠告どおり、わたしは再び全身を湯につけた。つらくなったら冷たい石の床へ出て、冷ませばよい。

 そろそろ出るべき時間がせまっている。
 他の湯船へもつからなきゃ損とばかり、階段をのぼり、4つある正方形の湯のひとつへ飛び込む。
 それは2℃ずつ違う4種類の湯で、一番熱いのは46℃。なお、男湯は最高が48℃だそうだ。
 女湯では最熱の46℃へ、Cさんと二人、そろりそろりと身を沈める。
「30秒だけ、耐える!」
 その宣言どおりに時間を数え、肌がぴりぴりと痛い中を耐え……精神統一、呼吸を整える。
「28、29、30……!」
 一気に湯船の外へ退避するも、
「やばい、出る時が一番いたい……あだだだだ、いたいぃぃ!」
 そりゃそうだ、急激に体を動かすと、熱い熱い湯がその分だけ動き、肌を撫でまくる。つまり、それだけ刺激が強烈になる。
 Cさんはわたしよりさらに長い時間、にこにこと46℃に身を沈めていた。

 濃密な秘湯の旅、一泊二日はこれでおしまい。
 Cさんとの泊まり旅はこれが初めてだったけど、
「やばいくらい楽しかった、また行こうよ!」
 三人、意見の一致を見る。
 旅をともにして楽しい友達は大切。
 ……というより、一緒に過ごして楽しいからこそ、一緒に旅できるというべきか。

 その愉快な仲間たちは、車内を硫黄の香りいっぱいに見たし、また帰りの道中を、わいわい賑やかに過ごした。

鹿の湯

 あの時、帰宅してからすぐ洗ったバスタオル、一ヶ月たっても、まだ硫黄がほんのり臭いつづけてたんだけど……。
「そういや、一年前に鹿の湯へ行った時も、こんな感じだったけなー」
 苦笑で、バスタオルを洗濯機へ放り込だ。
「このにおい、まだまだ残っていてほしいな……」
 そうすれば、あの楽しい旅行の余韻を楽しみ続けられるし、と。

 あれから半年もたった今では、もう硫黄の残り香なんて微塵も残ってなくて、ちょっと寂しさをおぼえる。

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