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【正誤表・新資料発見による加筆訂正】『誰も知らない『西遊記』――玄奘三蔵の遺骨をめぐる東アジア戦後史』


 *序章と目次の公開については、こちらをご覧ください。       


1、誤字訂正

2019年5月よりAmazonでの販売も始まりますが、初版のままなので誤字の訂正ができていません。すでにお読みいただいた皆様には、こちらにて誤字をご確認いただければ幸いです。

P19 L11 【誤】弘毅   【正】弘教

P52 注4 【誤】南京布教女 【正】南京布教所

P58 L7  【誤】大日本戦時宗教報告会 【正】大日本戦時宗教報国会

P69 L3  【誤】基幹清新 【正】基幹精神

P108 L12 【誤】『中外日報』 【正】『中央日報』

P132 図24 【誤】『台湾仏教百年誌』 【正】『台湾仏教百年史』

P165 L17 【誤】少林寺 【正】小林寺

P166 L3 【誤】少林寺 【正】小林寺

P167 表12 【誤】少林寺 【正】小林寺

P168 L3   【誤】少林寺 【正】小林寺

P196 表15 【誤】花山信勝 【正】花山勝友

P202 L12  【誤】松山葛密 【正】松山萬密

P208 表16 【誤】少林寺 【正】小林寺

P218 L7  【誤】内省人 【正】本省人

P226 L1       【誤】少林寺 【正】小林寺

P231 L14 【誤】一郭 【正】一角

P255 L1  【誤】中国人遺骨返還 【正】中国人俘虜殉難者遺骨送還

P259 L9 【誤】少林寺 【正】小林寺


2、新資料の発見

  第2章第2節「水野梅暁と玄奘」執筆時点では、水野梅暁がどのような経緯で褚民誼と玄奘の遺骨の分骨について交渉することになったのかをあきらかにする史料は見つかっていませんでした。1920年代以降の水野梅暁の行動をみる限り、中国関連の交渉は基本的に外務省など政府機関の要請に応じて行ったものだったので、玄奘の遺骨の分骨交渉についても、おそらく政府などからの依頼を受けて交渉したのではないかと予想はしていました。しかし、それを証明する史料がなかったため、仏教研究者だった辻村志のぶの「水野の信仰による行動」という見解に異議をとなえることができませんでした。

  しかし、本書出版後、新しい資料を発見することができました。法隆寺が戦前に出版していた雑誌『太子讃仰』の1944年11月15日発行の記事です。ここに、水野梅暁が日本軍と駐華大使館の希望によって玄奘の遺骨が日本に寄贈されることになったと書かれていました。

  私の仮説を確認できる新資料が見つかって以降、玄奘の遺骨の日本分骨に関する文章を書くときは、「水野梅暁が日本軍と駐華大使館の依頼を受けて褚民誼と交渉し、玄奘の遺骨の日本分骨を実現した」と記しています。以下はそのリストです。

坂井田夕起子「三蔵法師の遺骨と陸軍墓地:弘前忠霊塔、篠山遺芳殿、岸和田靖霊殿を事例に」『旧真田山陸軍墓地研究年報』No.3(2015年6月)

坂井田夕起子「“戦争的負遺産”,這是“文化交流的象徴”?---玄奘三蔵遺骨和20世紀50年代的北京与台北」『近現代国際関係史研究』第九輯、世界知識出版社(北京)(2016年10月)

坂井田夕起子「“戦争的負遺産”,這是“文化交流的象徴”?---玄奘三蔵遺骨和20世紀50年代的北京与台北」徐藍、吉田豊子主編『国際関係史工作坊』(第二期:冷戦的縁起及其初発展)(2018年8月)

坂井田夕起子「玄奘遺骨的南京出土及各地奉安經過」『玄奘佛學研究』第三十二期(2019年10月)


ほか、1本の論文を海外の論集に投稿中。発行され次第、このリストに追加します。

著者のブログ:http://sakaiday.hatenablog.com/

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