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上京のはなし① | あこがれの街

始めに

無心でNoteを漂っていたら目に入った投稿企画"上京のはなし"。
上京してからの6年の歳月がゆっくりとフラッシュバックして、これは色々書けそうだなと思ったので初めて投稿企画向けのNoteを書いてみます。

ただ、気楽な気持ちで書き始めたはいいものの、たくさんの感情と想いがおもちゃ箱の中みたいにごちゃごちゃしていてまとまる気配を微塵も見せず、、、気付けば下書きを書き始めてから1週間が経過。

1週間に1つは何かしら投稿するぞと密かに意気込んでいたのでこれはまずいぞと毎夜カフェに通ってほうじ茶ラテを片手に試行錯誤の日々を送りました。何とか道は見えて、結果2つの記事に分けて書くことにしました。

というわけで上京のはなし、2回します。本記事は1回目あこがれの街です。

Intro ~とある土曜日~

おやすみの日の朝はお昼前までベッドの上でうだうだするのが最近の惰性ルーティン。いつもならまだ絶対離れられない時間だけど、今日は13時から友人と21_21に行く予定があるおかげで、何とかベッドから脱出できる。

時計は10時半。デッドライン。抗いがたい睡眠欲を追い払って、寝ぼけまなこで歯を磨く。UCCのコーヒーを入れ、ヨーグルトにグラノーラとハチミツをかける。ネットニュースを流し見しながらいつもの朝ごはん。食べ終えたら急いで身支度。最高気温は37度。SPF最強の日焼け止めを全身に塗りたくる。電車での移動時間を確認し、ちょうど良さそうな短編集をバッグにいれたら、小走りで家を出て駅へ向かう。集合場所へは何とか5分前に間に合った。

美術館は私にとって最も心が落ち着く場所の一つ。作品の背景や制作過程、込められたメッセージを味わい、そして、自分の中に新しく広がる景色と感情に目を凝らし耳を澄ませる。お仕事や日常の嫌なことで疲弊していく心に潤いを与えてくれるかけがえのない時間。

展示を見たあとは、美術館近くのカフェで感想会。私の中に生まれる波と友人の中に生まれる波は大きさも揺れ方も毎回違くて、その違いがとても心地いい。それぞれの経験や人生に応じて、見る人の心をほんの少し違う場所に移動させてくれるアートってやっぱり素敵だ。

17時に友人と解散し、住んでいる沿線に戻って恋人と合流。行きつけの居酒屋さんで心地よい活気に囲まれながら美味しいご飯とお酒をいただく。お酒はそんなにたくさん飲めないけれど、料理とお酒の相性が最高なこのお店に来たときはいつも、地面から身体が1cm浮かぶくらいに酔っ払う。

恋人と解散して家への帰り道。気持ちいい夜風にあてられておセンチになっていたのか、早く大人になりたかった高校生のときの自分がふと蘇る。九州の片田舎で、何者にもなれず誰からも気づいてもらえず、まるで夜の海にひっそりと沈んでいくような将来に怯えていたあの頃。

東京にきてよかった。

ぼそっと呟いてみる。夜道だから周りの目を気にして大きな声にはならなかったけれど、はっきりと声に出して言える。街灯に照らされた夜道、所狭しと立ち並ぶマンションの窓からは数多の光が溢れていて、この光の数だけ生活があるんだ、なんて想像するとちょっとだけ心細さが和らぐ。

田舎にいたときは、東京に行けばスッと何かが変わってすぐに何者かになれると思っていた。でも全然そんなことはなくて、悩んだり立ち止まったりを繰り返した後にだけ、ほんのちょっとキラキラが増した自分と出会える。生きていたいと思える場所で生きることはできているけれど、生きていたいと思える場所で自分が生きたいように生きていくことはできていなくて、まだまだあのときなりたかった自分とは距離を感じる。

空を見上げると月はほんの少しだけ欠けていた。下弦、上弦みたいに今みたいな月にも特別な名前がついているのかなと気になって調べてみたら、"待宵の月"という言葉をみつけた。満月の前日の夜のこと。ほとんど満たされているけど、完全には満ち足りていない。不完全でなんだか今の私みたいだ、なんて素面では考えないようなことを考えてみる。

まだまだ私は待宵で、不完全で、あのときなりたかった自分になるまでは歩みを止めてはいけないな、とほわほわしている頭で思った。

上京したいと思ったきっかけ

東京という街は、地方に住む一部の人をとても強く魅了する不思議な魔力を秘めています。

東京に行けば窮屈で閉鎖的な日常が一瞬で変わる。長いトンネルを抜けたあとのような眩しい光に満ちた毎日が東京にはある。そんな勘違いと幻想を、地方出身者に抱かせるのです。

幼少期から高校生までを九州で、大学時代を関西で過ごしてきた私は、物心ついたときにはすでにもうその魔力の虜で、社会人になってから一目散に上京しました。

魅せられたきっかけは何だっただろう。

最初のきっかけの1つは、高校時代に読んだある本の中の"知的刺激にあふれた都会の生活"みたいな言葉だったように思います。古本屋、喫茶店、美術館、博物館、コンサートホール、といった田舎暮らしだとそもそもお目にかかれない魅力的な場所や空間の数々。それらが日常的に身近にある都会での暮らしに憧れをもち始めました。

高校2年生のときに、自分の興味と将来就きたい仕事を照らし合わせたことが次のきっかけ。当時私は勉強以外の時間のほとんどを小説、映画、音楽に費やしていました。変化の少ない田舎での息が詰まりそうな毎日を、たくさんの物語や音楽によって彩り埋めていたんだと思います。将来そういったことに関わる仕事に就きたいと考えるようになり、色々と調べていくうちに、そういった業界の仕事は東京での求人が多くを占めることを知りました。

また、当時だけでなく今でもそうですが、東京のいろんな街を舞台にした物語は尽きません。くるりやきのこ帝国の「東京」など、東京と結びつく音楽もたくさんあって擦り切れるくらいに聴いていました。あの頃の私の周りには、私を東京へ向けさせるもので溢れていたなと思います。

最初の上京チャンス

大学選びの時期になり、私の中で真っ先に浮かんだ選択肢はもちろん東京。でも、何のあてもない東京にいきなり行く、という話は育ての親である祖父母を含めた周りの大人たちからの総反対を受けるのでした。都会に行きたいよね、と話す周りの友人たちも、地元を離れるとしたら福岡か一番遠くて関西といった具合で、私の高校から東京へ行く人なんてもはや絶滅危惧種。

いろんな経緯がありましたが、最終的には東京に行きたい気持ちと祖父母と離れすぎたくないという気持ちのせめぎ合いとなって、結果、"上京"の2文字を心の奥底にしっかりと閉まい、関西の大学に進学することにしました。

進学後、大学生活は2回生(関西の大学では〜年生ではなく〜回生とよびます)まで順調にいっていたのですが、成績と経済的な事情で大学を3回後期で中退せざるをえなくなりました。元々経済的に厳しい状態での進学だったこと、また、2回生のときの成績不振が発端での学費苦慮が原因でした。卒業できないことは悔しかったけれど、やれる限りのことはやったな、という満足感もちょっとあって、とても大事な3年間だったなと思います。

とはいっても、中退の届けを出してからは先行きのない不安に押しつぶされそうな夜が続きました。地元に帰る選択肢は私の中にはなくて、かといって、ここ関西で就職するのも何というかしっくりこない。そんなことを毎晩考えている中、ある夜パッと頭に浮かんだのは大学進学時にそっと閉まっておいた"上京"の2文字でした。

中退していなかったら就活してどうせ再来年から東京にいたよね。東京に行くのがちょっと早まっただけだよね。目標ができて心が軽くなってからは、もともとやっていたアルバイトのシフトを増やし、加えて、文字起こしのアルバイトも新しく始め、半年ほど休みなくアルバイトに明け暮れることになります。

2~3ヶ月くらい生活できそうな蓄えができた翌年の春、東京に上京します。

初めての東京駅

キャリーケースと趣味でちょっとだけ弾けるギターを背負い、駅のプラットフォームで東京行きの新幹線を待ちます。音楽で食べていくぞという気概はなかったのですが、まるでNANAの冒頭みたい、と何か起こりそうな予感とともに乗車。でも、新幹線は止まらないし、隣の人と仲良くなることもありませんでした。

始めて降りた東京駅。ホームを行き交う人々の熱気、立ち食いそば屋から溢れる出汁の香り、構内の床を洗う清掃剤の匂い。たくさんの人の生活があってそれだけたくさんの匂いが混じっているんだな、と東京に来たことを改めて実感しました。

その年の春の上京を後押しした理由が一つあって、それは大学時代に仲の良かった先輩が東京で就職していたこと。上京したいけど家を探すまでの宿に困っていることを相談したら、ちょっとの間なら全然おいでよ、と快く手を差し伸べてくれました。東京駅から山手線と東急東横線を乗り継いで武蔵小杉駅へ。先輩のお家は家賃補助のおかげで一人暮らしにしてはかなり広くて、二人暮らしでも十分な快適さでした。こういう部屋に住みたいけれどしばらくは無理だろうな、という諦観と、がんばっていつかこれくらいのお部屋を借りるぞというやる気が同時に沸きました。

せっかく東京に来たんだから、そんな遊びたい気持ちには蓋をして、約1ヶ月、お家探しと飲食店のアルバイトづくしの生活を送ります。

翌月、念願のお引越し。
東京で初めて借りたお家は、中央線の国分寺にある1Kアパート。ちょっと都心からは遠いけれど、家賃は希望範囲内で、3階で、バストイレ別で、何より憧れの中央線沿線。嬉しいことに国分寺で暮らし始めてすぐに就きたい業界でのアルバイトに合格し、幸先の良い東京ライフが国分寺で幕を開けたのでした。なんと半年後には正社員登用のお話ももらいます。とんとん拍子で少し怖いな、なんて思ったことを覚えています。

でも、怖い予感は当たるもの。社員になってからの仕事量の多さ、繁忙の不安定さ、理想とのギャップに苦しみ1年ほどで身体を壊して休職、そのまま退職することになります。アルバイトのときに社員の人たちの大変さを側で痛いほど見ていたので覚悟は持っていましたが身体がついていきませんでした。楽しいこともたくさんあったけれど、それ以上に辛いことも多い1年半でした。

そして、2ヶ月ほど貯金がなくなるまで身体を休めたのちに転職、今に至ります。新しく始めた仕事は、全くの別業界で、自分の趣味とは関係のないお仕事。生活基盤を整えるために、そして、東京で生き続けていくために、やりたいことではなくできることをやっていこう、そういうフェーズなんだと自分に語りかけながら、日々がんばっています。

ずっとあこがれの街で

上京してから今年で6年目。
年齢を重ねるにつれて時の流れを早く感じるようになっていくらしいけど、ほんとうに1年があっという間で怖い。

今の仕事はライフワークバランスを取りやすい点が自分にあっていて、やりたいこととできることって違うものなんだなと痛感する。今の仕事に就いてもう4年になるけど今住んでいるお部屋はあのときの先輩のお部屋にだいぶ近くて、それは私がけっこう遠くまできたことの証でもある。

できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」ー村上春樹

どれだけ不完全な自分のままいたとしても、始めて降りたあの日の東京駅の匂いを思い出せる限り私はきっと大丈夫。ここにいるから見ることができるもの、体験できること、感じられることがほんとうに尽きなくて、この街は私にとってずっとあこがれの街。これからもこの街に魅せられ続け、この街で毎日を積み重ねていくんだろうなとそう思います。

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